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入れてはならない

その日、大手出版社に務める橘さんは、繁忙期を終えようやく取れた連休に合わせ一人旅に出た。
ドライブが大好きな橘さんは意気揚揚と車に乗りこみ、宛もなく車を走らせる。
峠を越え山間から覗く景色を満喫しながら、橘さんは来て良かったと満足気に運転していた。
ふと、折角遠出したんだから今日はこの辺りで一泊して行こうと考えた橘さんは、山間の山道から下り、民宿か旅館などないかと探し回った。
しかし中々見つけられず、ようやくそれらしい立て看板を見つけた頃には、時計の針が午後二十時を指し示していた。

車を降り案内通りにある民宿を見つけると、インターホンを押した。
入口にはチェックイン二十一時までと記されてある。
良かった、ギリギリセーフのようだ。
橘さんがそう思っていると、入口から中年の女性が慌てて扉を開いてきた。
どうやらここの女将のようだ。

「あのすみません、一晩泊めて頂きたい」

「困ります!」

言い終わるや否や女将が言った。

「え?いや、だってまだ時間が……」

「そうですけど……」

女将は困り果てた顔でそう返した。

「お願いします、この辺りじゃもうここぐらいしかないので何とかなりませんか?」

橘さんは何とか食い下がり女将に必死に頭を下げた。

「何で今日なんかに……はあ……分かりました……その代わりお願いがあります……」

「ありがとうございます!助かります。それでその……お願いというのは?」

「今日はもう外には出ない事、そして他に誰か訪ねても絶対に中に入れない事……いいですか?」

橘さんは一瞬頭を捻りそうになったが、折角泊めてくれるという女将の機嫌を損ねてもまずいと思い、それを快く承知する事にした。

「どうぞ……記入し終わったら部屋に案内します……」

そう言って女将は橘さんを渋々中へと案内してくれた。
チェックインを済ませ部屋へと案内された橘さんは、早速シャワーを浴び旅の疲れを癒した。
その後軽い食事を済ませると、一階のロビーでビールを買った。
ツマミもあったのでこれも購入。
休憩室にそれらを持ち込み、橘さんは一日の締めくくりと一杯始める事にした。

そういえばここ、今日は客俺一人っぽいな。

ここに来てからというもの女将以外とは誰ともすれ違わなかった。
駐車場も橘さんの車だけ。
田舎の民宿だしこんなもんなのかなと、橘さんは一人苦笑いをこぼす。

やがて、時計の針が深夜を周り、そろそろ部屋に戻ろうと橘さんが休憩室の灯りを落とした時だった。

──コンコン

突然入口から音がした。
既にロビーの明かりは消えており、気になった橘さんは暗闇の中入口へと近寄った。

聞き間違いか?
そう思い入口に耳を澄ます。

──コンコン

橘さんがビクリと肩を震わせる。
間違いない、外に誰かいる。
思わず鍵を開け扉を開けたがシャッターが降りていた。
そこでふと、橘さんは女将が言っていた言葉を思い出した。

『他に誰か訪ねても絶対に中に入れない事』

そうだった。
橘さんは咄嗟に入口に向かって声を掛けた。

「すみませんどなたですか?」

しばらく待つが返事はない。

「あのお」

そう言った時だ。

「助けて……ください」

女の声がした。
今にも事切れそうなか細い女の声。
これは何かあったに違いない。
しかし女将には決して入れないようにと言われている。
橘さんがどうしたもんかと迷っていると、外から再び女の声が聞こえてきた。

「け、怪我をしているんです……助け……て」

「怪我!?」

それはまずい。
どんな事情であれ怪我人を放っておけるわけがない。
橘さんは急いでシャッターの鍵を外し持ち上げた。

シャッターがガラガラと音を立て持ち上がっていく。
女の足先が見えた。
続いて手先が見える。
女は着物を着ているようだ。
が、橘さんの手はそこで止まってしまった。
上がらないのではない。
手が震えていたのだ。
女の足、よく見るとグシャリとあらぬ方向に曲がり歪にゆがんでいる。
手先も指が潰れており大量の血が地面に滴っていた。
橘さんがそれらを見て躊躇していた時だった。

「何をしているの!!」

「えっ?」

声に振り向くとあの女将が血相を変えて駆け寄ってきた。
しかも呆然とする橘さんを他所に、開き掛けたシャッターを思いっきり下ろし再び鍵を掛けてしまった。

ハッとして我に返った橘さんは慌てて女将に口を開いた。

「何を!」

その瞬間。

──ドンッ!

「うわっ!」

シャッターが音を立て大きく揺れた。

──ドンッ!

またもや何かがぶつかる音が響く。

「な、何なんですかこれ!?」

橘さんが青ざめた顔で女将に問いだたす。

「絶対に入れるなって言ったでしょ!」

「いや、で、でも怪我をしてるし助けてって!?」

「助けたくても助けられないんだよ!」

「助けられないって……どういう意味、」

──ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!

「ひっ!」

橘さんが悲鳴を零しその場に尻餅を着いた。
ぶつかってくる音が明らかに増えている。
一人ではない、おそらく外には他にもいるようだ。
女将は扉を閉め鍵をかけると、座り込む橘さんを無理やり立たせ管理人室へと招き入れた。

二人が息を切らせその場に力無く座り込む。
遠くからはシャッターにぶつかる衝突音が微かに聞こえていた。

「な、何なんですかあれ!?」

橘さんが女将に詰め寄るようにして尋ねた。

「お客さん、この辺りには詳しくないのかい?」

「は、はい、ここには初めて来ました」

「だったら花魁淵って聞いたことないかい?」

「花魁淵?」

「ああ、ここから上流に登った所にある渓谷さ。昔そこで悲惨な事が起きたんだよ」

「悲惨な事?」

女将は橘さんに頷くと、重苦しい口を開いた。

「あそこには昔隠し金山があってね、当時の殿様が配下にこっそり掘らせていたんだ。その時の配下を労うために五十五人の遊女も呼んでね……けれど隠し金山の事がバレることを恐れた殿様は、その遊女達を宴と称して崖に呼びつけ、全員口封じの為に滝底に突き落としたんだよ」

「さ、そんな酷いことが!?」

「まあ伝承だとは言われてるけどね……」

「で、でも何でその話しとあ、アレがどう関係あるって言うんですか!?」

「滝底からこの村にある沢は繋がっているんだよ。当時突き落とされた遊女達はほとんどそこで息絶えたらしいけど、かろうじて生き延びた女達が川に流されここまで辿り着いたらしい……生き延びた遊女達は沢から這い上がり死に物狂いで近くの家々に助けを求めた……」

「じゃ、じゃあその人達だけは助かったんですか?」

橘さんがそう聞くと、女将は残念そうにゆっくりと首を振って見せた。

「な、何で!?」

「追っ手だよ……口封じに殺そうとしたんだ……もし匿えば村のもんも同じ目に合わされる。そう思った当時の村人達は助けを求める遊女達を見殺しにしたんだよ……それからさ、一年に一度、今日に限って奴らが現れるようになったのは……」

「そ、そんな……」

愕然とし項垂れる橘さんの耳元に、扉を叩く音がいつまでも虚しく響いていた。
結局一睡も出来ぬまま朝になると、あの騒ぎはピタリと嘘のように止み、二人は事なきを得た。
橘さんは女将にお礼を言うと、近くで花を買い、帰り際花魁淵に向かうと、無念の内に亡くなった遊女達に花を添え手を合わせたという。

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