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嗚呼。スクリーモルネッサンス。


2000年代前半。あの時確かに日本にはスクリーモの波が来ていた。ような気がする。



当時18歳くらいだった僕はその波を強く受けてジャブジャブ溺れていた。今回はその辺のシーンの流れだったり隆盛を思いだしながらなんとなく書いていこうと思います。

本当だったら音楽コラムとしては言葉の誕生から歴史をしっかり調べて整理して書くのが正解なのかもだけど、後追いで知った物や現在に至る流れまで書いてたら本当にキリが無いので、

今回は僕が「スクリーモ」という言葉を知った2000年くらいからmy chemical romanceの「BLACK PARADE」くらいまでにします!2006年くらいかな?

あくまで僕が当時体験した視点や印象からになります!本当に詳しい人からしたら凄く半可通なテキストに見えるかもですが 書きたいんです!笑

あのバンドがねえぞ!とかあのバンドの名前が無いとかニワカか!みたいな声は当然あるでしょう!

無理だよ皆んなが納得する記事は…


さて、はじめよっ

高校生 スクリーモを知る

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↑20年前の筆者。

当時高校生だった僕がその言葉を知ったキッカケというか記憶はハッキリしていて、2000〜2001年ごろにnature livingというバンドが好きで良くライブに行っていた時代に遡ります!

流石に僕が高校生時代のライブ映像は無かった…

僕「先輩!これが エモってやつなんですね!」
先輩「そうさ!これがエモだ!」
僕「こうゆうのが好きだったら他にどうゆうバンドを聴けばいいんですか!」
先輩「nature livingのホームページのBBSとか見れば詳しくなるんじゃ無いか!」

BBS(当時のホームページにはほぼ実装されていたバンドとファンの交流掲示板。死語)

さっそく隈なく閲覧します。

僕「ふむふむ。sense field…sunny day real estate…Texas Is the Reason…そうか…エモバンドは皆んなバンド名が長いんだなあ!!」

沢山のバンド名をそこで知ったものの、高校生に全部買えるわけも無いので、とりあえず何か見繕って一枚買いに行こう!と、レコ屋に行って”thursday"というバンドの「full collapse」てアルバムを買った。

多分バンド名が覚えやすかったんだろう。


僕「うわーっ!このバンド!nature livingみたいだ!カッコいい!エモだ!先輩!エモです!」

先輩「違う!これはスクリーモだ!」

僕「おーっ!スクリーモはマイクを縦に持つんですね!」




スクリーモ!!

新しく覚えた言葉に興奮した僕は方々でその言葉を使用した。猿のように「スクリーモ!スクリーモ!」と連呼してた。

ちなみに当時はいわゆる「ドライブスルーバブル」でもあった。

ご存知new found gloryの大ブレイクによりDRIVE THRU recordsのバンドが次々とブレイクしていったのだ!


NFGは勿論。Allister.midtown.the starting line. less than jake.something corporate…

先輩方がFAT.epitaphのカタログを片っ端から集めていたように、ぼくらの世代はDRIVE THRU から出たらとりあえず買っとけ!って風潮だった、

Finch来襲

2002年。そんなDRIVE THRUから彗星の如く現れたバンドが!  

Finch


あっとゆうまに界隈の話題の中心になった

「Finchヤバい!スクリーモやばい!これからはスクリーモだ!

大きな時代の唸りはここにあったと記憶している。実際どうかは解らないけど、僕等の界隈ではFinch以前と以降で明らかに分岐点だった。

Finchの大ブレイクの下地は先述したsense field等のいわゆる「リアルエモ」からの静かな胎動があったとは思うのだが、やっぱり決定的だったのは

2000年のLINKIN PARKのブレイクだと思う。


それと2001年のHOOBASTANKの飛躍。



これらはスクリーモの文脈で語られずに90年代から続くKORN.limp bizkit等のラウドロックシーンの流れで括られてる印象ではあったけど、

当時の僕にはあそこらへんで二つの流れが合流したってゆう感覚があったような気がする。

Finch以降「スクリーモ」という言葉が周りで一気に聞くようになったのは確かだよ!

後にAnd Mark Herというバンドをやるユキヒロ君なんかと「スクリーモ!スクリーモ!」とキャッキャしていた。


ユキヒロとはpurevolume警備隊として新しいバンドの情報を沢山交換したなあ。

※「purevolume 懐かしい」でググれ


僕の思うスクリーモルネッサンスの英雄達

TAKING BACK SUNDAY!  


SAOSIN!  


further seems forever

thrice

funeral for a friend

UNDERORTH


※これはスクリーモじゃねえとかはあるでしょうが、一旦落ち着いてください!



ほらー、かいつまんで話すつもりが結局長くなってる笑

でももっともっと語りたいバンドがいるんだ!

alexisonfireとかSILVERSTEINとかthe early novemberとか A STATIC LULUBAYとかNURAL…

個人的好みを一旦置いて断腸の思いでこの「スクリーモルネッサンス」の要塞をバン!バン!とグレードアップさせた立役者を強いてあげるとするならばやっぱり

the used 



story of the year


になるのかなあ。(不安)でもこう名前を並べるとこのニバンドが入り口だったって人が圧倒的に多い感じ!するね!

一旦そうゆう事にしよう!




一旦話を日本へ

先述のnature livingのようなスクリーモルネッサンス以前からその要素が顕著にあったバンドもいたけど、やはりこの大きな波は日本にも来た!

