ガード下の機械工具街とパナソニック創業の地
阪神野田駅の近くに「野田阪神機械工具街」と呼ばれる地域があります。阪神電車のガード下に工具の町工場が並ぶ一角です。高架下と言えばすぐに飲み屋(私は大好き!)を思い浮かべる私には新しい発見でした。
野田阪神機械工具街は戦後間もない頃に、ベニヤ板1枚のバラック小屋から 始まったと言われています。国道2号線に直結する場所という特性から同じ業種の店が軒を連ね、徐々 に工具街としての存在を確立してきました。その後、昭和32年から始まっ た阪神電車の高架化に協力して各店舗が同電鉄の高架下に 店を構えたことにより現在の形があるそうです。(野田阪神機械工具街組合のホームページより)
約40の企業が工具街組合に加盟しており、イベントなどを開催し近隣との親睦を深めています。古き良き時代の町工場の雰囲気を残しつつ、時代に合った企業経営をめざす意欲が感じられます。
阪神野田駅
駅側の工具街入り口
ガード下にずらりと並ぶ工具店
シャッターにもカラフルなデザインが施されています。
阪神電車がひっきりなしに通ります。
高架の反対側からの眺め↓
近くには昭和の雰囲気がそのまま残る海老江地区の古い町並みがあります。
さらに、足を進めるとパナソニックの創業者である松下幸之助氏が最初に工場を構えた福島区大開地区があります。パナソニック創業の地と言われるところです。松下氏が23歳の時、家を借りて妻のむめのさん(当時22歳)と義弟の井植歳男さん(のちの三洋電機創業者、当時15歳)の3人で松下電気器具製作所を創業し、有名な「改良アタッチメントプラグ」「二灯用差込みプラグ」を考案したところです。
創業の家は大阪府立西野田工科高等学校の向いにありました。現在は他の人の家が建っていますが高等学校のフェンスに案内板がありました。ちなみに同校は明治40(1907)年に大阪府立職工学校として創立され、100年以上の歴史があります。
左手前の家が創業の家があった場所です↓
さらに足を進めると第一次本店・工場の跡があります。近くの銭湯の壁に案内表示がありました↓
第一次本店・工場の跡は看板しかありませんが、松下氏は生涯この場所を本籍地としたそうです。
地区内にある大開公園には松下幸之助氏の記念碑が建てられており、直筆の「道」という文字とことばが刻まれています。
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