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10日目 走り出そう

昨夜は長男と長女が実家に泊まった。学校に行く前に迎えに行き、自宅から登校班でいかないといけないので、7時前には家を出て実家へ向かう。

実家について、子どもたちに準備をさせ、急いで家へ帰ろうとすると長男が何やらぐずりはじめた。妹の出発時間では早すぎると。自分は後から送ってくれと。長男、長女の相性はあまり良くなくて、娘の事情に付き合わされることに対して腹を立てているようだ。

反抗期だからと思いつつ、いつまでも文句を言う姿にわがままを言うなと叱りつけた。

久しぶりに腹は立って叱責してしまったが、家族に対して感情を昂らせることはもうしたくない。

少し、冷静になって話をして、娘を送り届けた後に、長男も送り届けてあげることにした。にこやかに送り出したものの、本人はブスッとした顔で振り返りもせずに車から降りて学校へ向かった。

まぁ、思春期だからしかたないな。

でも、こうして子どもの手が離れていったらまた、僕の心は寂しくなってしまうんじゃないかなと不安にもなった。

無事に上3人が学校にいったあとは、妻と末っ子との時間になる。末っ子は前に比べて僕のところに来てくれることが増えた。パパとママを比べるとどうしてもママには負けてしまうんだけれども、この子が僕のところにきてくれることが、僕にとって家族と向き合うことの大切さを思い出させてくれる。

末っ子の娘は、保育園にパパも一緒に来てほしいという。こうした小さな願いにいいよと答えることができる今の時間のゆとりをありがたく思う。僕の病状は本当に軽いものなんだと思う。それでも頭が苦しくなったり汗が止まらなかったりと自分では辛くて、早く抜け出したいと思うのだけど、幸いにも動けなくなるような鬱症状ではない。それは本当によかった。


今日は、都内に住む祖母の家に母と妹が行くらしく、今日もその予定についていくことにした。僕はおばあちゃんっこだ。小さな頃から優しくとにかく愛情をくれたおばあちゃんが今でも大好きだ。
彼女との会話でもそんな話をしたことを覚えている。僕の全てを包んでくれる彼女がまるでおばあちゃんのようだといって笑い合った。

おばあちゃんの家に行く途中、3歳のめいっこがトイレに行きたいと言ってTSUTAYAでトイレを借りることにした。

その時にふと、自分の中で心が落ち着いた瞬間があった。
こうして母や妹と過ごす日常の大切さ。特に母がいつか亡くなった時に、この日常は大切な思い出になっていて、そしてその時の僕は今のようにまた傷ついて泣いているのかもしれない。そう思えば、この時間がかけがえのないもののように思えた。
おばあちゃんに会う時間も同じ。妻や子供たちと過ごす時間も同じ。

大切なものは一つじゃない。その一つ一つとの向き合い方、関係性、距離感があって、それら一つ一つは比べるものでもどちらかを選ぶべきものでもなんでもないはず。

彼女のことも同じだ。好きとか嫌いとか、そういうことじゃなくて、彼女に対して何かを求めるのでもなくて、僕の中で大切な存在。僕なりの大切な仕方で大切にし続ければいい。それは、恋人関係じゃなくても、彼女の人生を支えることはできるかもしれない。

マカロニえんぴつの「なんでもないよ、」にある、

『会いたいとかね、そばにいたいとかね、守りたいとか、
そんなんじゃなくて、ただぼくより先に死なないでほしい」

この歌も思い出の曲なんだ。

この歌詞のように、ただ幸せに生きていてくれる彼女をどこかで見守っていられればいい。そんなふうに思った。

少し、肩の力が抜けたような気がした。


祖母の家に着くと、たまたま仕事が休みの叔父がいた。
10歳年上の叔父は、10年ほど前の僕と同い年くらいの時に、奥さんと険悪な時期があった。一年位そんな時期が続いていたが、いつのまにか仲良しに戻って、今でも夫婦円満で過ごしている。

家族との時間に物足りなさを感じてしまう僕。もしかしたら叔父の経験が何かヒントになるかなと思って、どうして仲良くなれたのかを聞いてみた。

叔父は、考えすぎちゃいけないんだよ〜。俺も家に帰らないで遊び回ってたら、ふと元に戻っていたんだ。と教えてくれた。

あまり参考にならないな・・・と思った。

他には僕が休みの間、叔父の仕事を手伝わせてほしいとお願いしてみた。今は働く力はないかもしれないけど、この休みの中で社会と繋がりたくなる日がくるかもしれない。何かしら変化が必要な時期もあるかもしれない。叔父は快く、仕事があったら誘うよと言ってくれた。

そして、もう一つ。叔父が所有しているバイクがあるのだが、もう何年も乗っていない状態で置いてあった。この3ヶ月の間、バイクを貸してほしいとお願いしてみたら、それも快く貸してくれた。

やった。これでどこにでもいける。

いつも、自宅と実家の往復しかできなかったから。何か世間に置いてかれるような閉ざされるような感覚があった。でも、バイクがあれば、自分は自由だと感じることができる。もし、機会があれば、彼女の元にも自分で会いに行ける。

本当にうれしかった。

都内から自宅まで、久しぶりのバイクにまたがり1時間くらいかけて帰った。途中、エンストしかけたりと慣れない操作に少し怖かったりもしたけど、自分の足でどこかに向かうことができる高揚感に包まれていた。

そして、夕飯は実家に行って、家族みんなでご飯を食べることにした。
僕は得意の鳥肉料理を振る舞った。これは子供達も大好きなメニューで、実家のメンバーもみんな絶賛してくれた。

誰かのために料理を作るというのも、きっと心にいいはず。振る舞いたいと思えた自分に安心した。


夜、自分の家に帰り、僕はスマホを手に取った。

順調に回復しているから心配しないでね。
〇〇は張り詰めていないかな。心配しています。

と、彼女にメッセージを送った。

しつこいと思われるだろうか。
めんどくさがられるだろうか。
無視されるだろうか。

送ってからまた不安が襲ってくる。

でも、人間はいつ死ぬかわからない。
今、送りたいと思った自分の気持ちに素直にいたい。

ケセラセラ。なるようになるさ。

彼女から、返信がきますように。

また、明日。

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