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「バイオリン🎻と私♪」part3「母と二人三脚のバイオリン🎻」

前回の記事「バイオリン🎻と私♪」part2では
私が初めてバイオリンを手にして、習い始めた時について書きました。
今回はその後のことについて書いていくと同時に
子育てをする親としての観点から、習い事についての考察も
交えていこうと思います。
前回の記事はこちら↓


母と二人三脚で始めたバイオリン🎻

幼児期~小学校低学年までの私

私は小学校に入る前、6歳からバイオリン🎻を習いましたが
楽譜も読めず、人の話を聞くことができない子どもだったため
私がいずれ使う大人用のバイオリンを母が弾き
「音楽教室で母が先生から弾き方を習い、家で、母が私に教える」
という形をとりました。

週1回30分のレッスンで
小学校から帰ってきた後、30分歩いて音楽教室に通いました。

レッスンの日は家で練習してきたことを先生に見せる日でもありました。
母と私の2人がチェックを受けました。
そして、次の段階へ行く時に母が教わり
家で私に教わったことを伝える!

という形でした。

小学校に入った私はぼんやりしているものの、好奇心旺盛、走ることが好きで、サッカーなどのスポーツも好き!じっとしていられなくて
文字の理解とか、計算の仕方を覚えるのが遅い方なのに
負けず嫌い!

水泳教室に通ったりしなかったため、小学校初めてのプールは泳げず
同じクラスの男の子からはバカにされ、悔しくて
夏休みに泳げるようになりたくて、プールへ父親と一緒に行き
私自身をプールに投げ込んでもらいました。

この荒療治のような行いのおかげで、私は泳げるようになり
夏休みにバカにした男の子の前で、泳いでみせました。
今思うと、私はなんて、気の強い子だったのだろう!
と思います!
この、プライドの高さが、能力以前にバイオリンを続けられる所以だったのだと思います!

ただ、小学校1~2年の私は理解力のなさから
担任からは勉強で将来、落ちこぼれになる!
と心配されました💦

小学校高学年の私

子どもとはどんどん成長して変わっていくもので
母と二人三脚で続けていた、バイオリンは3年間続きましたが
私が小学校3年生の頃に終了しました。
それは母よりも私の方が、技術が上がってしまったからです。

明らかに、バイオリンの音が違っていました。
母の音はいつまでたっても習いたてのぎこちない音でしたが
私の音は以前よりきれいになっていました。
また、成長して言葉の理解力が高まり、楽譜が読めるようになって
バイオリンのM先生の話す言葉も理解できるようになったからです。

高学年になった私はまるで目覚めたように周りの状況が分かるようになり
負けず嫌いだったため、成績をあげようと、勉強も頑張るようになりました!

なかなか望んだ結果にはならなかったものの、それでも、中の上にはなり
落ちこぼれにはなりませんでした。

バイオリンのレッスンでは、ほめられることが多くなり
小学校ではリコーダーに夢中になり、音楽好きでのめりこみました。

ただ、負けず嫌い、プライド高めの私は小学校3~4年の時は悔しいと
感情の規制がきかなくなり、泣いたり怒ったりで
友達からはあまり好かれませんでした。
ぼんやりしていた、小学校1~2年の時は私に親しみをかけてくる友達がいたのですがー

一人で小学校の帰り道を歩くとき、バイオリンで習ったクラシック音楽が
頭の中で響いてくることもありました。

バイオリンのM先生は実は私にとって怖い存在でした。
週1回のレッスンの日はまるで、試験のような日でした。
一週間の練習してきた成果を示すわけですが
間違えないように集中し、緊張しました。

それはある種のスリルのようでした。
不思議なことに子どもは意外にこういったスリルに強いものです!
今の私には耐えられない感じがします💦

うまくいかないと、怒られますがー
上手にできた時は本当に喜んでくれ
母に
「○○(私の名前)ちゃんは頭がいいでしょう!バイオリンが上手に弾ける子どもは学校の成績がいいんだよ!」
とほめてくれました。
私には特別な才能がある!
と思わせてくれました・・💦

M先生は日本の私立大学では一番の難関といわれていた
K大学の出身でした。

親子と二人三脚の習いごとについて

子どもを持って思ったこと

私には2人の息子がいますが、男の子なのでスポーツを習わせてみました。
野球を習わせたこともあったのですがー
息子たちにはなんというか?
向上心がまるでなく、他の子どもからどんどん追い抜かれて
落ちこぼれていきました。
バイオリンを習っていた私とは大違い!

私はあの、アメリカのメジャーリーグにも行った、天才「イチロー」のこと
をよく思い出しました。

何かの記事で
「イチローは子どもの頃、父親と毎日バッティングセンターに行っていた!」
と知り、息子をバッティングセンターに連れていくこともありました。

「練習なんて!楽しいわけないでしょ!」
と語っている記事を見かけたこともありました。

おこがましいことに
「子どものころの私に似ている!」
と思ってしまいました・・💦

母に怒られ、涙を流しながら練習した私💦
それも毎日!
イチローの言うように練習なんて!楽しいわけない!
と言えます!

野球もいわば二人三脚のようなもの

野球も親が子どもたちと合宿に行ったり、試合の準備をしたりー
親の協力のもとで、行われ二人三脚だと思います。

ですが、チーム内で能力が高い子は試合でレギュラーができ
そうでない子は試合に出させてもらえず💦
残念ながら私の息子たちはめったに出られませんでした💦

そういう子はチームの応援係になります・・
→これはまるで他力本願に見えてきました💦

かといって、そこからのし上がる意欲もなく、また、同じ様な子たちの
ほとんどは親から途中でやめることは止められていました。

その、試合に出ることができなければ、あの、私が先生の前で
間違えないようにドキドキしたスリルは味わえないのでは?
時に涙を流すつらい思いをするものの、そのスリルが上達する意欲に
つながるような感じがします!

私のバイオリンも途中でなげだしてはいけない!
という思いはありましたがー

上達する意欲がないなら、野球を続ける行為はただただ劣等感を育てるだけのように思えてきました。

結局、主人の意見もあり、野球は2人には合わない!
ということでやめました。

私は上達する意欲がもてたから、バイオリンが続けられたのだ!
と思います!
(「バイオリン🎻と私♪」part4に続く)

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
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