夏目漱石『坊っちゃん』のクライマックスで、山嵐が赤シャツをボコボコにした理由を考察する
夏目漱石の『坊っちゃん』のクライマックスで、坊っちゃんと山嵐は芸者遊びを終えて朝帰りしている赤シャツたちを待ち伏せし、押し問答の末に袋叩きにしてしまいます。それに対して中田敦彦さんは『坊っちゃん』の解説動画で、「なんで芸者遊びを見つけてぶん殴んなきゃいけないのか意味がわからない」と発言していました。この記事では、山嵐がマジギレしてぶん殴った理由について、考察したいと思います。
1. 経緯
山嵐は11章にて、赤シャツの姑息な謀略によって辞表を書かされる目に遭ってしまいます。何とか鼻を明かしたい坊っちゃんたちは、赤シャツが隠れて湯の町の角屋で芸者と密会しているという噂を頼りに、向かいの宿屋で張り込みを開始するのでした。
待つこと8日間。ついに坊っちゃんたちは、赤シャツと野だいこが角屋へ入っていく姿を目撃し、早朝に出てきて杉並木の道を歩いているところを捕まえます。
角屋へ入る際に、赤シャツたちが「邪魔者」だの「勇み肌の坊っちゃん」だのと嘲笑っていたこともあって、怒り心頭の坊っちゃんは癇癪を起こして野だいこに生卵を叩きつけてしまいます。その一方で山嵐の方は、最後まで冷静さを失わず、言葉で赤シャツに非を認めさせようとするのです。
こちらがその場面です。
どうやら手を上げたのは、直前の赤シャツの発言である
「胡魔化す必要はない。僕は吉川君と二人で泊ったのである。芸者が宵にはいろうが、はいるまいが、僕の知った事ではない」
が山嵐をマジギレさせたと思われるのですが、この言葉にはどんな意味が隠されているのでしょうか?
2. そもそも「角屋」はどんな場所で、そこで赤シャツは何をしていたの?
ここで注目するべきは、芸者と密会していた「角屋」がどういった性質を持つ空間で、そこで赤シャツたちはどんな「芸者遊び」をしていたのかの2点です。
角屋は本文において、「宿屋兼料理屋」ぐらいしか書かれていないものの、芸者と遊興したり飲食を共にしたりする、いわゆる待合的な性質を持った場所であるように思われます。
それでは赤シャツと野だいこは、角屋で芸者に唄や踊り、三味線を弾かせたりお酒を飲んだりといった、ちょっとした宴会を催していたのでしょうか?
まずは本文をご覧ください。
そう、答えはNOなのです。
なぜならば、赤シャツたちが入店したのは少なくとも22時過ぎの「世間はだいぶ静かになった」時刻なのです。「遊郭で鳴らす太鼓の音が手に取るように聞こえ」て、「からんからんと(野だいこが)駒下駄を引き擦る音」がするほど、街は寝静まっているのです。
果たしてふすま1枚で部屋を仕切るような明治時代の木造建築において、そのような夜遅い時刻に宴席を催すことは可能だったのでしょうか? 仮に他の部屋でも宴席が行われていたら、「向かいの角屋は相変わらず賑やかだ」といった描写があるはずですし、赤シャツと野だいこが坊っちゃんたちを嘲笑する会話も、本文に書かれているほどはっきりとは聞き取れなかったはずです。
ここまで説明すれば、「芸者遊び」が何を意味するのかはおわかりでしょう。
この文脈での「角屋」は「ラブホテル」に、「芸者遊び」は「セックス」に置き換えられるのです。
3. ♂赤シャツ×野だ♀ あまりにも苦しい「カミングアウト」
それでは冒頭の引用文を、現代風に訳してみましょう。
「あたしがキャバ嬢とセックスしていた証拠でもあるのかしらん?」
「日が暮れたころに、お前の馴染みの嬢がラブホに入ったのを見たんだ。誤魔化せるわけないだろう」
「誤魔化す必要はないわ! あたしはね、吉川さんと二人でラブホに泊まったのよ! つまり、そういう関係なの! キャバ嬢が入ったかどうかなんて、知ったことじゃないわ!」
このあまりにも苦し紛れのカミングアウトというか、開き直りの発言に山嵐はブチギレて、赤シャツをぶん殴ったわけです。
もちろんマドンナや芸者との関係はカモフラージュで、赤シャツが本当に愛し合っていたのは野だいこという可能性もゼロではありませんが……。
赤シャツの衝撃的なカミングアウトを、あなたは信じられますか?
余談ですが、坊っちゃんの登場人物が全員ゲイであると推理する石原豪人氏の「謎とき・坊っちゃん―夏目漱石が本当に伝えたかったこと」という本があります。なかなかおもしろいので、もしも近所の図書館にあれば、読んでみるのもいいかもしれません(現在アマゾンの中古で30万近くするので、購入するのはちょっと現実的ではないでしょう)。
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