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離婚したい妻の本当の思い

昼になって妻は起きてきた。
家で話しても息が詰まるから、ファミレスかどこかで話そうと言われた。この状況での会話は、外で醜態をさらすことになるだろうと思い、少しためらったが、二日酔いの気持ち悪さを治すために従うことにした。

数キロ先の珈琲館まで歩いて向かった。妻が変に明るく話しかけてくるのが不気味に感じた。
「この通りをよく散歩したよね」とか、「今年の桜は早いらしいね」とか。

私は、これまでの内容を紙にまとめたものを妻に渡した。今までのやり取りで相違がないか確認したかったからである。妻は、確かに間違いはないと認めていた。
その時は、この内容をご両親にも伝えようと思っており、最後は以下のようにまとめていた。

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私自身、お互いの生活で問題となるものは、可能な限り取り除く努力をしてきました。
家事の負担、生活のために入れているお金、部屋の広さ、会社の近さなど、すべて妻の方に良いようにしています。
それだけを並べるとただの悪口になってしまいますが、それで二人の関係がうまくいくならと、これまで気持ちの面で乗り越えてきました。
単純に乗り越えられない場合は、食洗機で家事の負担を減らしたように、何か別の方法で解決しようとしてきました。
これまで、妻が私のことを好きだと思っていたことが、心の支えだったのですが、ここまで否定されてしまうとどうしたらいいか分かりません。

結婚生活で不満になるようなことは、私が受ける側にあると思っておりました。まさか、妻の方から今の生活が限界だと切り出されるとは思っていませんでした。
ですが、私が気持ちの面で乗り越えたと思っていたことについて、相手に対して嫌な顔をしていたかもしれないです。
もしかしたら、この反応は鏡として私に返ってきたのかもしれないと思いました。

このような話を進める中で関係も悪くなってきており、現在、妻から離婚を切り出されております。
私は、なんとか互いが妥協できる落としどころを探してきましたが、妻からは「もう戻れない」の一点張りです。
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妻は私のことを「可哀想だね」と言った。悪気はあるようである。

話を聞いてみると、妻にとって、私が思う理想の結婚というものが重荷になっていたようだ。
理想の結婚像をちゃんと話した覚えはないが、これまでのひとつひとつの言動を思い返してみると、それがプレッシャーになっていたようだ。


「旦那のことを、もう保護者というかお父さんのようにしか見えなくなってしまった。
私は子供が好きじゃないし、妊活のために頑張るとかそういうのも無理。友人にそんな人がいるから、自分には無理だろうというのがわかってしまった。
で、子供を作ることをあきらめて妥協して一緒に暮らしても、いつかまた衝突してしまうだろう。
この考えは衝動的なものではなく、半年くらいずっと悩んでいる。

私の両親があなたのことを気に入っているのは分かっているし、こんなこと伝えたら怒るだろう。
あなたのお母さんもいい人だし、この前の年末年始で帰省して、これが最後になるかもしれないなって思うとなんか辛かった。

あなたが休みの日に合わせようとしてくれてるのは分かるけど、無理に一緒に過ごそうとしてギスギスしてしまった。

私は自分のことがだらしないのはよくわかってる。
お互いイライラしながら接していても、この先続かない。
あなたが何とか私とやってこうと我慢して頑張っている様子が、逆に辛くなってしまった。

本当に、妥協して私と夫婦の関係を続けようと思っているのか?
私には無理だし、あなたにはもっといい人がいると思うから別れようと思った。
こんなにいい人はいない」

分かるようで分からない。思いがけない言葉であった。

「なんか最初に付き合った人と結婚しちゃったけど、趣味も合わない、考えも合わない、将来像も合わないのに、なんとか頑張ろうとしているのを見ていて辛かった。
私はついていけなくなっちゃったから、あなただけ頑張っているのが可哀想で…」


