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自分自身に「楽しんで良いのだ」と言う許可を与えよう。

 昨日、一昨日とスーパー老夫婦である両親、そして姉と4人で「温泉のあるホテル」に一泊で旅行に行ってきた。「今回の主役はあくまでも両親と企画してくれた姉なのだ」と何度も自分に言い聞かせたつもりだったのに、初日の入浴タイムもサウナを含めてガッツリ入浴(かなり早く風呂場から出た父をけっこう待たせてしまったが、まあ「先に部屋に帰っている」と言う選択肢も取ろうと思えば取れたはずなので、そこは良しとしたい)。翌朝も僕以外の3人は部屋に付いている風呂に入って軽く済ませていたのに対し、僕はしっかり大浴場(昨夜とは男女が入れ替わっているので、もう1つのほう)に行ってサウナ含めてやっぱりガッツリと入浴。さらには戻って来てからチェックアウトまでのわずかな隙間時間には部屋の風呂にまで入り、とことん「温泉三昧」した自負がある。

 ここ5年ぐらいで、そう決心して始めたわけでは無いのだが、なんとなく「自分の生き方を再構築している感触」があるのだが、そこでまず始めてみた事は「被害者意識を辞める」こと。こちら少しずつではあったが「被害者意識を持つ」と言う事は結局この世の中、もっと言えば創造主である神様を否定している事になるわけなので、良い方向に進むはず無いよなと納得して辞めて行かれた。すると同じベクトルの延長線上に待っていた「自分はなんとラッキーなのだ」と言う考えに辿り着き、今はありがたい事に自分の「既に持っている幸福」に沢山気付くことが出来ている。
 
 そしてここのところ「罪悪感を持つのを辞める」と言うのを少しずつ進めていて、その同じベクトルで「自分に楽しむ許可を与える」と言う習慣も本当に少しずつだが出来はじめているような気がする。こちら、ちょっとした事のように感じるが、例えば着なくなった服を処分するとか、毎晩の晩酌という謎の習慣を断舎離するとか、そういうので少しずつ「過去の罪悪感」を成仏させることが出来て、どんどん精神的に身軽になって行っている自負がある。

 僕が両親の今の年齢に到達するまでにはまだまだ時間がある気がするが、少しずつ「不必要な物や考え方」を処分して、もっともっと自分に「楽しんじゃって良いんですよ」と許可を出して行ってあげたい。ジャニーさんの残した「YOUやっちゃいなよ」と言う言葉を自分自身に囁く感じであろうか。そのほうが全然この世に産まれてきた意味を強く感じられるし、せっかくこの世に僕を送り出してくれた創造主である神様への恩返しにもなるんじゃないのかなあ、なんて今は思っているんである。

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