いち早く取り入れた中にはやっぱり地元の先輩。TRIBAL CHAIRがいた

↑この曲が特にその要素が色濃いと思う!2003年とかにこれをやってたんだもんなあ。

和製スクリーモ。しかも全曲日本歌詞でこの音楽性をやっていたバンドってなるとやっぱりトライバルになっちゃうよね。結成当初から観ている身としては、「わー!先輩がマイクを縦に持ってる!外タレみたいだ!」とか思ってました。

それと、大阪のNEW STARTING OVERがやっぱり印象深い!


当時スクリーモバンドの来日公演にはNSOはほぼオープニングで出ていた気がする。

いや、誇張ではなく海外からエモバンドが来るとOCEANLANE。スクリーモバンドが来るとNSOってのが定石だくらいの勢いで出ていた。うわーっ知らない人いたら聴いてほしいなあ…


オーバーグラウンドにもアンダーグラウンドにも拡がる波


ゴシックやハードロックの要素が強いMY CHEMICAL ROMANCEの2006年のアルバム「BLACK PARADE」がとんでもないヒットを記録した。

武道館やってんだもんなあマイケミ。 

マイケミってビッグバンドになり過ぎて今となってはあまりその流れでは語られないけど、当時確かにレコ屋さんの売り文句に「スクリーモ」って書いてたんだよ!先述したthursdayのボーカルのレーベルからデビューしたってゆうストーリーもあったし。

なんかこの後氷室京介とコラボとかしてたよね?マイケミ!

武道館バンドのレコ屋での定番売り文句にまで成長したスクリーモちゃん。スクリーモちゃん…こんなに立派になって…


気がつくと「スクリーモ」って呼ばれるバンドの中でもどんどん呼称が枝分かれしていった。

逆に言うと先述したような沢山のバンド達が「スクリーモ」で一括りにされていた状況のほうが異常だった気もするけど笑

そもそも各バンド音楽性もどんどん変わるしね

先述したusedやSOTYと並んでルネッサンスの大黒柱であったfuneral for a friendやUNDERORTHは2006年ごろから「メタリックスクリーモ」とかって言う呼ばれ方をするようになったし

僕が個人的に大好きだったBRAND NEWやTAKENなどは「激情系スクリーモ」とか呼ばれてた

もはや家系ラーメンの家系図のようだ

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あの店は何系 あの店は何系みたいなね。


日本にもスクリーモバンドが増えた。ファッション的にも海外からの影響が強くピチTにスキニー。長い前髪を横に流すスタイルだったのではたから見たら音を出す前から音楽性が解っただろう笑

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僕のタンスにも多分死ぬほどxsのTシャツが眠っている。 

ただ、日本でこのスタイルをいち早く取り入れたのは絶対TOTALFATのシュン君だ。それは断言する。あの人2002年くらいには前髪長かったもん



和製スクリーモバンド…これこそ名前いちいち上げてたらキリが無いから印象深い。よく聴いていたのだけを書いてく笑

名古屋のwhen the leaf searedや神戸のthride photopramや大阪のHEAR FROM HERE.埼玉のseek one's prime

僕的には「そ、それはシャウトが入ったメロディックでいいんじゃないか?」と思ってたけど当時はSUNSGRINDやFACTもスクリーモって呼んでる人多かったなあ。

でも、まだそこまで数は多くなかった気がする。

だって全バンドそういうバンドだけでのイベントとかあった記憶が無いもんな。メロコアもハードコアもエモも混在したイベントが殆どだった。

日本でスクリーモシーンからの影響明らかなバンドがグワっと増えるのはもう少し時間が経ってから。2008年以降くらいだったような。でもその時には既に細分化された先のサブジャンルだったはずの「メタルコア」と言う呼称の方が浸透していた。なので

僕「お、これは新しいスクリーモバンドかい?」
後輩「何言ってんすか。メタルコアですよこれは」

こんな悲しいすれ違いも良く起きた。


いつしか「スクリーモ」って単語は周りで余り聴かなくなってしまった。



理由を考えてもよく解らない。かつてのV系がそうだったようにオーバーグラウンドにもアンダーグラウンドにも拡がり続けるシーンに対してどこかで誰かが一旦総括すべく呼称を細分化したくなったのか。

「これは二郎系でこれはインスパイア系」のように黎明期のバンドだけにある矜持みたいなものを誰かが守ろうとしたからなのか。

決してシーンが衰退したとは思わない。けど何故か余り聴かなくなった。

でも確かにあの時代。「スクリーモ」っていうよく考えたら雑でフワフワした括りの中で皆んなが胸を躍らせて音源を集めたり情報を交換しあったりしていて異常な熱量が渦巻いてた時期があったんだよな。

印象的なジャケも多かったので、皆アルバム名では言わずに「カブトムシ」とか「呼吸器」とか「女子高生」とか言ってワイワイしてたなあ。

例)SAOSINのカブトムシ聴いた?超ヤバくね?

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楽しかったなー

それを懐かしんで僕は「スクリーモルネッサンス」って呼んでる。一ミクロンも浸透してないけどね!


最近。スタジオにいた高校生がONE OK ROCKの話をしていて、「あれはスクリーモっていうんだよ!」って言ってるのを観てなんだかグッと来てしまった。時代は繰り返していくんだね。


ここからの流れは別の人に任せたい笑 その後メタルコア隆盛の流れだったりピコリーモの登場とかそれこそtaste of chaos上陸の辺りとかはもっと深く語れる人がきっと書いてくれる!

Her Name in Bloodの石田君あたり凄く詳しそうだ笑


追記

音楽的にはスクリーモのバンドとは言えないかもだけど、その流れの中で出逢うことが出来て、共演もさせて貰った香港のwhence he cameのボーカル ジョシュア氏のご冥福をお祈りします






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