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わたしのnoteを開いてくださりありがとうございます。

りっきーと申します。

今日は私の半生②として、残りの学生生活を振り返ります。
気が向いたら見てくださいませ!ではどうぞ!!

良かったら以下もどうぞ。



1. 中学生

ここはサラッと。

1-1. 野球部と走ること

ソフトボールやってて野球には入らないと、という思い込み。走ることが好きなので陸上部に興味があったのに。実際、中学校3年間は持久走大会で多分一度も負けたくなかったし負けなかったぐらい好きだった。メジャースポーツでかっこいいと思われるだろう、という他人軸で野球を選んだ。
”坊主+日焼け”で野性味が増す。同級生からも外見をいじられる。確か鼻の形を馬鹿にされて、毎日鼻をつまんできれいにできないかやってた。思春期なのでますます容姿への劣等感が高まり、学校に行く前に鏡で自分の姿を見て絶望する夢を定期的に見る。
野球そのものへの情熱は低かった。ただ取り組む姿勢は一人前。声出しはだれにも負けない。部活の試合の日は一番最初に学校に行って皆が来る前に素振りをした。準備に対する姿勢、周りを盛り立てようとする意識、こういう自分は当時から好き。
特別うまかったわけでもないが、2年生でレギュラーになれた。ただ2年時の最後の大会でガチガチに緊張してエラー。途中交代。それだけでも挫折だが、さらにその後、監督から『お前はプレッシャーに弱いから』と、3年時にキャプテンにも副キャプテンにも選ばれなかった。これが一番ショック。そして、自分はプレッシャーに弱い生き物だと自己認知しこれからを生きてくことになる。

1-2. 終わりの見えない絶望感

何か毎日を悶々と生きていた。毎朝、部活の準備をして『はぁ、今日も遅くまで部活か…』と嘆く日々。家に帰れば、相変わらず崩壊しそうなぎりぎりの家庭環境。3年間での一番の楽しみは学校に通学する前に、毎朝幼稚園バスが来るところまでかわいい弟を送ることだったかも。

ある日学校で、闇金に手を出し破産する人を題材にした授業があった。『いや、まんまうちやん…』となる。先生が『こうならないようにしましょう、どんな行動が必要か』みたいなこと言うけど、苦笑いしかできない。しかも誰にも相談できない。いつこの生活は終わりを迎えるのだろう…。

1-3. 恵まれてないけど、恵まれている

3年間、友人に恵まれた。休み時間にたくさん友達が自分の周りに集まってくれてクラスの中心でいれる感覚があった。いわゆるヤンキーみたいな人がいないクラスで、平和で団結力のあった。自分も周りを牽引していった。体育祭等でクラスを絶対優勝させるぞ!とワクワクさせ、前向きな環境をつくり、みんなが活躍できるように役割を与えたり力を発揮させ、熱中させる。そんな自分の価値観をしっかり満たせていた時期でもある。

あと担任の先生が信頼してくれて、ちょっと反抗的な態度を取ると『あなたがそういう振る舞いをすると周りにも影響するから自覚を持って』と言われたことがある。その担任は、いろんなことを頼ってくれた。例えば、不登校の子に『あなたが電話して運動会に来るように説得して』と言われたことも。信頼がすごく伝わってきて誇らしく思える。それに見合う立ち居振る舞いができたように思う。そうやって人から認められることで自己肯定感の低さを補ってきたのかもしれない。

結局、家庭環境以外はすごく恵まれていたように思う。
(当時はそんな自覚はないけど)

コラム① 制服最高!
私服でなく、制服になったことで服装に悩む機会が減った。冬は学ランの下に体操服を着ている子も多かったので自分もそうやっていれば、暖かい格好でいられた。本当に助かった…。

1-4.高校受験

高校受験はあまり努力しなかった。高校では勉強よりもバイトをしたかったのでそこそこでいいと思っていたし、私立には絶対にいけないので公立校で確実に入れる高校へ。なお、貧乏でも夏休みだけ塾に行かせてもらえたのは、今思うとありがたい。

1-5. こどもの奨学金に手を出す母

兄はとても優秀で東大でも成績が良かったらしい。そのおかげか、いわゆる日本育英会のやつ以外にも奨学金もらって東京での大学生活を工面していた。そんな兄の努力で勝ち取った奨学金を母は借金返済のために欲しいと要求した。そのお金があればすべての借金は返済できると嘘をついたようだ。実際には奨学金で返せる額では到底なかった。親からお金をむしり取られ裏切られる。その当時の兄の心境はもはや想像すらできない。

