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山深く緑濃い道行き🏞️

小さな川魚 蛇 蝶 蜘蛛の巣。 

我が家は夏の一週間を父方の実家で過ごしていました。

山奥の祖父母宅で悠々とした田舎時間を過ごすなか
恒例になっているのが

海へ行く事とお墓参り。

お墓といって思い浮かぶのは お寺にある先祖の墓石をキレイにして仏花やお供物を置いてみんなで手を合わせるというものでしょう。

ですが祖父母の墓参りはまったく違います。

お寺にお墓がはないのです。

祖父母の家から片道約一時間弱。

石ころがゴロゴロする山道を歩き 山の中へ入ります。祖母の手には鋤やカマ。孫たちの手には仏花や虫取り網と虫かご。そして水分補給用のお茶。

川では小魚がチラホラ泳ぎ たまに沢蟹がシャカシャカ歩き トンボが飛んで 蝶が飛び 追いかけているうちにドンドン山深くなっていく。

川は姿を消し両側は山の斜面と崖。道は整備されていない昔の街道のように、でこぼこしているし草も群れて 石ころも大小転がっている。

歩き慣れている祖母がいるから歩ける道だ。

本当は足の早い祖母も あちこちワチャワチャ動き回る孫たちがついてこれるように、ゆっくり歩いてくれていた。

そんな夏の暑さを忘れる緑のなか。

突然蛇が出てくる。
普段なら驚いて逃げるけれど 田舎という非現実的な雰囲気になんだか妙にテンション高めで 蛇を見に行く。そんな孫たちを止めない祖母。その蛇が毒を持たない蛇だとわかっているからだ。

蛇は悠々と右に左に身体をくねらせて草むらへ隠れてしまう。その後を追うと 茂みに張り巡らされた蜘蛛の巣。それは木立から漏れる陽の光を受けてキラキラとしていた。

蜘蛛の巣をキレイ✨と思ったほどだ。

その中心にいるのは女郎蜘蛛。
いつもなら逃げ腰なのに キラキラ光るツユを背景に、張り巡らせらた幾何学模様の立派な巣の中心で鎮座するその姿をカッコイイと感じた。

街と田舎という環境の違いで にがてなものや怖い虫たちまで 違う感覚で見ることができる。

同じものを見ているのに ここでは興味深く見つめていられる。

現実世界から別の時代へ来たような感覚もあって
とても不思議だったのを覚えている。

そうこうしているうちに 祖母が山の斜面に足を踏み入れていく。そこは獣道。
普通の人は絶対道に見えない程の道。

両脇は草が生え放題に生え 熊笹や木々が生い茂る。この道を行くときは祖母の背中を見失わないようにしないと危ない。

そしてたどり着いたさきに 少し平らな場所がある。そこはキレイに草が処理されていて 見晴らしがきくので少しホッと息がつける場所だ。

孫たちの帰省に合わせて 祖母がいつも以上にせっせと草刈に来ていてくれたから すっかりきれいになっているのだ。

そこには2~3歳位の子どもと同じ高さの石が五つだっただろうか(うろおぼえ…ごめんなさい🙏💦)
並んでいる。その墓石はキレイに形作られたものではなく 自然の形の石を縦に置いたような配置。
その向こうにはふもとの景色が見えていた。

高低差からみて 遊びながらとはいえよく登ってきたと思う高さまできたここは 祖母の子ども達。私や弟と従兄妹のおじさん達のお墓だった。

毎年ここへ祖母とだったり 私の父親とだったりと連れだってやってくる。

お寺ではない よく整備すれば見晴らしの良いこの場所にひっそりと並んで建っているお墓たち。

持ってきた仏花を供え 手を合わせる。線香は火事になってはいけないので灯さない。お供えのお菓子なども タヌキ達の餌になってはいけないのでおかない。
ただ仏花だけがおかれ セミのなくなか静かにみんなで手をわせる。

祖父母はちゃんとした村のお寺の檀家だ。それなのにそのお寺にお墓を建てていない。

覚えているのはここもお寺の土地の一部だと聞いた記憶がある。

それにしては……と思わざるおえないが それには昔の時代の理由というものがあった。

その理由は従兄妹達の両親が、一緒に祖父母の家に帰省しない理由にもなっていた。

      

