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扉の向こう

  これは、私の知り合い、占い師のYさんから聞いた話。

東京世田谷区に住むMさんは、奥さんと娘さんの三人暮らし。
空き家だった家を買い取り、そこをリフォームして住むようになったが、半年が立った頃、奥さんと娘さんからMさんはこんな事を聞かされた。

「夜中に女の人影を見たのよ……」

まさかそんな馬鹿な事そう思ったMさんは、その時は二人の話を相手にしなかったそうだが、その頻度が日増しに増える度に、ただ事では無さそうだと感じ、一度自分の目で確かめる事にした。

時刻は真夜中の一時。
Mさんがリビングで一人新聞を読みながら煙草を吹かしていた時だった。
季節は六月下旬だと言うのに少し肌寒く感じたそうだ。

何か羽織るものを取ってこようとソファーから立ち上がると、廊下から足音がしたという。

奥さんか娘がトイレにでも入ったのかなと思ったのだが、扉が開く音が聞こえてこない。

首を捻りながらMさんはリビングの扉に近付いた。
その時だ。

「うわっ!」

Mさんが驚きの声を挙げた。
視界の先、リビングの扉は磨りガラスになっているのだが、そのガラス越しに、薄らと女の人影が映り込んでいたのだ。

「だ、誰だ……」

ネグリジュの様な白い衣服を着た長い髪の女。
それが磨りガラスの向こうにひっそりと佇んでいる。
こちらに来る様な気配はなく返事も返してこない。

Mさんの奥さんも娘さんも髪は短い。
明らかに扉の向こうにいる人物は第三者だ。

強盗?
Mさんはそうも思ったが、見た目からしてそうとは思えない。
やはり奥さん達が噂していた例の人影なのだろうか?
そう思ったMさんの顔が、強ばり徐々に青ざめていく。
あまりの事にそれ以上声も出せず唇がわなわなと震えていた。
しかし奥さん達に確かめてみると言った手前、確認はしなければならない。
Mさんはゴクリと唾を飲み込み、意を決して震える足で前に踏み出した。
扉へと近付きドアにそっと手を伸ばす。
ガラスの向こうの女は未だピクリともしない。
ドアノブをゆっくりと回すと、扉を一気に開きMさんはその場から飛び退いた。

居ない。
目の前には暗がりの廊下が広がるだけ。

「何で……」

何処かに隠れているのか?Mさんはそうも思い辺りをくまなく見回した、だがやはり誰も居なかった。

見間違いなのかと、Mさんは首を傾げ再びドアを閉めた。
その瞬間。

「うわああっ!!」

磨りガラスに、先程の女の姿が映り込んでいる。
Mさんの恐怖は限界に達し、その場に崩れ落ちる様に尻もちを着いた。

人影はさも当たり前の様に、磨りガラスの向こうに佇んだままだ。

Mさんは腰を抜かし口を開けたまま唖然としている。
すると、不意に階段を降りる音が聞こえてきた。

「お父さん?」

「何かあったの貴方?」

奥さんと娘さんだ。
Mさんの叫び声に気が付き二人が二階から降りてきた。
Mさんがハッとして口を開く。

「だ、駄目だ来るんじゃない!」

が、その声と同時に扉の向こうにいる女がゆっくりと反転し、Mさんに背を向けてしまった。
その瞬時。

「きゃあああっ!!」

奥さん達の悲鳴が廊下から鳴り響いた。
Mさんは居てもたってもいられず立ち上がり扉を開いた。
廊下の先には奥さんと娘さんが互いに抱き合い蹲っている。
駆け寄ると、二人は恐怖に青ざめた顔で泣きじゃくり、ガタガタと身体中を震わせていた。
何かとんでもないものを見てしまったかのように。

その後、あの女は姿を現さなかった。
翌朝になり、ようやく落ち着いた奥さんと娘さんに何を見たのか尋ねると、化け物みたいな女が居たとしか話してくれなかった。

結局、奥さんと娘さんはあんな家には居られないという話になり、話し合った結果、二人はMさんを残し実家に暫く戻るということになった。

それからというもの、Mさんは一人暮らしを余儀なくされる事となった。
仕事の関係上仕方ないとはいえ、この家に一人というのは寂しくもあり、またあの事件の事もあって住みずらくはあった。
しかし、そんなMさんにも唯一の救いがある。
それはパソコンでのリモートで毎晩家族と話せる事だった。
画面越しとはいえ家族の顔を見れるのは、Mさんにとって寂しさを和らげる欠かせない時間となっていた。

そんな生活が続いたある日の晩の事。

夕食を済ませたMさんはリビングでノートパソコンを開き、リモートで家族との束の間の団欒を味わっていた。

「変わりないみたいだな」

「ええ、私もあの子も元気にしているわ」

「そうか、それを聞いて俺も安心……」

その時だ。
突然風もないのにカーテンがふわりと揺れた。
窓は閉まっているしエアコンも付けていない。
ドキリとしながらMさんは部屋を見回し始めた。

「どうしたの貴方?」

「え?あ、いやちょっと、」

が、言いかけたMさんの顔が瞬時に固まってしまった。
まるで信じられないものでも見たかのように。
その光景を見ていた奥さんと娘さんも、ただならぬ事を察してか怯えた表情を浮かべている。

Mさんがゆっくりと席を立ち上がり、リビングの扉へと近付く。
微かに震える手。
Mさんが驚愕の表情を浮かべながら磨りガラスに目を見開いた。

あの女だ。
磨りガラスに映る、扉の向こうにいるあの女の影。

しかし、Mさんは複雑な気持ちだった。
あの異常な恐怖体験もあったが、それ以上に家族がバラバラになってしまった経緯に怒りも感じていたのだ。

Mさんは歯を食いしばりドアノブに手を伸ばした。
震える手で扉を一気に開く。

だが女の姿はない。
Mさんは扉を閉め廊下を慎重に歩いた。
物陰や廊下に目を向けるが、やはり女の姿は確認できない。
仕方なくMさんは振り返りリビングに戻ろうとした、だがその時だ。

彼の目が異様に見開いた。
磨りガラスの向こう、リビングにあの女の姿があったのだ。
しかもその人影はゆっくりと歩きノートパソコンの前に向かうと、画面の方に振り返った。

ハッとして扉に駆け寄ったMさんだったが。

「きゃあああっ!!」

リビングからあの時の夜と同じ、奥さんと娘さんの悲鳴が挙がった。
急いで扉を開くMさんだったが、あの女の姿はもうそこにはなかった。

以上が、YさんがMさん家族から受けた相談内容だ。
結局、Yさんが再度コンタクトを取る前に、耐えきれなかったMさん家族達はあの家を売りに出してしまったという。

なぜMさんではなく、奥さんと娘さんの前にしつこく現れたのか、そして奥さんと娘さんは一体その目で何を見てしまったのか……あの家に行けば、その真相に触れられるのかもしれないが……。






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