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旅の記憶 Ⅹ.お別れゴルフ

ボストンに大学同級生を訪ねたは、楓が美しく紅葉し始め、秋の深まる頃でした。      ボストンは、ヨーロッパの古き良き街並みと、近代的な高層ビルが建ち並ぶ歴史と最先端が調和する街で、ボストン茶会事件博物館を始め、大学キャンパス、美術館など、歴史的な建造物、知的芸術的施設を巡りました。 独立の歴史に彩られたアメリカ最古の都市として、ボストンはイギリスやヨーロッパ諸国から、新生アメリカを築き上げるために、相応しい諸制度、思想を取り入れる政治、経済、文化の中心的役割を果たしまし

    • 旅の「記憶」Ⅸ.王様はお孫さんが大事

      トンガ王国に、建設された工業高等学校の竣工祝賀会に、設計者として参列しました。                             南太平洋に浮かぶトンガ王国は、トンガタブ島をメインアイランドとして、ヌクアロファを首都とします。 メインアイランドから40㎞南東にあるエウア島に、将来は理工系大学に昇格されるこの高等学校が、トンガの人々の期待の下に竣工されたわけです。 祝賀会当日は、ヌクアロファとエウア島間を結ぶ小型プロペラ機に搭乗しましたら、乗機のパイロットは、この高

      • 旅の「記憶」Ⅷ.エーゲ海への落日

        Ⅷ.エーゲ海への落日 明日は日本に帰る、 旅も2か月余りが過ぎ、共に巡った友は既に帰国し、一人旅のヨーロッパの最後の日は、終日アクロポリスの丘で過ごしました。 建築設計に関わる私取って、ヨーロッパは日本から度々と訪れることのできない、遥か彼方の憧れの地でした。 この旅への期待は膨らみ続けて、新たな知識、経験がより多く得られる機会になるように、かき集めたヨーロッパの建築、都市に関する参考資料を、はるばる日本から携えてきました。 我ながら呆れるほどの量でしたが、その資料

        • 旅の「記憶」Ⅶ.生活の「場」の試み

          ロンドンでは、知人宅に逗留して、人類の歴史、芸術、文化の領域の中心的役割を担う大英博物館に通いました。 大航海に乗り出し、世界各地に植民地を築いた大英帝国は、産業革命を契機として近代国家の基盤の下に、世界に君臨しました。 世界各地から膨大な文化財や史実の資料が収集され、現在その多くが大英博物館に展示、収蔵されてます。 その中でも、ギリシャの都市国家、アテネなどとの覇権争いに敗れて、滅亡に至ったペルシャ帝国の歴史のロマンに触発されて、その遺跡をこの目で確めて、直接触れてみ

        旅の記憶 Ⅹ.お別れゴルフ

          旅の「記憶」Ⅵ.街づくりへの市民参加

          まずは腹ごしらえと、駅のレストランのメニューを覗いて、その値段の高さに驚かされました。 寒さに向かう時節でしたが、特に暖かそうな料理のあまりの価格に、その前のイタリア滞在中に、物価の感覚がすっかり麻痺してしまったようでした。 簡単な昼食を済ませて、建築設計を行っているあるアトリエ事務所を訪問しました。 日本人の建築家が、チーフアーキテクトとして活躍されておられ、そのチーフから説明を伺い、所内を見学しました。 市街地の住宅を改造したアトリエは、長く厳しい冬期に備えるかの

          旅の「記憶」Ⅵ.街づくりへの市民参加

          旅の「記憶」Ⅴ.星降る夜 のフェリー

          スットクフォルムとヘルシンキを結ぶフェリーの夕食の時でした。 “Hey, boy!” と声をかけてきたのは、あご髭をたくわえた恰幅のよい、いかにもバイキングの末裔を思わせるような堂々とした船長でした。 この齢になって“boy”とは、いささか憤然としましたが、日本人は若く見られがちだと気を取り直しました。          この夜の夕食は、オープンサンドウィチ・スモーブローで、ダイニングルームのセンターテーブルに、食材が用意されていました。         スモーブロ―

          旅の「記憶」Ⅴ.星降る夜 のフェリー

          旅の「記憶」Ⅳ.友との別れ

          旅の道連れだった友は、大学・建築学科の同期生。 卒業後は共に建築設計界の中で、彼は構造設計者、私は意匠設計を目指してスタートしました。 それぞれが、設計現場の務めを一通り果たせるようになったのを機に、ヨーロッパへ連れだって旅立ちました。 友は、笑みを絶やさず、沈着冷静でしたが、私はすぐに感情を表われがちで、他人の言動が気になるタイプでした。 旅行が続くにつれて、私は我を抑えきれなくなることもありましたが、そんな時も友はにこやかに収めてくれて、大事に至ることはありません

          旅の「記憶」Ⅳ.友との別れ

          旅の「記憶」Ⅲ.真っ赤に染まった大地

          Ⅲ.真っ赤に染まった大地 どこで、なにを間違ってしまったのか、予定の時刻を過ぎても、列車はバスへの乗換え駅、ポジポンシには到着しませんでした。 それに気付いて、寝ぼけ眼のまま、乗ってきた列車から着いた駅のホームに降りました。 名前すら知らない駅には、駅員が一人、所在気なさそうに私を眺めていましたので、サンジミニャーノに行くのはどうすればよいのか、その駅員に助けを求めました。 ところが、駅員はイタリア語をまくし立てるばかりで、私の英語は全く通用しません。 筆談に身振り

          旅の「記憶」Ⅲ.真っ赤に染まった大地

          旅の「記憶」Ⅱ.運河に流れる メロディー

          アムステルダムは、氷雨模様の晩秋でした。 列車の到着後真っ先に、電話で幾つかのホテルに当たり、その夜の宿泊先を確保しました。        予約しましたのは、運河に面する市街地の住宅を改造した小さなホテルでした。 電話での交渉は、相手の表情が見えず、声も聞き取りづらく、しばしば難儀しがちですが、電話口のクラークは丁寧、快活で、スムーズに予約ができて、安堵の胸をなでおろすことができました。 ホテルのチェックイン時、件のフロントマンがひどく沈み込んでいることに気付き、声を

          旅の「記憶」Ⅱ.運河に流れる メロディー

          旅の「記憶」Ⅰ.はじめに

          プロローグ この<旅の「記憶」>は、 妻に任せきりで、何もせずじまいだった、                   二人の息子たちに書き残し、 せめても、私の人生の記憶の一端として、 語り伝えるものです。 放送大学で講座「Walking with Writers」を受講しました。    イングランドの風景の中に各地を訪ね、その地と強く結びついた文芸作家たちの歩みを概観し、作品からの引用を実際に味合う趣旨でした。 講座はドーバから始まり、シェークスピアの「リア王」に触れ

          旅の「記憶」Ⅰ.はじめに