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【製本のある暮らし】 ソウルメイトとの出会い。



綴人の  note  にお越し頂き、ありがとうございます。


先だって、不思議で素敵な出会いがありました。
それはこの  note  がきっかけです。




私は何年か前に  note  を始めたのですが、いまいち継続出来ないでいました。それは邪念があったからに他ならない事は自覚しています。自分が手掛ける本を売り込みたいという思いから、お金目的で小手先の販促ツールとして捉えていた。心が潜在意識レベルで文章を書くことを拒否していたのだと思います。

何年か経った昨年2022年の8月、製本の個展を開催したのをきっかけに、制作に向き合う態度に変化がおき、再度  note  に自分の率直な気持ちを綴りたいと思うようになりました。

それから1年 note を綴り、自分の本当の気持ちと向き合えるようになった気がしています。そんなことから、今回のエピソードが起きたのだと思っております。




私のある記事に、メッセージが届きます。
【製本のある暮らし】趣味とするべきか職業とするべきか。に寄せられたメッセージ文を読んで、気恥ずかしくなりました。それは、私の文章を称えるもので、自分の文章を褒められたことが無かったので、困惑したのと、正直、変な人なのかなぁ?という感想でした。
しかし、嬉しさには変わりなく、自分の製本に関わる本当の気持ち、想いというものが伝わったのかもしれません。



それからも自分のペースで製本をしながら  note  を更新する日々を続けていた12月、またある記事にメッセージが届きます。
【製本のある暮らし】型押しの結果を見ました。に、また同じ方から、製本依頼の相談でした。私の作品を販売するサイトでは小さいサイズの物だけなので、もう少し大きなサイズの物をご希望のようでした。




型押しの本を note で記事にした画像をご覧になり、それが気になっておられたようで、相談をお受けする中でその本をお譲りする事に決まりました。note では、お互いフォローし合っておりましたし、私もその方の記事のファンでもありますので、快くお受け致しました。




そして、ここから不思議で素敵な出会いが始まります。


私は販売もしておりますので、いつものように配送の手続きをお知らせしたのですが、引き取りに伺いたいとメッセージが届きます。

「伺いたい」???

おそらく私の工房を見たいのだろうと察しがつきました。
案の定、打ち合わせの中で見学をご希望されている旨を知り、本当に嬉しく感じました。そして話はとんとん拍子に進み、12月20日にお迎えすることになりました。



駅から自宅までの道中、お話を伺います。現在はアメリカ在住で、アメリカの地で note を発信されていて、私の記事もアメリカで読まれているとのことでした。一時帰国の合間をみて東京から新潟の私の工房まで足を運んで頂き、そのフットワークの軽さに圧倒されます。小一時間、有意義な会話を楽しみ、颯爽とまた東京に戻っていかれました。

私としては、狐につままれた様な体験で、考えれば考えるほど不思議に思えてくるのです。共通する環境や感覚や志向があるのは世代が近いから、と言えなくもないが、それにしてもアメリカから一時帰国中に新潟へ、それもたった小一時間のために。

何がそこまで行動させるのだろうか? 私の常識外の行動です。

アメリカに住まわれていることや記事を拝見し、そのフットワークの快活さや、知識の深さを感じ、私が思っている以上にその行動は些細なことなのかもしれないと思いを巡らせ、自分の常識の許容の狭さに思う所がありました。



小一時間その方の「初めて記事を読ませて頂いて、感じるものがあった。」という言葉から話は広がり、本についての見解、カリグラフィーから書体について語り、またそこからケルト思想や仏教思想の類似点である輪廻転生、生まれ変わりなどなど・・・。
初めて会った気がしない心地よさを感じて、お互い前世で何かが共通しているのでは? ソウルメイトなのでは? と感じたのです。

その方の「私は強く宗教を信仰しているわけではないのですが、前世や生まれ変わりというものがあると思っています。」と言う言葉を聞き、これはやっぱりソウルメイトでは?と勝手に納得したのです。



私が感じた自分の中の常識に思う所は、周りの大人達のためなのではないか、ということです。大人たちの規範に沿うよう行動すれば、そのコミュニティーは平穏に機能するわけです。常識を習慣にすれば、行動は考えなくても済み、脳の簡単な行動をとりたがるという認知バイアスのおかげで生存の保証というもいのが生まれるわけです。逆の言い方をすれば、親が子を守る知恵とも言えますが。
おそらく大勢の人が感じている「生き辛さ」の原因がここにあるのだと思います。

創作活動とは、こういった常識を破ることにあります。

工業製品のように、同じものを大量に作る場合、「製作」の常識を逸脱しなければ良いものが大量に出来ます。それがブランド品であっても同じです。
技術が高まるにつれ、「製作」工程の常識を身に付けることになるのですが、違和感を感じた、何かが違った、それを不良ととるか発見ととるか、ここで「製作」と「制作」の違いが生じます。
私の仕事は「制作」することです。これには創造性を伴い、同じものを作る必要はないと思っています。むしろ違和感や違った結果は大歓迎なのです。

今までと同じ結果を見たのなら、それはただ観察したということ。
今までと違った結果を見たのなら、それは何かを発見したということ。


ソウルメイトと思しき人物の登場で、私の常識は少なからず棄損されました。これは非常に嬉しいことで、親に言われ続けた「お前の幸せはここにあるのだよ。」という常識が親の他界により薄れつつある中、それとは違った次元に誘われる感覚です。

我慢が美徳だった時代の親達を否定することは避けたい、しかし、そこに埋没するのは歯痒く、抗いたい。

シニアと呼ばれる年齢になっても、まだこうして新たな所を目指そうという出会いがあります。
もし、若い世代の方がこの記事と出会えたのなら、そして何かを感じてくれたのなら非常に嬉しいことです。特に不遇な環境に置かれた子供達には言いたい、「ソウルメイトは必ず君の前に現れるよ。」ということを。



それでは今回はこのへんで。

ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。





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