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人生の分岐点について考える。今の自分はどう作り上げられたのか。①

こんにちは!大学生Ryoです。

前回の記事では自分がどのような人間なのか、主に経歴や趣味等の観点からお伝えしました。今回はどんな経験や出来事が今の自分を作ったのか、つまり人生の分岐点(ターニングポイント)を振り返って、より一層自分がどういう人間かということを知って頂けたら嬉しいです。

自己紹介の記事を載せておきますので、まだ読んでない方は是非!


「あなたの人生の分岐点を5つ挙げてください」



現在就職活動をしている大学生Ryoは、共に就活を頑張っているメンバーからこの質問をされました。彼はとある大手企業の面接でこの質問をされたそうで、この問いは自己理解についてとても重要な問いであると感じました。

ということで、僕の人生を自分なりに振り返って分岐点を5つ挙げてみました。

※分岐点とは、「今の自分の価値観や性格を構築した出来事を、経験することとなった決断や選択のこと」、と定義しておきます。

①サッカーを始めたこと(5歳)


まず初めにサッカーを始めたこの瞬間というのが、現在の僕を作り上げる最も大きな分岐点であったと自覚しています。

ここでのキーワードは「僕のすべて」です。

サッカーを始めたこの瞬間から、現在に至るまで生活の中心はサッカーで、サッカーをしていたことで得た物、形成された価値観は計り知れません。現在の僕の性格や強み、考え方、親友、仲間、なりたい将来像、ほぼほぼすべてがサッカーをしていたことによって創り上げられています。


②Yコーチとの出会い(13歳)


次に13歳のタイミングで大きな分岐点が来ました。中学3年間をどこでサッカーをするのか、という決断でした。選択肢は3つ。

1.自分が通う予定の公立中学校にサッカー部を新たに創設して、そこに入部する。

2.小学生の時のチームメイトが多く所属した、地元(市内から選手が集まる)のクラブチームに所属する。

3.通うのに年間100万円必要といわれていた、レベルの高い(愛知県の知多半島一帯より少し大きいくらいの範囲から選手が集まる)クラブチームに所属する。

厳密にいうと選択肢1は、父親が校長先生にサッカー部創設の話をしに行ってくれましたがそれが実現することはなく、選択肢2、3の2択であったという状況でした。結論、僕は選択肢3を選び、様々な困難が想定されるであろうクラブへの挑戦を決めました。この決断の背景としては、選択肢3のクラブチームの代表が僕が小学5年生の時から僕のことを認知してくださっていて、声をかけていただいていたことが一番の決め手であったことを記憶しています。
金銭面や送り迎え(車で片道約40分)など両親にたくさん負担をかけることになる決断ではありましたが、おそらく2人ともこの挑戦を後押ししてくれていたと思っておきます。(この件について後になって両親と話をしたことがないので本音は不明です)
この選択の末、僕の人生の分岐点の一つとなるYコーチとの出会いが実現しました。当時は想像もできなかったけど、今となってみればこの決断は非常に大きく、重要な決断の一つとなりました。

ここでのキーワードは「自分を律する」です。

Yコーチは俗にいうスパルタ的指導を主体としていました。ただの中学生が、学校が終わってから移動時間を含め平日18時~22時の練習、週末1日中公式戦もしくは練習試合というスケジュールであるということですらハードな上に、精神的にも負荷をかけ続けられる毎日。(理不尽なランニングトレーニング、一度叱られると数日間練習に参加できない、少しでも妥協すると罵声が飛んでくる、胸ぐらを掴まれたりお尻を蹴られることも)当時は本当に練習に行くのが嫌だったし、試合中ミスをしたくないからボールを受けないような工夫をしてた時期もありました。ですが、今振り返るとこの経験がなかったら、現在の僕の強みやそれ以降成し遂げてきた成果は作れなかったと思っています。「自分を律する」。これを中学生ながらにして叩き込まれたことは大きな分岐点であったと感じます。



ここまで読んでくださりありがとうございます。
この記事を書いていて気づいたら3時間ほどたっていました。長い長い記事になりましたので、前後半に分けることとします。
後編では人生の分岐点③④⑤を紹介します。
後編もぜひ読んでもらえると嬉しいです!

では、また。

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