旅の「記憶」Ⅷ.エーゲ海への落日


Ⅷ.エーゲ海への落日


明日は日本に帰る、

旅も2か月余りが過ぎ、共に巡った友は既に帰国し、一人旅のヨーロッパの最後の日は、終日アクロポリスの丘で過ごしました。

建築設計に関わる私取って、ヨーロッパは日本から度々と訪れることのできない、遥か彼方の憧れの地でした。


この旅への期待は膨らみ続けて、新たな知識、経験がより多く得られる機会になるように、かき集めたヨーロッパの建築、都市に関する参考資料を、はるばる日本から携えてきました。

我ながら呆れるほどの量でしたが、その資料の役割は、旅の始まりと共に打ち砕かれてしまいました。

訪れる先々には、良質な建築があまりにも数多く、それらを理解することは、資料からの断片的な知識ではなく、そこで営まれてきた生活や歴史、風土を見据え、脳裏に焼き付けて、建築や都市を幅広く考えることだと気付かされたからです。


旅を通じて、自ら判断し、行動して得られる束縛されない自由の豊かさと快適さを覚え、帰国後、再び設計現場にどう復帰ができるか、懸念や不安を覚えながら、明日の日を迎えることになりました。         

アテネ・アクロポリスの丘

アテネはヨーロッパ文化のゆかりの地、その母なるエーゲ海への落日を見ることこそ、この旅をくくる場に最もふさわしいと、アクロポリスの丘でこの日を過ごした訳でした。


11月にもなれば夕闇が迫るにつれて吹く風は肌寒く、旅を無事に終える安堵の気持ちと、一抹の寂しさが募り出していました。

パルテノン神殿のエンタシスの列柱に彫り込まれた溝、フルートに肩を埋めて、エーゲ海へ陽が沈むその時を待ち続けました。

そのかたわら、顔馴染みになっていたピザパイ屋台で、最後の夕食時に取り交わした昨夜のやりとりを思い返しました。

老いた白髪の店主に帰国を告げた時、名残惜しそうにこれは驕りだよと、もう1枚のピザを注文に重ねてくれました。

いつも一緒の、店主のお孫さんと思しき利発そうで、愛らしい少女には、言葉もかけず仕舞いで、食事を終えて別れの際の寂しそうな表情が心残りでした。
        

エーゲ海への落日

落日をまさに迎えようとするその瞬間、脳裏にこだまする声が聞こえました。

「この日、この時、エーゲ海への落日は見てはならない、

 人生はまだまだ続く、見納めるのはその先だ」

あたかも、ドーリア式列柱の神殿に祀られた女神アテーナーが発した神託が、アクロポリスの丘に響きわたるかのようでした。

私は立ち上がり、エーゲ海への落日への思いは胸に秘めて、アクロポリスの丘から踵を返しました。

明日は日本に帰る、

私には、まだなすべきがありそうだ、

     ・・・アテーナ―の女神に感謝しつつ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?