見出し画像

ブログ黎明期だったあの頃、僕らは中学3年生だった。

2019年12月15日、Yahoo!ブログが約14年の歴史に幕を下ろした。

「ブログ」の黎明期を作ったとも言われるYahoo!ブログ。
そのサービス終了は、2000年代のインターネット文化を生きた人々に大きな衝撃を与えた。

*****

2005年、私は中学3年生。
幼少期からお年玉を貯め続け、念願のデスクトップPCを手に入れた。
真っ先に開いたのが、Yahoo!ブログだ。

「流行っているらしいし、やってみよう」
そんな理由からだったと思う。

最初は好きなバンドの話や漫画の話、学校生活のことなど、他愛もないことを書いていたが、次第にブログは私にとって「セーフティネット」になっていった。

*****

当時の私の家庭環境は荒れに荒れていた。
警察や児童相談所が何度もやってくるほどだ。

原因は母親の暴力とヒステリー。
洗面所に髪の毛が1本落ちていたくらいで殴る。
受け答えをひとつ間違えば終わり。拳か包丁が飛んでくる。
四六時中、母親の目を気にしていなければいけない。

そんな生活、14歳の少女が追い詰められるには十分すぎた。

その時に救いの場となっていたのがブログだ。
ネットリテラシーという言葉もない当時、私はブログに日々の叫びを書き殴っていた。
現実では行き場のない訴えを、どこかの誰かに見て欲しかったのかもしれない。

*****

当時メインで交流していたのは、好きなバンドがきっかけで仲良くなった年上のお姉様方。
不思議なことに、そのお姉様方は私と同じ「機能不全家族」で育った人が多かった。

好きなバンドのジャンルがヴィジュアル系だったので、心に何かしらの傷を負った人が集まりやすかったのだろう。

10歳以上も年上の彼女たちは、14歳だった私の「逃げ出したい」「死にたい」「助けて」に親身になってくれた。
辛かったら電話しておいで、と携帯番号を教えてくれた人もいたし、大人目線ではなく傷付いた子供目線で接してくれる彼女たちは、私にとって唯一の心の支えだった。

*****

さて、実は今回のテーマはお姉様方との話ではない。
彼女たちとのエピソードは、また機会があれば深く語ろうと思う。

バンドのファン同士、機能不全家族で育った者同士での繋がりとは別に、交流していた層がいる。

同じ「中学3年生」というカテゴリで仲良くなった子たちだ。

*****

当時のYahoo!ブログには「ゲストブック」「ファン限定公開」とユーザー同士の交流を活発化させる機能があり、「バトン」や「リレー」といった交流の輪を広げる企画もあった。

おそらくそれで繋がったと思うのだが、ブログ内で仲良くしていた中学3年生の子たちが何人かいた。

その一人が、Mくんだ。

Mくんは関東出身で、映像制作を目指している男の子。
私の記憶が正しければ、当時からフィリピンに留学していたと思う。

Mくんとは「同い年」以外にほとんど共通点もなかったが、何故か不思議と縁が続いていた。

*****

mixiが台頭して私を含むブログユーザーがそちらに流れた時も、Mくんとはmixi内で友達だった。mixiからFacebookに移った時も、どちらからとも知れず友達申請をした。

Yahoo!ブログで絡んでいた他の同年代ユーザーは、Mくん以外みんな行方知らず。
Mくんとも、友達一覧にいるというだけで、積極的にコメントやメッセージのやりとりはしていなかった。

たまに彼の投稿がタイムラインに流れてくると、「制作の学校を卒業したんだな」「自分で会社作ったんだ!」「まだフィリピンで頑張ってるんだね」と遠くから見守っていた程度だ。

交流はなくなっても、「私にとって大事だった場所で知り合った人」という特別感があった。

あの頃知り合ったあの子が、今はこうして活動しているんだ。

それを知れるのはなんだか嬉しかった。

*****

そんなMくんからTwitter経由で連絡がきたのは、なんと今月に入ってから。

今月から扶桑社の『日刊SPA!』で執筆することになり、そのことをFacebookに投稿した。
Mくんは投稿を見て、記事内に記載していたTwitterアカウントを探してくれたらしい。

あっちはとっくに私を忘れているだろう。
そう思っていたので、なんとも嬉しい出来事だった。

*****

彼はDMのやり取りの中で、「なおさんがブログ時代にやっていたことを、今でもメディアのライターとして続けているのが感動だった」と言ってくれた。

それを読んで、「ああそうか、私はあの頃から、文章で何かを世の中に訴えて表現したかったのか」と気付かされた。

自分の心の内や頭の中を言葉にして残す。
その作業は私にとって息をするのと同じで、今まで意識したことがなかった。

私がライターをやっているのは偶然の産物で、「ちょっと文章が得意だからやってみようか」程度で始めて、「書くからには何か読者に爪痕を残したい」ただそれだけだった。

でも、趣味で小説を書いていた時も、研究者として論文を書いていた時も、ライターをやっている今も、「自分の文章で他者に影響を与えたい」その気持ちだけは変わっていない。

多分その願いは、14歳の頃、ブログをやっていた時から続いているのかもしれない。

Mくんの一言がきっかけで、自分が何で今ライターをやっているのか、原点を見つけられたのだ。

*****

さて話を戻そう。
MくんもMくんで、14年近く「なおさん元気でやってるなー」と遠くから見ていてくれたそうだ。

彼とは一度も会ったことがなく、SNS以外での連絡手段も知らない。
約14年もの間、ネット越しに自分を知ってくれている存在。
一度も会ったことがないはずなのに、(一方的に)古い友人と接している感覚だ。
これをきっかけに、新型コロナウイルスが収束すれば一度会いたいねと話している。

中学生の頃からの「自分の好き」を叶えた仲間としても、いつか彼に会うのが楽しみだ。

※今回の記事で登場したMくん(みきおくん)ご本人の許可を取り、Twitterアカウントを掲載します。


おもしろいと思ったらサポートよろしくお願いします。サポートは書籍購入に使わせていただきます。