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自問自答のマイ定義。

私が超言葉術の本に対して抱いている想いは、一つ前の記事と、Amazonのレビューに大まかには書いています。ここでは、その想いをもっと自分だけの言葉で言語化するために、マイ定義を考える頭の中を綴らせていただきます。

超言葉術をまるっと好きになった瞬間=?

本を読むことは一見、1人っきりの時間に見えるけれど、実際は、読むたびにその人に会いに行っていると思う。

誰にも邪魔されず、とことんお話を聞くことができる。一対一のマンツーマン。贅沢だ。

だからその本を好きになればなるほど、本そのものが人のように思えてくる。本が人になる感覚。本を読むという前提が薄れていく感じ。

これを自分なりに言語化したいと、ここ最近ずっと考えていた。

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私は超言葉術を本棚に並べて、大学の課題の合間に、ちらっとその存在を確認する。そこだけ、パァ〜ってオーラを感じる。

なんだか嬉しい。ニヤニヤする。

...気持ち悪いとか、思うなかれ。めっちゃ好きなんだもの。

だから、本そのものが、その人そのものみたいに思えて。

出会うべくして、出会えた!みたいな感覚になったり。

名付けてみたい。本と人をつなぐ瞬間は、どのように表せるのか。

とりあえず、字もつないでみる。

本+人=本人

あっ。なんか面白い。本と人。本人。言葉の見え方が広がった感じ。

好きなんです、この言葉をほぐすような感覚!!

→そして、辞書を引く。父にはならず辞書を引く。

本人・・・その人自身。当事者。(weblio辞典)
本人の意思を尊重しましょう。

いつもだったらこれら「本人」の「本」に、bookを感じることはなかった。

でも今は、どうも本と人が出会い、近づき、一体となったような・・・。

そんな感じがしませんか?私はバリバリしてます。

ではでは、

その人自身が「本人」ならば、その本自身は、なんと言おう。

本本?う〜ん...なんか中国のパンダみたい。

いやもう「本」一字で、本そのものだからはい終了!って、終わらせることもできる。でも、それだと気持ちが落ち着かない。

「本」だけだと、この本に対する特別な感情があんまり乗っかっていないように感じる(あくまで私個人の意見)。

もっと本心に迫った、自分だけの言葉を生み出したい。


好きになった本を、人のように感じる。本そのものが作者そのものだと思った。体温とか鼓動とか。安心感とか。

ここで私は思う。その本自身も、「本人」なのでは・・・?

(自分でも混乱してきた。けれどまだまだ、自問自答、マイ定義、マイ定義...!)

一冊の本そのものに、作者の心(人)が込められている。長い年月、月日をかけて、書き上げた一冊。この時点でもう本そのものは「本人」なんだ。

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私のマイ定義

私が定義したいことは、まとめると、読者が、本に込められた人(作者の姿)に共鳴、感動した瞬間

本を人のように感じる現象本への愛おしさを認識するあの瞬間

つまり、本を「本人」だと確認したとき

私はこの瞬間を、「本人確認」と定義したい!!


本人確認」できなければ、きっと入り込めない感動があって、その場合「本」で終わってしまう。

読むからには、本人に出会いたい。ニヤニヤしたい。

「コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術」は、決してここでいう「本」で終わらせない。本人が出迎えてくれる。

本人確認」を体感させてくれる。

阿部広太郎さんの言葉には、そんな力が詰まりに詰まっている。

だから私はこんなに、本人をまるっと好きになれたんだな。

心の感動の言語化。大変だけど、すごくスッキリします。


読んでる方にどれだけ伝わったのか、自分でもちょっと迷子になりかけたので、わけわからなかったかもしれないです汗

でも、この名付けをちょっとでも心に残して活用してくれる人が現れたり、広がっていったら夢みたいだなぁと思います。

これからも、どんどん言葉に執着していきたい!!

まだまだ超言葉術からの感動記、続きます!笑

読んでくださって有り難うございました!💟

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