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発達障害あるあるネタってどうなの?



発達障害とかでTwitterなどで検索すると、こういう呟きを見かける。

ASDの人は○○ ADHDの人は△△


どこのジャンルでもあるあるネタ(共通点など)というのは一定数で存在する。ヲタクあるあるネタや、猫好きあるあるネタ…。私はネタとして楽しむ程度ならいいと考えているが、発達障害の場合はネタとして楽しむっていうよりも、違う意味がある気がしてならない。


発達障害は、生まれつきの特性のせいで現代社会を生きていくのにハードルが高く、つらい思いをしてきた or 今もつらい 人たちが多いと思う。こういうふうに書いている私も、自閉症スペクトラム障害だったりする。
(私の発達障害の話はこちらの記事にて)


今から約10年ほど前、診断されてホヤホヤの昔の私は周りの人とは違う「変わっている自分」のせいでどうしても浮いてしまっていることに気づく。こんなの、嫌だ。浮いている存在になりたくない。なってはいけないと感じた私は、異物な存在に見えてしまう自分を無理矢理押し込んでまで普通になろうとしていた。

その頃の私は、常に周りを気にしてばかりだったので、ASD傾向の人は○○で、ADHD傾向の人は△△だ的なあるあるネタを読んでいた。そして、そのせいで知らぬうちに心を振り回されていた。例えば、こういうの。

ASDの人はファッションに無頓着。

当時の私は、ファッションセンスがなくても、雑誌などを定期的に読んで研究してお洒落を自分なりに楽しんでいた。けれど、そういう記事を見かけるたびに世の中の人達の意見のまとめみたいにみえて、やっぱり私は発達障害だから向いてないのかなと勝手に落ち込んで傷ついていたりした。


だが、よくよく考えれば(例として書いたやつも含め)あるあるネタなどは、必ずしも当たるわけでもないし、発達障害(ASDでも/ADHDでも)という大きな括りで人間の性格や趣味などが決まるわけないのだ。

そもそも、そう言った雑な括りで人を決めつけてしまうのも、その人(またはその人達)から出てきた偏見みたいなものだし、「私は雑な括りでしか人を見ることができません」と、わざわざネットを通して宣言しているかのようである。

もちろん、自分が体験した発達障害であるがゆえの話を誰かと共有したくてあるあるネタとして書いているのかもしれないが、ネットに流す際にそのあるあるネタのせいで、見知らぬ誰かに対して余計なお節介にもつながることを知ってほしい。

Twitterなどは私を含めて、いいねや拡散がほしいが故の行動…その人の承認欲求的な人間の欲の塊が呟きとなり、ネットに放たれている状態が殆どだ。けれども、「その投稿は果たしていいのか?」と勢いに任せて投稿ボタンを押す前に、なるべく深呼吸しながら確認してほしい。
(とはいえ、私もそこらへんが難しく、誰かを傷つけるような投稿をしているかもしれないのであまり言えないが…。)


そういうふうに書いている私も、あるあるネタを書いている人たちへ偏見を持っているから、こんなことをわざわざ記事に書けるのかもしれない。しかし、そのあるあるネタのせいで落ち込んだり、泣いたりして、普通に囚われて自分自身を削っている人がいるのを知ってほしい。

もし、今この記事を読んでいるあなたがそういう呟きを見て傷ついているなら、ミュートすることをおすすめする。そんなもので、心に傷をつけてほしくないからだ。

何度もくり返し言うが、ミュートを激・おすすめする。



ちなみに今でも、センス云々は置いといてファッションが大好きだ。最近では、雑誌やInstagramじゃ物足りなくなって、ついに映画を見て研究するほどにファッションを愛している私がいる。



発達障害である私についての記事はこちら


ディスレクシア(読み書き障害)の私の記事についてはこちら


今までの私の病気についてまとめた記事はこちら





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