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「失敗」のスゝメ、その3 子どもが抱く学校・授業の感情を考察する。

学校の先生をしている夫です。

夫は毎年4月の最初の授業の際、アンケートを取っているそうです。
「この科目は好きですか?」
「この科目の苦手な分野は何ですか?」
といった授業に関すること以外にも、

「学校に来て授業に参加することは好きですか?」
「困ったことがあったとき、だれに相談しますか?」
のような学校生活全般の設問もつくっているそうです。
(「複数回答もいいし、答えたくないものは答えなくてもいいよ、答えてくれると嬉しいけどな。」 といったことを伝えながら、回答をもらうそうです。)

このアンケートの一番最後に、
「授業に参加する上で、この科目の担当の〇〇(夫の姓)に伝えたいこと、お願いしたいことなど、どんなことでも書いてください。
 ※ただし、要望を全て応えることはできないかもしれません。」
という欄をつくっているそうです。

10年くらい前までなら、
「1年間よろしくお願いします。」
「好きな(苦手な)科目ですが、頑張ります。」
が大半を占めていたのだとか。

「楽しい授業を期待しています。」
「将来、〇〇の進路に進みたいので、頑張ります。」
のような回答があると、夫としても授業のやる気が出るそうです。

それが、ここ2年ほど、この設問に対する回答に変化が出てきたのだとか。
「テスト・授業を簡単にしてください。」
(場合によっては、定期テストはしないでください。)
「授業中、急に指名して、答えさせることは止めてください。」
「宿題・課題は出さないでください。」
「ディスカッションとか、全体の前で発表するとか、そんな発表をする授業は嫌いです。」
「コミュ障なので、答えられません。私を指名しないでください。」

このような回答が増えてきました。
それもかなりの数になるとか。

夫の知り合いの先生方に聞いても、似たような傾向があると感じている方も少なくありません。

この回答を見たとき、夫はため息をつくそうなのですが、
これが「最近の」子どもの感情がはっきりと表れている
と考えています。


ここからは夫の推察になります。

推察①
子ども達は、考査や授業中の発言といったもので「他人」と比べられることを極端に不安がっており、恐れている。

・テストが毎回満点に近かった子ども
・授業中の発言で先生から褒められてばかりしていた子ども

であれば、不安になることは少ないものになると考えます。

それでも、他人の前で、自信がないものでも発言せざるを得ない状態で、何とか「その場をしのいできた」子どもであれば、不安になるでしょう。

推察②
子ども達が「勉強嫌い」になる頃から、不安に感じる場面が増えている。

小学校低学年の頃は、算数にせよ、生活科(理科・社会)にせよ、高校生に比べ、「授業が嫌い」という子どもは少ないでしょう。

小学生が授業中に寝ている、なんて聞いたらそれこそ問題ですが、高校生が授業中に寝ている、という生徒もいることでしょう。
(授業中に寝ることに関する夫の考えはまた別の機会に話します。)

小学生の授業の場合、教室で座ってばかりの授業だけでなく、
・校庭で探検してみよう(探してみよう)
・違いはどれか、探してみよう

といった、(語弊を招く表現かもしれませんが)ある種のアトラクションのように、授業の中に体験活動が盛り込まれているものが多いのです。

それがいつの頃からか、教室で座り、
・先生の指示に従ってノートを書く。
(というよりは、黒板を写すことがノートを書くこと、と考えている子どもがかなり増えています。)
・先生の指名によって、椅子から立ち、全員の前で発言する。朗読する。
・先生の指示に従って問題を解き、黒板に書く。
・先生の話を聞いて、プリントに感想や気付いたことを書き、提出する。
・単元テストや小テストに追われる。

このような授業形態が通常となってきます。

子どもの発達段階から、このような活動にいわば「進化」しているのでしょうが、この流れに乗り切れない子どもも中にはいることでしょう。

この流れに「乗り切れない子ども」が、これまでの授業中の「失敗」経験がトラウマのようになっており、授業での失敗から逃れようと必死になっているのかもしれません。

そのような子ども達ほど、授業が詰まらなく、不安になり、授業に参加する(キツイ言い方になりますが、「授業中は席に座って、先生の指示されたことについていこうと必死になっているだけ」の状態)になってしまっているように感じます。


夫もこの度の「学習指導要領の改訂」で学校を大きく転換するときがきた、と考えていました。

社会情勢の変化がこれまで以上に速くなっている中、学校も旧態依然の形態を変える必要がある、と文部科学省の意気込みを感じた、と話していました。

ただ、実際に始まってみると、「何か」が違う、というのです。
・学校自体もこれまでの忙しさがさらに厳しい状況になっている
(その変化についていくのが精一杯、という先生も少なくないでしょう)
・先生方も暗中模索している中での授業となり、子どももその変化がまだ分からない

といった状況にあるのかもしれません。

これまで学校は「生きる力」をはぐくむことが大きな目標だったようですが、
これからの学校は
・主体的、対話的で深い学び
・「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実

が求められているそうです。

そのためにも、子ども達が不安なまま授業に参加する、という状況をいかに融解するか、また、どれだけ積極的に他人との協働活動をしながら授業に参加できるか、ということが求められることでしょう。

学校、授業をつくるのは先生方だけではありません。
主役は先生ではなく、子ども達です。
その子ども達が飛躍できるように望んでいる先生ばかりかと思います。

子ども達の活動が活き活きとしている学校、何よりも、子ども達が深い学びをすることができる「楽しい」学校が増えていくことを期待しています。

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