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執着と無関心と承認と。

他人に承認してもらわないと自己価値を見出せない生き方は疲れた。

昔から人やモノへの執着が強かった。
原因は明白で、親に関心を持ってもらえなかった幼少期が影響している。

物心ついた時から実母は仕事に夢中で、私に監視や干渉の目を向ける一方、私個人には無関心だった。

歪んでいる。
「自分の子供」としての私と、「私個人」としての私は彼女の中で別物だった。
子供=自分の所有物、第二の自分の人生だと思っていた実母にとって、私個人の人格は目に入っていなかった。

母親に関心を持ってほしい、かまって欲しいとおどけてみたり道化を演じたこともあったが、今に至ってなお、その願いは叶えられていない。

話を戻そう。
ありがちな話で、生育環境がゆえに自己肯定感が育たなかった私は、見事に承認欲求モンスターと化した。

他人に認めてもらわないと、自分を認識できない。自分を認められない。

判断基準はいつも他人からの評価で、絶対評価など存在せず、いつも相対評価だった。

何をしても、どんなに良い結果を出しても自分に自信が持てないのは、親に褒められた経験が少ないからだろう。

結局自分について語る時にいつも両親への恨み言になってしまうのは、もう仕方がない。
いい歳こいてクソダセェなと思うが、親を責める以外に慰めがないのだ。

だからといって、何の救いにもなりゃしないのだが。
今更、高齢となった親に恨み言を吐いて責めてもどうしようもない。
理解はしている。

ああ、また話が逸れた。
気付いた時には承認欲求モンスターになっていて、そのせいか、自分と関わった人やモノに酷く執着するようになった。

まず、物が捨てられない。
物=己の人生記録・記憶で、使用していない物や着ていない洋服ですら「あの時の自分の一部」として手放せなかった。

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1,623字
救われない遺書

感情の墓場。 この世から逃避行したくなった時に書き殴ったもの。

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