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アカイオユ

 僕のつくったゲーム、「アカイオユ」は成功だった。ルールは簡単である。制限時間は30秒、何を使ってもいいからお湯を赤く染める。それから湯に入る。赤く染まった面積の広さとそのアカの色合い、湯作法などの審査員による評価で勝敗が決まる。ペンキなどで面積は無双できるが、得られるポイントが少ない。たいがいの選手は審査員の評価狙いで自身の血を流すのである。これを聞いて倫理観に欠けている、なにが面白いんだ、なんていうのは令和生まれの高齢者ぐらいだ。いかに短い時間で民衆を興奮させるか。それだけだ。
 スポーツ、というかあらゆるものを僕は小さいころから見ていて嫌悪していた。-こんなの小さい頃からやったもの勝ちではないか。たいがいの人間は気付いたら大人になっている。僕も、その一人だった。そこで、アカイオユを思いついたのだった。
 小学生の頃、桜が大好きだった。全体を薄い赤で染めた桜の非日常感に感嘆し、ぼくは一本の校舎のそばの桜を放課後日が暮れるまで観察したことがあるぐらいだった。ある日廊下ですれ違いにその桜を切ってしまうという話を聞いた。誰だったのか、なんで切るのかは覚えていない。思えば、あれは夢だったのかもしれない。授業中窓を通して見えるその桜を頬杖見ていたら、手が紅く染まっているのに気が付いた。血だ。そう思い傷口を探した。傷口は、無かった。血はまだ溢れ出てくる。どんどん出てくる。いそいでトイレに行きしばらくトイレットペーパーで押さえてやっと止まった。それからというもの、それはたびたび起こった。一番最悪だったのは空港の緊迫した検査のときにそれが起こったことだ。捕まりこそしなかったが、その便には乗れなかった。結局その桜が壊されたのかどうか、地元には帰ったこともないから知りもしないのに。
 ある日僕は、この現象を自由自在に操れることに気付いた。これは言葉で説明できることではないが、気付いたのだ。
 大人になり、なにをするでもなかった僕は、思いついたスポーツ、アカイオユを広めるため努力した。この情報社会、しかも血を流すものが受け入れられている昨今、それが広まるのは時間の問題であった。しかも血を流す能力を得た僕はこのゲームにおいて無双だった。しかし無双だったが、簡単に勝つのはやめておいた。それではかえって民衆を引き付けられないからである。
 40歳になったあたりでは、このスポーツと僕は日本で一番人気になった。もう誰もバカにするものはいない。
 僕は革命を起こした。いきなり聞いてびっくりしたかもしれないが、こ
ういう競技の持つ威力は絶大なのだ。しかも僕は多くの物語を作っておいた。革命が起こせるのは当然だ。
  僕は子供のころ思い描いたことをおおかたやった。豪華な食事、異性、家、、、もはやこの国は僕のためにあるといってよかった。みたか、小学生の頃の○○。浪人してかよった塾の隣の席だった△△。まあ、あいつらも、処刑してしまったからもういないのだが。
 僕は日本中を見渡せる露天風呂ーほんとに見渡せるのだーに入りながらワインを飲んでいた。刹那である。腹が切り裂かれた。人間か、妖怪か、それとも桜か。僕は耐えられなくなり、湯の中に倒れた。後悔の念が押し寄せる。僕のやっていたことは、結局小さい頃あれほど嫌いだったことから抜け出せていなかったのではないか。そんなことを思った。視界が暗なっていく中で見たそのアカは、不気味なまでに綺麗だった。
 
 

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