逃亡先を沢山作っておくこと。

 いわゆる「おじいさん、おばあさん、ひいおじいさんも一緒に住む」みたいな大家族では無かったが、我々家族プラス血の繋がった祖父(そして彼がそのお寺の住職であった)、加えて多くのお寺で働く血の繋がっていない大人達の中で育ったというのは本当にラッキーだったな、と今更ながら思う。

 周りから見たら「リョウちゃん、マジでヤバいんじゃないの!?」なんて言う状況でもいつも僕は「どこかに逃げ道があるはず」と信じて来た。事実今までもなんだかんだ言って色々なトラブルを乗り越えてこれらたから、いやそこから逃げ切ったからこそここにいるのだし、もしかしたら僕がある程度英語を喋るようになったのも「英語がある程度喋れれば、どこの国でも生きていける。いざとなったらどこか外国に逃げちゃえば良いや〜」と言う目論見がどこか心の底にあるような気がする。

 それとまあ、当時僕は子供だったので、血の繋がっていない大人たちがふと僕に本音を言ったりして「へえ〜っ、大人って本当はこんな事考えているのか」とわかったり、人によって言うことが違うのを見ては「正義って人が10人居たら10通りあるんだな」と言う事がぼんやりとでもわかったのはプラスだった気がする。お陰で今も自分の正義も「まあでも、これが真実かなんてわからないし」と少なくとも半分ぐらいは疑って掛かっている。今までにこうでない生き方をした事が無いのでよくわからないが、周りの人を見る限り、僕の生き方はかなりストレスが少ないように思う。

 何かを盲信して、そこに向かって一直線に進む人生でないと得られないものも、きっとあるのでしょう。でも、そうでない逃げ道の多い人生も捨てたものでは無いな、とこの年齢になってつくづく思う。みなさんが今の人生に満足であればそれで良いのだが、もし色々と不満があるのであれば「逃げ道の多い人生」も選択肢に入れてみるのも案外アリのかもしれないですよ、なんておせっかいな事を思ったりもするんである。

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