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タンゴとロックンロール

アルゼンチンタンゴとロックンロールときいて、何か共通点浮かびますか? どちらも一世を風靡したポップ・カルチャーであること、はじめのうち公序良俗に反する、というイメージを持たれていたこと、どちらも踊れること……。でも、二十一世紀の現在、ファンベースもビジネスのスケールもロックの方が明らかに大きく、二つのミュージックシーンも直接関係ないような……。いやいや、あるんですよ、実は。
(タイトルイメージ by Nice M Nshuti on Unsplash

例えば?

 私がこの二つの関係を意識しだしたのは、タンゴ・ヌエヴォ(tango nuevo)タンゴの新しい踊り方の創始者の一人として知られるチチョ(Mariano "Chicho" Frúmboli)が「オレはロックスターになりたかったんですよ、ホントは」と言うのを聞いた時です(彼はBBCのドキュメンタリーでもそう言ってます)。はぁ、ロックスター? 彼の流れるようなダンススタイルと「ロック」は遠い感じだけど、どういう意味なんだろう?
 次に二つが重なったのは、あるミロンガダンスパーティのコルティーナでロックンロールがかかった時。コルティーナは、ひとしきり踊った後ダンスフロアから抜けたり、パートナーチェンジをするための時間です。なので、その間はタンゴ以外の音楽がかかり、フロアに残っている人も踊っていないのが普通ですが、その時は違いました。ロックンロールがかかるや否や、タンゲーロスタンゴを踊る人、それもかなり年配の彼らが、弾かれたように踊りだしたのです。その軽やかな足さばき、どうやら彼らはロックンロールもかなり踊りこんでいる!? でも、どうして年配のタンゲーロスだけなんだろう?

どういう関係? 

 この世代間で微妙に違う、タンゴとロックンロールへの愛着。いったいどういうわけでこのようになったのか? そこのところがようやく飲み込めたのは、あるアルゼンチン人のタンゴダンサーと話した時でした。お父さんもプロのダンサーでダンス教室も経営している、と言う彼に、じゃあお父さんからタンゴ習ったんだ、と言ったら、
「いや、親父が教えてるのはロックンロールなの。タンゴも踊るけど、あの世代の人はタンゴは、まあそれなりに、っていう感じだから」と言うではありませんか。
 彼のお父さんの世代が若かったころ、つまり1960、70年代はアルゼンチンタンゴの、特にダンスの人気が落ち込んだ時期でした。タンゴの人気は1930、40年代を頂点に世界的に下降線をたどります。さらに、アルゼンチン国内では軍事政権による文化の統制のせいで、大規模なダンスパーティー、コンサートなど人が集まる催しが自由にできなくなったことが衰退に拍車をかけました。
 その空白の中、ロックンロールがアルゼンチンの若者の心をとらえたのは自然なことでした。世界中を席巻していたロックンロールに比べ、タンゴを古臭いと感じた彼らはミロンガに行くことなく過ごし、タンゴを踊っていた人たちもロックンロールを踊り始め、その結果、次の世代の子供たちがあこがれたのはミロンゲーロではなくロックスターとなった、ということらしいのです。

Rock'n Tango around the world

 タンゴが勢いを取り戻すのは1980年代になってから、特にダンスショー、Tango Argentino がフランスを皮切りに世界中で大ヒットしてからでした。このショーに関してはまた機会があれば書いてみたいと思いますが、アルゼンチン国内でも、ある意味断絶の時期があった、ということは現在のタンゴダンスの成り立ちを理解するうえで、けっこう重要であるように思います。

 ややこしいことはさておき、最後に、タンゴの生神様の一人、ミゲル・アンヘル・ゾットがディアナ・グスペロとロックンロールを踊っているビデオをご紹介したいと思います。彼はタンゴ不振の時期も、ものともせずに踊り続けた筋金入りのタンゲーロ。それでいてロックンロールもジャイヴもさらりと踊ってしまう才能。この愛嬌、このエネルギー。何歳だったっけ? という問いは野暮と言うものでしょう。ここはひとつロックスター扱いで。キャー、ミゲル! キャー、素敵!

**最後まで読んでいただいてどうもありがとうございました**


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