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正しい知識をもつことの大切さ。心の強弱は関係なく、自分1人だけで、うつや不安と闘うことは難しい。生きることは時に苦しいけど、でも、やっぱり素晴らしい。【まいにち日記✨番外編】



 私自身、学生時代にカウンセリングや臨床心理などを学術的に学びました。正直、社会に出てからは、自分の生活や仕事に追われて、
「知識としては残ったけど、本当に役立った」思いがしなかった。


 でも、自分が本格的な精神疾患になった時に、
これが自分の命を助けるひつとになった。

「サポートをする側の立場」「サポートを受ける側の立場」
「当事者の家族としての立場」「当事者を囲む外部の人の立場」
色々な角度から自分を見る事が出来た。

 きつい話になるけど、
実際、完全に守られていない社会で
自分にとっての心無い言葉をかけてくる人はいる。
そういう事態を完全に避けることは難しいし、
誰かが、誰かをそういう事態から完全に守ってあげることも難しい。


 これは、ひとつの考えにすぎないかもしれない。
でも最終的に自分を守れるのは、自分だけ。
そんな時に、
自分をひとつの方面から見るのでなく、
「こういう見方もある」し、
いくらブラックな人がいても
「あの人の言う事が全てでもない」という
【心を守る武器】を身に着けておくことも大切。


 ただ病気になった時は、健康な時よりも視野が狭くなってしまいがち。
そんな時は、自分だけでは判断できないこともある。


 大学にいって何か専門的なことを学ぶということはハードルもあるため誰もが可能なわけではないが、

「自分を追い込む前に、専門機関を訪ねる。」という
たったひとつの言葉を持っておくことが、自分の命を助けることになる場合もある。たったひつとの言葉ならば負担なく出来る場合も多いだろう。




 生きて元気になったら、挽回するチャンスはいくらでもある。


もし戻れる環境ならば、また戻ってくればいいんだ。
「なんだよお前、急にいなくなって・・・。」になるかもしれないけど・・・(笑)

そんな時は、あなたも今まで我慢していた心からの気持ちをぶつけてみたらいいんだ。
案外、始まりは、お互いの小さな行き違いだったかもしれない。
そういう事ならば、そのうち笑い話になる。


 私自身、幼少の頃から
身近な人達の自死を見送ってきた。
残されたご遺族と関わる機会も多かった。
小学生ながら、ご遺族のサポートを頼まれた時は、小さな身体には負担すぎる程だった・・・・

 周りの環境がどんな状況だとしても、
死に向かう人を止めることは、簡単ではない。


例えば、鬱や躁状態の方に
「頑張れ」と言ってしまった・・・


 これも実際は、難しい問題だと思う。
それがエールとしての「頑張れ」であったならば、
言ってしまった相手は、「自分こそ死んでしまいたい」と思って、
今を生きているかもしれない。。。
 特に躁状態は、外から見れば活動的で元気に見えるため、
「もう良くなってきたんだ。」という安心感から
「頑張れ」という言葉を言ってしまう事があるのかもしれない。



 自分の辛さを話すことは決して簡単なことではないが、

 今は、社会としても大々的にメンタルケアを推進するくらいスタンダードなこと。
どこに相談したら分からないという場合には、地域の区役所などの公的な機関に行けば情報も教えてくれる。
専門機関に相談したからといって、誰かに責められたり、
会社や家族に、あなたの相談内容が漏れてしまうことはありません。
※もし必要に応じて、当事者以外の方と連携を取る場合には、当事者の方に許可を取る流れになります。


 

 心の強弱は関係なく、自分1人だけで、うつや不安と闘うことは難しい。生きることは時に苦しいけど、でも、やっぱり素晴らしい。



◆メンタルヘルス関連の情報

相談窓口案内|こころの耳:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト (mhlw.go.jp)
こころの耳:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト (mhlw.go.jp)







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