【 モノの見かたについて 】

「不適切にもほどがある!」を楽しく拝見し また多くの気づきを得ました。

クドカンさんはこうした ややもすると炎上もしかねない難しい社会問題をコメディーに落とし込んでエンタメ化させたら天才的ですよね。

特に印象深かったのはやはり最終話でしょうか。

「寛容になりましょう♪」の歌は ドストライクながら今の世に響く とても素晴らしいメッセージソングだったかと思います。

この多様性への投げかけについて ぼくなりにひとつだけ補足で 誦えたいことがありましたので書かせていただきます。

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多様性 たしかに大事ですよね。

この言葉が世の中に浸透しはじめて 社会での人との接し方が大きく変わりました。

「ふてほど」では《静かになった》と表現されてましたが、なるべく軋轢を避け ジャンルごとに距離を置いてる感じがします

同じ街で同じ空気を吸ってながら まるで相手がいないように振る舞っていたり 多くの人が行き交う街を歩いていても まるで独りでいるような孤独を感じたりします。

この状態は寛容とは言えません。ただスルーしているだけです。

寛容というのは多様性を受け入れてこそ成り立ちます。目を背けるではなく目に入れながら社会に生きる必要があります。

障がい者、LGBTQ+、認知症高齢者、貧困層、自死遺族、累犯障害者、、マイノリティーの多くが台頭するようになってきました。

目を覆いたくなるような難解で複雑な辛い現実かもしれませんが、これこそ多様性です。

気がかりなのは興味を失うことです。興味を失った多様性の先には分断や隔絶しか有り得ません。

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またカラーも同様です 。

幸か不幸か 最先端科学技術、AIの発展で
じぶんのみたいチャンネルにだけフォーカスしながら過ごすことが可能になりつつあります。

究極的には夢を叶えずとも じぶんで操作し夢のなかで過ごすことができる時代が来るのかもしれません。そうなれば実際みる夢も神さまも必要なくなるディストピアです。

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わたしはじぶんに世界の多様性を感じ取れるれるよう 好奇心の大切さを銘じております。

いろんな世界から いろんな見かたを学びたい。ひとつのカラー ひとつのジャンルからでは ひとつの見かたしか得られません

それでは真の寛容さは身につかないと思うのです。

個人的には ウソも冗談も 毒っ気ある過激発言も 下ネタも なんでも好きですですが、
けれどもそれをシェアし合えるのは そうした好奇心を わたしと同じように持ち合える人だけなのだなということがノンジャンル集団「NOMAN」を組んでみて 身に沁みました。

まだ早かったのかな と今では思います。

Pのような存在が浮いて黙殺されてしまう世の中では 誰とでも冗談言い合える自由はもうどこにもありません。

ぜんぜん成熟してないです。いまの世の寛容は まだその程度です。

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