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高校生が、ライ麦畑でつかまえてを読んだ感想

僕はこのあいだ、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んだ。村上春樹訳で。本の好き嫌いが激しいというか、ほとんどの本は途中で挫折してしまうのだが、3日間で読みきることができた。おもしろかった。 分かりみが深すぎる。書いてあることは、僕の抱いてる悩み、そのものだと思った。社会に馴染めず、社会がインチキだと思う主人公。彼は退学になり、町をさ迷う。ディテールがとてつもなく細かい。細かいというか、ほとんど僕の苦しんでいることがそこにまるまる書かれてあるのだ。

    • 9月12日の日記 帽子のデッサン

      ひろゆきの配信と税関のゲームのcontraband police、なんか似ている感じがする。こいつは嘘をついてないか見極めるところとか、以前来たひとがまた来るところとか。誰かひろゆきの配信をゲーム化しないのだろうか。死の恐怖の解決法を聞かれて、ひろゆきが「あなた、いつか死にます。人は、いつか死ぬんっすよねー」とか言ってると、「それは今だ」っていうスパチャがきて、部屋が爆発するエンドとかありそうだ。 まだ気持ちは8月なのだが、9月がどんどん進んでいっててすごく怖い。一年

      • 映画マリオについてとデッサン二日目

        マリオの映画を見た。マリオの世界の再現と、映画あるあるがめっちゃ入ってる感じがあって、楽しめた。批評家と大衆の意見がはっきり分かれていることが話題の今作であるが、映画の中でも言っているようにエンタメに振り切っているこの映画を、あーだこーだ言う批評家はお門違いだという人の思い、また自分の人生をまるごと変えるような映画に出会ってきた批評家が、この作品が大ヒットしある種の正解となる感じのの是非を問いたくなる思いの両方分からなくはない気もする。 映画について話すとき、ギス

        • 働きたくない

          今まで投稿してきた小説のぐにょぐにょさから分かる通り、といってもほとんど読んでいる人もいないが、僕は高校生だ。勉強に部活にぐうだらに日々を追われている高校生が、なぜ時間を削って小説を書いたのか。働きたくないからである。なんかそういうことしてお金入ってきたらいいなと思っている。1日8時間の労働を何十年もやるって、人生やばすぎ。 しかし小説だけでなく、他のものもやらなくちゃという気がしたので、デッサンを初めてみることにした。 どうだろうか。1日目にしては上出来だと思う

        高校生が、ライ麦畑でつかまえてを読んだ感想

          絶望とチューバ 2

          電車が過ぎていった。そして、とりあえず改札を通り抜けようと足をゆったりすすめると、ぎゅっと熱を持たせた手で俺の方を掴む者があった。どんよりとした重い頭で振り向くと体が縦にも横にもでかい、相撲取りかというくらいの中年男性が、頭から汗をびっしょり流していた。呼吸は乱れてい、彼の大きな胸がまるで蛙の喉のように膨張と収縮を繰り返していて、俺はしばらくじっと見ていたのだ。そして、ハンカチで額の汗を拭きとりながら、以前からの知り合いであるといった口調で喋った。 「なにしいやんの?あか

          絶望とチューバ 2

          絶望とチューバ 1

           人差し指を嚙んだ。このことによって自己を二つに切り分けられる気がした。赤黒く魔女のように僕を誘い込む血。その血が出る前に、噛むのを止めてしまった。僕は、どこまでも自分であった。僕は人とついぞ分かり合えたことはなかった。自分と他人は混じり会えないし、自分は切り分けられない。この世界をどうして好きになれるのか。空気はずっしりと重く、それでいてゴムのように粘っこく、僕の体にまとわりついて、果てしない自責の世界をより深いものにした。外へ溢れ出るはずだったどろどろの赤黒い血は、ずっと

          絶望とチューバ 1

          ジャパニーズ ナイト 1

           動画投稿者である男は、アイデア探しのため和歌山県にある新宮に来ていた。どこを見ても遠くに山か海があるこの地は、男にとって新鮮だった。王子が浜、頼朝が寄進したという階段がある神倉神社、熊野三山の一つである速玉大社と巡り丹鶴城跡にきた。石段を何段も上がると新宮の町が見渡せ、高らかに笑う鳶の声が辺りに響く。男はあまりの光景に一時首にかけたカメラを忘れていた。目の前にある石碑には「丹鶴姫之碑」と書かれていた。ここだ。男は思い、カメラを回す。 「こんにちは。本日は新宮の丹鶴城跡にきて

          ジャパニーズ ナイト 1

          アカイオユ

           僕のつくったゲーム、「アカイオユ」は成功だった。ルールは簡単である。制限時間は30秒、何を使ってもいいからお湯を赤く染める。それから湯に入る。赤く染まった面積の広さとそのアカの色合い、湯作法などの審査員による評価で勝敗が決まる。ペンキなどで面積は無双できるが、得られるポイントが少ない。たいがいの選手は審査員の評価狙いで自身の血を流すのである。これを聞いて倫理観に欠けている、なにが面白いんだ、なんていうのは令和生まれの高齢者ぐらいだ。いかに短い時間で民衆を興奮させるか。それだ

          アカイオユ

          先生と

          高層ビル。その屋上に来ていた僕は遥か下にいる民衆をしばらく眺めていた。いつもせわしなく動く流体。その一人一人の人生があると思うと、壮大に見え、あっけなくも見えた。やりきれない思いで胸がいっぱいになる。途中で誰かが屋上に来たのは鉄扉の音で知っていたが、あえてすぐには見なかった。先生だろう。しばらく茫然とし、濁った空に向け1つ息を吐いていた。 「先生、僕達は助かるのでしょうか」 「もちろんだ、君は病気な訳でもないのだ。」 声の主は答える。振り向くと、やはり先生がいた。いつも