あなたを救うのは「恐怖」ではなくて「知識」である。
最近この事をつくづく実感している。だってクマが住んでいる森に入って、どこかからクマが出現するのでは無いかと怖がっていても、怖がっていなくても、出る時は出るし出ない時は出ない。それよりももし遭遇してしまったら「死んだふりは実は効果がない」とか「じりじりと後退りして距離を取って、その後一目散に逃げろ」と言う知識だとか「そもそもクマに遭遇しないように、クマが嫌がるカランカラン音が鳴るものを身に着けて歩け」とか、そういった「知識」のほうが大切なのではないだろうか。少なくともあなたを救うのはそういう「知識」のほうであって、間違っても「恐怖」では無いはずだ。
そう考えると我々がするべき事は何かにいたずらに怯える事ではなく、それに対処する「知識」や「技術」を身に付ける事のような気がする。例えばクマの習性に関する書籍を読むとか、武井壮さんに弟子入りして倒し方を教えてもらうとか…。
それと近いなと最近よく思うのが、何かが出来るようになるのに必要なのは「才能」では無くて、努力で習得した「技術」なのだなと言う事。勿論「才能」の要素がゼロでは無いとは思うが、それは高次元になってからの話であり、ネガティヴな人がポジティブになるのも、貧乏な人がお金持ちになるのも、おバカな人が知識人になるのも、どれも結局は努力で習得した「技術」以外のなんでも無いような気がする。「才能が無い」とか言って逃げている人は「それに向かって努力するほどそれがやりたいわけではない」事の言い訳をただ言っているだけだと思うので、そういう人の話には耳を傾けなくても良いんじゃないのかな、なんて言う気がしている今日このごろなんである。
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