旅の「記憶」Ⅴ.星降る夜 のフェリー
スットクフォルムとヘルシンキを結ぶフェリーの夕食の時でした。
“Hey, boy!” と声をかけてきたのは、あご髭をたくわえた恰幅のよい、いかにもバイキングの末裔を思わせるような堂々とした船長でした。
この齢になって“boy”とは、いささか憤然としましたが、日本人は若く見られがちだと気を取り直しました。
この夜の夕食は、オープンサンドウィチ・スモーブローで、ダイニングルームのセンターテーブルに、食材が用意されていました。
スモーブロ―は、北欧では古くから親しまれてきた伝統料理で、黒ライ麦パンの薄切りに、エビ、サーモン、オイルサーディンなどの新鮮な魚介類、ハム、チーズ、ゆで卵などと野菜を、めいめいが好き好きにトッピングして食事を楽しみます。
その組み立て方やナイフ、フォークを用いた食べ方を、船長は懇切丁寧にこのBoyに教えてくれましたが、ただ、“Boy! もっと食べないとだめだよ”との好意溢れる勧めには、閉口しました。
船上のカジノでの出来事でした。
貧乏旅行ゆえ、私はカードやルーレットはパスして、握りしめた数枚のコインでスロットルマシンに挑戦しました。
もうこれでお終いと、自分自身に言い聞かせながら、僅か残ったコインを投じたところ、ビギナーズラックの大当たり、ほどほどの賞金を稼げた訳でした。
他の乗客も駆け寄って、歓声を上げて祝ってくれましたので、宵越しの金は持たぬとばかり、皆にビールを振舞い、残った賞金で、ヘネシーを買い入れましたら、残金ゼロでした。
旅行中は、見ず知らずの観光客同士でも、同じような旅程で各地を周遊するにつれて、顔なじみになり、次第に親近感を覚えるようになります。
ビールを振舞った人たちの中に、一人旅をしている若い女性がいましたので、ヘネシーを一緒に飲もうと、船上のデッキに上がりました。
ニューヨークから来たOLで、帰国後はフィアンセと式を挙げて、故郷モンタナで、両親の面倒を見るとのことでした。
それを聞いた当初、個人主義が著しく進展しているアメリカでの話だとは、私にはには到底信じられせんでした。
彼女の生い立ちと思い出話を聞いて、家族の絆と親子の愛情や信頼の強い証しだと、改めて心打たれました。
無数の星が煌めく空のもと、鏡のような大洋をいくフェリー、そのエンジンの規則正しい響きが漂う、穏やかな航海でした。
10月初めとはいえ、夜が更けると共に、バルト海北方のボスニアの海にも寒さが忍び寄り、冬の間近さを感じさせていましたが、話は尽きませせんでした。
借りてきた毛布に包まり、彼女のこの先の人生がつつがないことを念じながら、彼女の結婚を祝福する降るような満天の星を、息を凝らして見つめていました。
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