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アドルフヒトラーへの思い

私を地面に例えるなら

私を地面に例えるなら、彼は大きな木です。彼は、私という地面に深く根を張り、私を支え、私という地面を肥やしています。私はヒトラーから多くのことを学びました。今回は、それを具体的に紹介したいと思います。


若いうちは向かい風を経験しておく

どういう意味かというと、若いうちに世間に逆らっておく、ということです。日本では、良い子の基本は従順という考えが深く残っていますよね。しかし、私は違うと思います。若いうちはとことん逆らってみるのです。逆らって見ない限り、それが本当に正しいことなのかわからないじゃないですか。ヒトラーは、大衆のことについてよくわかっていました。それは、彼は若い頃、大衆を外側から見ていたからです。外側から見たことで、大衆の塊がどんな形をしているのか、具体的に理解したからです。ヒトラーが大衆を引っ張れたのは、彼が若い頃、大衆の波を逆らう強さを身につけていたからです。私は思います。天才とは天才の世界と大衆の世界を行き来できる人だと思います。行き来することで、内側から見た天才の世界、外側から見た天才の世界、内側から見た大衆の世界、外側から見た天才の世界の全てを知ることができます。そして、始めてこの二つの世界の本質を知ることができるのです。

自然は残酷である

自然は残酷であり、生命力がないものを容赦なく排除していく。ヒトラーはそれを知っていました。人間はこの自然の残酷さから何度も何度も目を逸らしてきました。自由、平等、民主主義はそれによって生まれた産物の代表的なものです。彼は自然の秩序を司る偉大な大地母神の声をききました。人類を自然に回帰させよ、という声です。この世界は弱肉強食なんだ。ものごとは鉄と血でしか解決できない。力への意志こそ全てであることを悟ったのです。私はヒトラーと出会ってから自然に敬意を持つようになりました。自由、平等、民主主義を疑うようになりました。そして、生きたいという意志こそが全てであることを確信したのです。

読書

私はヒトラーと出会うまでは読書は苦手でした。なぜなら一日で読破しないと気が済まない人で、焦って読んでしまい、結局、内容を理解せずに終わってしまうからです。しかしヒトラーと出会ってから読破する必要などないことに気付きました。読書は人生の偉大な目標を達成するための手段であり、それ自体は目的ではないのです。私はその目標を達成するために必要な材料を集めるために読書をするのです。

この世界を愛する

この世界は残酷です。闘争と復讐の繰り返しです。しかし、そんな世界を愛さない限りこの世界の勝者になることはできないのです。この世界を愛して始めて生命力が生まれるのですから。 ヒトラーは言いました。君はこの世界から逃れたいと思うかもしれないがそれは不可能だと、死んでも時期がくればまた再生するのだから。だからこの世界を愛し、勝者になるべきだ。その道しかないと。

神話

私はヒトラーと出会ってから神話に興味を持ち始めました。ヒトラーは神話こそが民族の文化の基盤であることを知っていました。考えてみてください。神話のない民族を、文化を、国家を。その文化は飢餓状態で外国の文化を貪り食っているようなものです。

本当にヒトラーだけが悪いのでしょうか

ホロスコートも第二次世界大戦もヒトラー、ナチスだけの罪でしょうか。私は違うと思います。全人類の罪です。全人類が自然に敬意を払わず、人間が一番優れていると勘違いしたから、悲劇は起こったのです。人間に生まれたからには人間の起こした悲劇に目を向けなければなりません。また、歴史は勝者がつくるものです。だから既存のフィルターを一度、外してみてください。そして、ヒトラー、ナチス側の立場に立って考えてみてください。

最後に

私はヒトラーに会ったことはありませんし、何円払っても会えるわけなどないでしょう。会えたとしても、真のヒトラーのことはわかるわけがありません。ヒトラーについての情報をたくさん集めたとしてもそれは自分の中の仮象に過ぎません。私はそれはわかっています。しかし、ヒトラーのことについて調べることは価値があると思います。調べていく過程で、得るものはたくさんあります。また、ヒトラーは敵だ、敵だから知らない。あんな人興味がない。そうであってはありません。


最後まで読んでいただきありがとうございます♪ヒトラーについてはまた発信したいと思っています!


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