La vie d'Awa 「理想の生活」

 ナイトテーブルの上のろうそくが消えるのを見届けたかった。午前3時、うっすら目が覚めるともちろんろうそくの火は消えていて、消し忘れていたヴェルディのレクイエムがスピーカーから静かに流れていた。音を消して、ふたたび眠りにつくまでの間、暗闇と静けさが昨日までに染められていた彼女の心の青緑色をゆっくりと剥がしていった。

 朝目覚ましを3度止めて、ゆっくりと起き上がるとふたたび音楽を流す。Chet BakerのIt's Always Youをその日は流していた。だるさを少し気にしながら、ポットに水を入れて湯を沸かす。その間に用を足し、Dammann FrèresのThé Noëlの茶葉をティーポットに用意し、沸いた湯をそそぐ。その間にベッドメイキングをして、近所の陶芸展で北の町から来た女性から購入した薄い水色のマグカップにソイミルクをそそいで、紅茶ができるのを待っていた。紅茶ができると透き通った茶色の水がマグカップのなかでソイミルクと混ざって東南アジアの人の肌の色のようになる。そこにガレットブルトンを浸して食べるのが彼女の日課になりかけていた。大きな窓を開けると初冬の空気が入ってくる。彼女の心のだるさはいつの間にか消えて、また青緑色に染まり始めていた。これは理想の生活、彼女が母国で夢見た生活であるのは間違いなかった。

 アワがこの小さな町で暮らし始めたのは2か月ほど前のこと。小さな町のはずれに、15世紀から19世紀に建てられた城がある。その城の膨大な敷地内には以前城のメイドたちが暮らしていた建物があり、彼女はその一室を借りていた。彼女の部屋は1階にあり、大きな窓からは夏が終わって水のない、壁が少々緑染まってしまった巨大なプールと、しっかりと同一の距離を刻んだマロニエの木々が見えるのであった。いつも左側でしか眠らない二人用の大きなベッド、使われない大きな暖炉、古い食器棚と洋服棚。暖炉はたくさんのクッションとブランケットによって、理想の友達、セオドアと共に、ソファーに改造されていた。

 彼女は日課をできるだけ丁寧にこなそうとした。できるだけ怠惰にならないように、理想の生活を自分の手で作り上げようとしていた。例え誰にも見られていなくても、彼女は彼女のためだけに、毎日そうじをし、料理の盛り付けにこだわり、同じ時間に起きて同じ時間に眠った。そうでもしなければ孤独に呑込まれ、一瞬にして昔の、駄目だった時代の生活に戻ってしまう、そう思っていた。

 その朝、アワは気が付いた。「これが、昔の自分や、母国の西洋好きの人々が思い描いた理想の生活か」と。彼女は嬉しくもなんともなかった。ただその生活を受け入れ、母国語とはかけ離れた訳の分からない言葉も習得し、当たり前のように暮らしていた。理想というものは身に起こってしまったら身についてただの現実でしかなくなる。そうして彼女はぼんやりとこの暮らしを思ったあと、よく分からない言葉で書かれた詩集を手にし、冷めた紅茶を飲みながら休日が静かに過ぎていくのを待っていた。

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