一人暮らしが大変なのは理解しているようだ。でも、なんとかなると思っているようである。
妻の方で、友人に相談したのか聞いてみたら、
「私の友人なんて馬鹿だから、一人暮らし始めたら酒もって飲みに行くよってそんな感じ」とのこと。
今までの生活より一人暮らしの方がずっと大変なはずなのに、それを選ぶことを私はとても理解できなかった。

浮気を疑っていることを聞いてみたが、本当に職場の女友達のようだった。最近の朝帰りは、24時間営業の喫茶店で本を読んでいたようだ。
無理もない。距離を置きたいという話が出てから、家庭内の空気は悪くなっていったからである。
さらに、これまで外で愛人を作らなかったのは、私のことをスイッチが入ってしまったら徹底的に戦うような人間であると理解していたようだ。
浮気したら潰されるというのも分かっていたらしい。

結婚生活の重圧というものは、私だけでなく互いの親からもあっただろう。
そして、二人が妥協できる落としどころを探しながら、理想を目指していた自分に後悔した。
ということを話しても、「だからいい人すぎて辛いんだよ」と妻は言った。

それでも私はすべてを受け入れて、
「今までの話をなかったことにして、子供のいない人生設計でやっていってもいいんだよ」と妻に言ったが、
「これまで子供の話をしてきて、急になかったことにされても、それは嘘だと分かっているから、そのまま結婚生活を続けるのはさすがに辛い」というのが妻の考えだった。
だから、離婚して将来像が合う人と一緒になるのが私にとっての幸せだと妻は考えたらしい。妻は私のことをとても理解していた。

妻の表情がいつになく明るくなっていく。涙目ではあるが。
今まで、こんな思いを抱えていたんだなと思い知らされた。
そして、こんな話を聞いてしまって、確かにもう昔には戻れないと感じてしまった。

昔の思い出話もあった。確かに6年間は楽しかった。けれど、ここ最近は楽しい思い出が見当たらなかった。
なるほど、このままの夫婦関係は無理だ。無理なりに妻は歩み寄ろうとしていたが、私が思う方向とはかなりずれていた。

とりあえず、お金や家具、家電など、どうするかを聞いてみた。
「共有の口座から半分より少なくていい。口座に入れているのはあなたの方が多いからね」と。
いやいや、共有口座の半分は最低でも持っていけと思った。
私は、妻の一人暮らしに対するお金の心配や家事の心配をしたが、それはもう保護者みたいな思いであることに気づかされた。

「お父さんから貰った車を乗り続けるのはつらいね」とか、「大きな家具は一人暮らしにはいらないから置いていく」とか、そんな話もあった。
プロポーズの時に贈った腕時計は売れないと言っている。ちっとも使っていないのに、思い入れがあるらしい。
「別れた男のプレゼントなんか持ち続けてはいけないよ」
どっかのドラマみたいな台詞が出てきてしまった。私は何を言っているんだろうか。
二人とも涙が溢れ出てきてしまった。

大宮の珈琲館でおかしな夫婦が別れ話をしている。隣のテーブルのおっさんは、こちらが気になって、おそらく新聞を読んでいない。
やはり、外で醜態をさらしてしまったので店を出ることにした。


天気が良かったので、大宮の氷川神社に行った。

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いつになく楽しいひと時だった。
こんな妻の清々しい笑顔を見たのも久しぶりである。

ただ、婚姻関係を続けたところで、この笑顔は続かないのだろうということを悟り、私も離婚に向けて進めようと決意した。
そして、私の妻に対する気持ちも、もう男女の関係ではなくなっていた。

ここに思い出して書けないことがまだまだあり、妻の考えが分かったようで分からない不思議な一日であったが、話し合いの前の何とも言えない不信感は消え、少し心が晴れた気がした。

2020年2月


*これは当時の日記を元にした、1年前の話である。日記のため、「妻」と表記している。離婚に至るまで、このnoteはつづく。


*このnoteの続き


*このnoteのはじまり


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