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日本語教師の本棚5「外国語を学をぶための言語学の考え方」

秋葉原は、実は昔「アキバハラ」と読まれていて、それが後に誤って「アキハバラ」になった。けれど今は結局「アキバ」と言われている(音位転換)。
バルカン半島は「ヴァルカン半島」と書かれることがあるけど実は「バルカン半島(Balkan)」でいい。だけど「ヴァルカン」と修正してしまっている(過剰修正)。
「この放送は三ヶ国語でお送りします」はおかしい。なぜなら実際には「一言語」=「一カ国」じゃないから(国語と言語)。

これらの言語学的雑学を見て「へ〜」っと思うだろうか、それとも「だから何?」と思うだろうか。「へ〜」っと思った方々には本書はおすすめ。「だから何?」と思った方々にはおすすめできない。

本書は言語学好きにはたまらない雑学や知識の宝庫だ。

つまるところ言語学の立ち位置というのはそういうものかもしれない。言語学の知識の入り口部分は「だから何?」と感じてしまう人にとっては当たり前のコトばかりだが、面白いと思う人には「沼」なのだ。ハマってしまったら抜けられない。

この「だから何?」感覚、実のところ私も日本語教育能力検定試験の勉強や日本語教師の養成講座を勉強をしている時に、しばし襲われた。

例えば「言語の恣意性」。「犬」は「いぬ」と呼ばれるけど、その動物と「いぬ」という音になんの関係もないという言語の性質。たしかにその動物、言語が変われば英語「Dog」と呼ばれ中国語で「狗 Gou」と呼ばれる。音と実態に関連性があれば、たとえ言語が変わっても同じ言葉で呼ばれるはず、ということ。そうならないのは言語の恣意性という性質によるもの。

その説明を読んでいて、私は「だから何。当たり前でしょ」と思ってしまった。言語学の父ソシュールさん、ごめんなさい。

やがて、勉強が進むにつれ、その「あたりまえ」を定義づけ、何が言語学の研究対象なのかを見極めたソシュールについて知ることになる。「ソシュールすごい!」という感覚が訪れ、それはやがて「ソシュール天才!」という賛美へと変わっていく。そうなってしまったらもうすっかり言語学のとりこだ。すでに「ソシュールありがとう」となっている。

この本は、そんな言語学に魅せられ、言語学にハマってしまった人にはめっぽう面白い「言語学エッセイ」になっている。

もちろん、日本語教育能力検定試験を受験する方々にもおすすめ。試験の重要キーワードが随所に出てくる。しかも、そうした用語をさらっとわかりやすく解説してくれているため、学んだ知識の確認作業や、補充に非常に役立つ。さらに、巻末には用語索引まである。なんて親切なんだ。受験勉強に疲れた時、過去問を解き疲れた時に、手にとって眺めるには丁度いい軽さの本だ。

私個人が、一番感銘を受けた一言が「言語は道具だ」という言葉への反論。時折外国語教師が、ドヤ顔で生徒に放つこのセリフは変だ、と。曰く「言語は道具と言うにはあまりに複雑すぎる」。たしかにそのとおり。掴みどころのない、変化し続ける、正解が状況によって変わるこの「言語」という現象を、「ただの道具」と決めてかかってしまうには、あまりに複雑すぎる。今では、「言語は道具なんだよ」と生徒に偉そうに言ってしまっていた自分は何もわかっていなかったなあと恥じている。

本書は「外国語学習とは」、「語学の才能とは」というテーマを、軽やかなタッチでさらっと扱っているが、その実内容は奥深い。

あと、個人的に落語好きの私にとっては、著者の黒澤龍之介先生のお父さんが落語家だったと聞いて合点がいった。平易で、親しみやすく、時々くすりとさせる文章術はすばらしい。

ただし、「外国語を学ぶための」というタイトルどおり本書から外国語学習のヒントが得られるかといえば、ちょっと疑問だ。そういうタイトルを意識せず、言語学について知りたいという人、日本語教育能力検定試験勉強中の方におすすめ。

#読書感想文 #言語学 #日本語教育能力検定試験 #毎日note

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