山深く緑濃い道行きvol.2🏞️

🎶少年時代🎶井上陽水さんの曲~

夏になると帰省していた田舎の風景と一緒に必ず思い出し 口ずさむ曲。

vol.1の記事の続きとなります。

お墓参りの後 夕刻の空一面を薄いオレンジに染める夕陽。

お出かけ散歩気分ではしゃいでいた私達孫連中も

帰りはさすがにお疲れモード。

辺りは都会のような生ぬるく汗がベトベトする風とは違う サラリとした夏の風が 半袖から出ている腕や 素足を撫でてゆく。

蝉の声がまだ山じゅうに響く風景は ノスタルジックで、心に懐かしさや 心地よい寂しさを感じさせ夏の終わりを彩る。

小さなお墓たちを後にして祖父母の家へ戻る道筋。

山を降りる間も 後ろ髪を引かれる気分は毎年の事。

自宅に帰り いつもの生活に戻れば その忙しさに追われて今この時の事は 心の奥底に沈んでしまうが 山を降りる最中は小さなお墓たちへの思いが 一滴一滴 心の波紋となって広がっていく。

医療技術の発展と医薬品の量産で子どもの生存率が上がり 平均寿命も右肩上りの世の中となった現在。昔のこの国の状況からでは考えられない進歩だ。

医療技術も医薬品もそんなに無く 万人が医療の恩恵を受けられる状況ではなかった時代がこの国にも確かにあった。

山奥や寒村で生活をしている人達ともなれば 医療を受ける以前に その日の暮らしで精一杯の人達が多かったはず。

祖父母たちもそんなに裕福ではない側の生活だった。

お墓参りの日の夜。

布団をひいた和室で寝ようとして 電気を消すと 網戸に微かな光の点滅を見た。

そっと近寄ると一匹のホタルがピカピカと光を発していた。

初めて見る蛍。

それが間近にいて ピカピカ光を放っている。ワクワク感でジッと見つめていても 逃げる様子もなくそこにいてくれた。

何度も点滅する明かりは電気の明かりよりも柔らかく星の光よりも明るい。

蝉と同じで一夏を一生懸命生きる蛍。

蛍にとっても蝉にとっても自分の一生を儚いとか、考えたりはしていないだろうけど 人間よりも短い一生を生きるその姿に儚さやそういう雰囲気にノスタルジーを感じてしまう。

日中にお墓参りに行ったせいか幼いながらもセンチメンタルになっていたからかもしれない。

自分と同じ年齢までこの世にいられなったおじさん達……。

曖昧な記憶だが 祖母が産んだ子どもは7~8人。

その内4~5人がお墓の中だ。

生まれてすぐや可愛い時期にいなくなった。

そして最後の三人が私の父親と兄と弟。

三人も三者三様の人生を送ってきた。

特にお兄さんにあたるおじさんは、村の中では優秀な子どもで、親としても学校へ行かせたかったが 祖父母の家は子どもを進学させられる程裕福ではなかった。だが、おじさんの上の子ども達を幼くして亡くした祖父母はどうにかしたかった。その時 村にいる裕福な親戚筋に子どもに恵まれなかった家があり そこから養子にしたいと常々申し出があったこともあり 祖父母はおじさんを養子に出すことにした。

それ以降おじさんは祖父母の元へ帰ることがなかった。育ての親をたててのことだと思われる。

祖父母にしても情が移ると手放せなくなるのはわかっていたのだろう。会いに行くこともなかった。

そんなこともあっておじさんは帰省せず子どもだけを私の父親に預けて帰省させていた。

おじさんとしては生みの親へのせめてもの恩返しといったところだったのだろう。

運命とはいえ 自分たち自身に学がなく 裕福でもない。そんな中で愛し子を失い続け せっかく育った子のうち一人は養子に出し、縁遠くなった。

残り二人が側に居続けたかといえば そんなことはなく 早くに親元を離れた。

このことだけを考えれば子どもと縁の薄い夫婦だろうが その時代には誰にでもよくあった事なのかもしれない。

孫が育ち 夏の盛りに顔を見せてくれるようになったことは 祖父母達にとって嬉しい事であったと思いたい。

嫌なことも楽しい事もあったが後半は良い人生だったと思ってくれていたら嬉しい。

今日は春の彼岸 

春が過ぎれば夏が来る。もう帰ることはない田舎ではあるが 思い出の中のあの日の景色は 風は 
匂いは 今も鮮明に思い出せる。

少年時代の歌を口ずさみながら またあの日を思い出す夏が来るのを静かに、楽しみに待つとしよう



#創作大賞2023 #エッセイ部門

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