「被害者意識」は実はファンタジーなのかもしれない。

 過去の自分も含めて、世の中には「自分では無くて他人やら環境のせいで酷い目にあわされた」なんて声高に主張する「被害者意識」の高い皆さんと言うのが存在する。

 しかし本当にそうでしょうか。例えばブラック企業に務めて身体を壊してしまった、と言う「被害」をあなたが受けたとして、それは本当に「被害」なんでしょうか。まず第一に単純に自分が「企業選択を間違えた」と言う自分の判断ミスを認めず、そのまま「身体を壊すまで辞めずに働き続ける」と言う「更なる判断ミス」を上塗りしてしまって現在に至るので、結局「被害を受けた」のでは無くて「そこで働き続けちゃダメだよ」と言う有り難い「天の声」を無視した自分のせいなのでは、と言う気もしてくる。

 そして最近もう1つ思うのが「世の中には答えは1つしか無い」と言う思い込みが本当に恐ろしいな、と言う点。「被害者意識の強い人」は「就職した企業がブラック企業であった」と言う事実を「被害」と言う1つの見方でしか見られてはいない。もしかすると実際に身を持って「世の中にはブラック企業という物が確実に存在する。そしてそこに就職するとこんなに大変」と言う貴重な体験をさせてもらったわけなので、実はそれはかなり貴重な、ラッキーな出来事なんではないか、と言う「もう1つの見方」に気付くことが出来ていないだけ、と言う可能性もある。

 そうやって考えていくと、色々な事が全てラッキーな事に思えてくる。よく本田圭佑選手が「俺は持っている」とおっしゃっていたが、どんなトホホな体験すらも「学習する良い材料を頂けてラッキー」と前向きに捉えていたに違いない。僕もそんな感じで24時間全ての事になるべく感謝しながら生きて行きたいな、なんて遅まきながら思っているんである。

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