2. 高校生~浪人生活

2-1. 自信がゆらぐ陰キャ生活

とにかく貧乏から脱却したかったので、気楽なバイト生活を選んだ。父親からは部活をしてほしいと言われたが、誰のせいでこんな目にあってるんだと思いやらなかった。ちょっと走ることへの未練があったけども。

この選択は自分の自信をゆるがす大きな選択。
なぜなら、自信=自己肯定感+自己効力感 で自己効力感の大きな部分を占める『走ること』が武器にならなくなったから。部活をやらないと、さすがに走ることで部活勢に勝てない。特に長距離に自信があったので日々の積み上げで差がつく。私から走ることを取ると何も残らない。

なので高校生活はちょっとした悪夢。さらには女子7割の高校だったが、自分の外見にコンプレックスがあるわたしには地獄。学校初日からクラスの女子と会話すらまともにできなかった。

なお、中学から高校に上がるタイミングで親が離婚。こども4人は父方に。母はこのあたりで自己破産(たぶん)。おかげで生活は苦しいものの多少は改善。ただ家庭内はさらに荒れ、わたしと父との関係性も最悪。会話をしない。そのため学校の教科書代や交通費(通学定期代)を自分のバイト代で賄う必要があり、バイトしても遊ぶお金はあまりなかった。毎朝、お弁当を自分で用意するのも辛い。たかがお弁当の中身ですら、みすぼらしくないかとお昼休みビクビクしていた。

コラム② 八方美人
高校のとても尊敬する友人から言われたこと。自覚あり。関係性ができるまでいい人、まじめな人を演じてしまう。嫌われたくないという意識が強く、社交性が低いのに無理をして愛想を振りまく。今も名残があり無理をする自分がいる。初対面の人と簡単に仲良くなれなくてつまらない人間と思われたかなと落ち込むことも多い。

2-2. やりたいこともなく頑張ることもできない

2年から理系クラス。理系は男女比が逆転する。ちょっと気が楽に。ただ勉強は頑張れなかった。兄と同じように大学に行って自分の道を切り開きたいけど、大学に行くことへの目的がなくモチベーションが湧かない。

ほどほどに勉強してると成績は学年トップになるも、そのせいでプライドだけ高くなる。学力的には当時届くはずもない九州大学を受ける。九大を受けたというだけのステータスが欲しかった。見事に撃沈。浪人決定。

2-3. 浪人時代

浪人は安く通える予備校に入れてもらえるよう懇願した。そして姉が金銭的なサポートをしてくれた。自分でバイトしながら勉強することもできたはずなのに、甘えた考え方だったと思う。

浪人して晴れて志望校に!とはならず。浪人中は旧帝大志望、医学部志望の人たちと同じクラスには入れてけっこう成績も悪くなかったはずだが、本番で緊張のあまり頭が回らず力を発揮できず。中学の野球部の監督の『お前はプレッシャーに弱いから』という言葉がよぎる。

3. 大学生

3-1. 寄生虫→熱中

志望校ではなかったが大学に進学。兄が大阪の業界トップ企業に就職していて、実家を出られる唯一の方法が大阪に行くことだった。
タイトルの寄生虫は私自身。兄に甘えて同居させてもらった。生活費も学費も一部出してもらっていた。
最初はありがたかったのに、だんだんと当たり前になる。
せめて勉強に集中していれば良かったが、なんとなく勉強していれば、成績も良かったので、一時は毎日カラオケやゲーム三昧。
ただ兄が近くにいたからこそ、それが刺激になり、ぎりぎりで持ち堪えた。兄は勉強のことを楽しそうに教えてくれた。そこから自分にも、少しずつ有機化学や実験の考察など好きなものを見つけることができた。だんだん夢中になれる瞬間も出てきた。実家から出て兄と暮らし始め、良い環境に身を置けたのは良かった。

コラム③ 自分が一番不幸
学生時代よく考えていたこと。中学校、高校のクラス、友人。兄や姉に金銭的な援助もしてもらえた。かわいい弟もいる。今振り返れば、めちゃくちゃ恵まれていた。そこに感謝はするが浮き沈みがあって、とにかく自分が一番不幸なように感じるときも多かった。
授業などで『アフリカの貧しい恵まれてない子たちが世の中にはたくさんいる』みたいなことを言われると、不幸マウント取られた気がして、その前に私のこと救ってよ!と完全に他人だより。勝手にイライラしていた。

3-2. 研究室に入る

希望の研究室に配属。楽しい研究生活を送るはずだったが、実験の作業が苦手。要はどんくさかった。先生と毎朝に進捗報告をしてディスカッションをするが、進捗が遅いので怒られすぎて辛くなる。早急に環境を変える決意をし、違う大学院への進学を決断。寮があり生活費も工面しやすい大学院に無事成績上位で優先的に奨学金がもらえる条件で進学が決定した。

