旅の記憶 Ⅹ.お別れゴルフ

ボストンに大学同級生を訪ねたは、楓が美しく紅葉し始め、秋の深まる頃でした。     

ボストンは、ヨーロッパの古き良き街並みと、近代的な高層ビルが建ち並ぶ歴史と最先端が調和する街で、ボストン茶会事件博物館を始め、大学キャンパス、美術館など、歴史的な建造物、知的芸術的施設を巡りました。

独立の歴史に彩られたアメリカ最古の都市として、ボストンはイギリスやヨーロッパ諸国から、新生アメリカを築き上げるために、相応しい諸制度、思想を取り入れる政治、経済、文化の中心的役割を果たしました。

同級生は、建設会社の研究所勤務を経てボストンに赴任し、日本、諸外国間で先端技術や新思想を移入する企業のトップとして活動し、多くの人脈を築いてきました。

彼は、私がボストンを去る際には、お別れゴルフを計画して、コースを予約してくれました。

プレーの前に、ランチに訪れたボストン中心街のレストランは、その屋号には「クラブ」とあり、いささか訝しく思いながら、入店しました。

そのレストランは、メンバーシップ制の社交クラブの一部門で、大ホール、ミーティングルーム、舞踏室、図書室、ビリヤード室などの諸室が完備されていました。

屋外では、テニスコート、スイミングプールから、この日にプレーを予定しているゴルフコースまでが、クラブのスポーツ施設でした。        


クラブは、厳しい資格審査の下に入会するメンバーが、そのクラブライフを通じて、正に伝統的な「人間を磨き、豊かな人生を創造する」場でした。

私たち、日本にも、交詢会などから保養施設、スポーツや趣味のクラブに至るまで、各種のクラブがありますが、メンバー個人の自主的意思に基づいたこのようなクラブは、多くは見当たりません。

日本のクラブは、多くがスポーツや趣味の活動そのものを目的として、このような共通のスポーツや趣味を通じたメンバー同士が交流する「クラブライフ」の場とは異なるようです。


私たち2名のビジターは、クラブのメンバー1名に同伴されて、コースをスタートしました。

その同伴メンバーは、若年にも拘らず、立振舞いはあたかも英国仕込みの紳士のようで、ゴルフのプレーはあくまで厳格で、マナーは優雅そのもので、将来を嘱望された人物のようでした。

スタート当初の緊張も、数ホール後には打ち解けて、互いにジョークを飛ばし合う仲になりました。

プレーの合間に、そのメンバーは煙草を吸い始めましたが、周辺には灰皿は見当たりませんので、さてどうすると見ておりましたら、彼は吸い終えた煙草をシューズでもみ消し、そのフィルターはポケットに収めました。

そして曰く、フィルターは自然には戻れないゴミとして持ち帰るが、煙草は自然からの恵み、摂理に従い自然に返す、そして、ウィンクをするのでした。

いささか独善的で、鼻持ちならない言だと、見てはならないものを見てしまったとの思いで、当惑しました。

プレーを通じて 彼の言動と人となりに触れてみますと、自信にあふれたこの率直さは、この地、ボストンやアメリカの建国の歴史と風土に育まれてきた、逞しい精神の現れだと、得心するようになりました。

ボストンの秋日和が満喫できたお別れゴルフでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?