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元麹町中学校校長、工藤勇一さんの本からの学び

子どもがあと何年かで中学生となりそうななか気になっていた存在、元麹町中学校校長、工藤勇一さん。

彼の著書、「学校ってなんだ!」を読んだ。

実におもしろい内容だった。
この本について2回に分けて書き記したい。

今回は、へー、そうなのかー、と思ったこと。
(間の抜けた感じですみません)

改善は戦略的に

何かを変えるとき、戦略的にやること。
感情的にぶつかっていかない。

まず皆が同意できるものから考えていく。
例えば校則について「優先順位リスト」というものをつくる。
そのリストを眺め、「命を守ることが大事だよね」と全員で同意する。
次はどうかな‥その次は‥
そう考えていくと、髪の色がどうとか靴下の長さがどうとか、もうどうでもよくなる、みたいな感じ?

私は割と率直に感情をぶつけ、言葉を吐く傾向があったので、実に耳が痛い。
戦略、戦略。
肝に銘じよう。

不登校生徒の親はまず自分自身を責めないこと

不登校生徒についての記述。
不登校の生徒の親は、自分を責めていることが多いのだそうだ。
自分を責める親を見て、子どもも自分を責める。
そうではなく、まず親は自然体でいること。
親が自然に振る舞っている姿を見て、子どもも自律に気持ちが向く。

確かに親が楽しそうにしていると、子どももなんだか楽しくなるものだ。
心当たりがある。
私自身、もっと生き方、過ごし方について、ふっきっていきたい。

リハビリのための3つの言葉

上記の不登校生徒につながる内容だが、以下の3つの言葉をかけることが有効だという。

「どうしたの?」

「あなたはどうしたいの?」

「私に手助けできることはある?」

これは使えそうだ。
この三段論法?でいこう。

優秀な先生がいればいいというものではない

特に担任制をとると、優秀な先生のクラスとそうでない先生のクラスの差が開き、そうでない先生のクラスが荒れることがあるそうだ。
決して学校のなかの先生同士の対立をつくらない。

そういう視点で先生たちを見たこと、先生の配置のあり方を考えたことがなかった。
相乗効果で良くなる、ということでもないんだな。

「コミュニケーション力」とは「もめたときになんとかできる力」

コミュニケーション力とは、だれとでも話せる力、ということではない。
考えが違うのは当たり前。
意見をぶつけることは当たり前。
そんななか、いかにそれに対処していけるか、そういう力。

問題行動を起こす生徒とはまず信頼関係をつくる

問題行動を起こす生徒がいると距離を置きたくなるものだ。
しかし決してそうしない。
見捨てない。
信頼関係をつくる。
そして自分のところに引き込む。
「うちのクラスに来いや」と言ってみる。

言葉は伝わらないもの

言葉は伝わらない。消えていくもの。
だからこそ、その言葉を発する順番が大事。
相手を揺さぶったとき、ようやく言葉が伝わったといえる。

感情的な対立は意味なし

何か問題が起きたとき、感情的に対立するようなことは決してしない。
誰の責任にもしない。
多くの場合、「仕組み」に問題がある。

あーこれ、「習慣化」できるかどうかは「仕組み」に問題がある、というそれと似ている。

学びの多い本だった。

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