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失敗を恐れているなら、恐らく君は失敗するだろう。

 こちら、今は亡きバスケットボールの名プレイヤー、コービー・ブライアント氏の言葉である。実は今日音楽学校のアンサンブル授業で最初に歌った学生さんが歌う前に僕に「私間奏から戻って来られないかもしれません」なんて宣言してきた。その時この言葉を思い出して「ああ、この子はほぼ確実に間奏から戻ってこられないだろうな」と確信した。

 そして案の定そうなった。コービー氏の言う通りだし、僕はどの学生さんに対しても「トライして失敗した事を怒ったこと」などただの1度も無いはずなので、一体なんの為にそんな宣言をして来たのか正直最初は理解に苦しんだ。もしかするとその子の今までの人生には残念ながら「トライした事」の価値を低く見積もって「失敗した事」を攻める大人が何人か存在したのかもしれない。う〜ん、そう考えると僕のが子供の頃の周りの大人たちはみんなイケていたんだなと思う。ちゃんと「失敗」しても、その事を責める代わりに「トライした事」を褒めてくれていたような気がするが、もしかすると「失敗を責める」ような「チャイチーな人達」のことは僕が勝手に記憶から完全に消去してしまったのかもしれないな、なんて事も思う。

 そして「失敗するかもしれません」なんて口に出して言ってしまうと言うのは、コービーさんの言う通り自ら「私失敗します」と宣言しているのとほぼイコールなのかもしれない。

 ただ、もしかしたらこれって「しっかり失敗してどこが悪かったか学び、今後はちゃんと間奏から自信を持って戻ってこられるようになりたい」と魂レベル、すなわち潜在意識がそう宣言させたのかもしれないので、それ自体が悪い事かと問われるとそうとも言い切れない気もする。

 駄目なのは「失敗すること」ではなくて「せっかく失敗したのにそこから何も学ばないこと」なんだろうなあ、なんてその後ちゃんと間奏から自信を持って戻れるように変貌したその子を見ながら思った。まあどんな「成功」も「失敗」を経由せずに勝ち得ることはほぼ不可能だ。そう考えると自分も含めて、これからもジャンジャン失敗して行けば良いんじゃないのかな、なんて今は改めて思っているんである。

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