コラム④ 出会い
大学時代に彼女ができる。研究室の先輩。その先輩と長く交際を続け、遠距離恋愛を経て結婚し今に至る。あまり多くを語られたくないと思うのでこの程度に。

4. 大学院進学

4-1. 順風満帆

大学院選びは本当に成功だった(※大学院は奈良。トップの画像がせんとくんなのはそのため)。この2年間は成功に満ちて自己効力感を上げるには十分だった。これまでと違い能動的に勉強もした。特に有機化学の授業では誰にも負けないぞ、と心に近い有言実行でトップ。
実際の製薬企業の社員の方が教授として指導してくださる研究室で、学生1人に数人の社員の方がついてくれる恵まれた環境。のびのびと研究を進められた。
あと、限られたお金の中で多少オシャレに気を遣えるようになる。カラフルな色使いが好きで自分の気分が上がるものを着ていると周りからオシャレだと言われ、へぇーそうなんだ!と思えるようになった。自己効力感⇧。

4-2. 就職活動

理系でモノづくりに関わりたいと思っていたものの、化学系・製薬系などピンとこなかったが、化粧品業界の存在にビビッと来る。これまで容姿にコンプレックスを抱えて生きていた自分にとってこれぞやりたいことだと思える業界だった。
『化粧品開発を通じて、外見に悩みを抱える人にその悩みを解消できる化粧品を提供したい』
『外見の悩みを解消することで内面まで生き生きと前向きに生きられる世の中にしたい』
という志望動機は熱量もあり嘘偽りがなかった。ポンポンと面接を合格し、就職氷河期でも複数内定。イケイケで悩める周りの同級生に面接指導までやっていた。ただ、大阪の第一志望企業は不合格。最終的に業界大手の関東の企業に行くことになるが、関西で就職した彼女とは遠距離恋愛に。

4-3. 最優秀学生賞受賞

先生方の手厚いサポートで研究は順調に進み、落ちこぼれだった大学時代の研究室では考えられなかった学会発表、特許出願もできた。自分でアイデアを練って新しい化合物を作って検証して…というPDCAを自分で回せたのも力になった。研究の裁量も自由度が与えられ、楽しくできた。
修士論文も順調に書き上げられた。最後に論文発表でのプレゼンもめちゃくちゃ練習し無難にこなした。結果として、その研究領域で1人しか選ばれない最優秀学生賞を受賞できた。研究を楽しめたこと、先生のサポートがしっかりしていたことが大きかったと思う。自分で違う大学院に行くと決めて、自主的に勉強して成果も出た。人生を切り開けている感覚が初めて得られた。
ただ受賞はおまけみたいなもの。実力があると自惚れ勘違いしてしまった。この浮かれた状態で就職したことで、痛い目に合う。


5.ここまでの振り返り

唐突に、あまり触れてこなかった価値観や長所ベースで簡単に振り返る。

5-1. 価値観

わたしは以下の5つの価値観(太字)を大事にしている。

ワクワク(1)する未来がある。
ワクワクできると前向き(2)になれる。
前向きな環境があるとチャレンジに集中し力を発揮(3)できる。
力を発揮し続けているといつの間にか目の前のことに熱中(4)している。
熱中した結果、誰かにいい影響を会えている自分がかっこいい(5)

例えば、中学校の体育祭でみんなを巻き込んだ時、就職活動、大学院の研究あたりはこの5つの価値観がかなり満たせていたと思う。
逆にワクワクや前向きのベースの価値観が満たされていないとき(生きる目的を見失っていた時期)は、絶望感が思考を支配。人生にも悲観的。

5-2. 長所(能力)

・チャレンジできる環境に身を置く
・新しい環境・経験に飛び込む

大学進学、大学院進学等、負の環境から脱却するために、自然と良い選択ができたと思う。いい環境を選び、いい出会い経験ができた。人生を多少なりとも自分の意思で切り開くことができたのは、今いる環境を嘆くよりも、変えることを考える、それが一番だと直感して行動できたから。

・道筋・計画・手段をみえる化する
・アイデアを発散させる
・データ・情報・知識から現状の戦略を疑い、見直す

大学院の研究では、自分で研究のPDCAを回す裁量をいただいたことでこのあたりの長所が発揮できるようになった。トライして気づきを得る瞬間が楽しかった。


以上、ここまで長文駄文を読んでくださりありがとうございました。

次回はようやく社会人になりますが、また沈み込んでいきます…。

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