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理学療法士養成校で学んだこと

今回は、僕の人生においてもたいへん大きなターニングポイントになった、理学療法士(PT)の養成校時代の話を中心に書いていこうと思う。前回の話は、若かった頃のことを書いてみたけど、スポーツトレーナーになりたい人に必要な話からは少しそれてしまったかもしれないよね。なので、今回は少し話を本題に戻そう。理学療法士の養成校時代の、僕にとってはその後のPT人生、というか僕の人生に大きな影響を与えた2つの出会いについてお話したいと思う。

T氏との出会い

なんちゃってトレーナーの経験があって、多少の下地があった僕は、学校に入学するやいなやものすごい勢いで勉強した。特に、自分が将来関わるつもりでいた外傷や障害に直接関わるであろう骨・関節系の知識や生理学・整形外科学の分野は貪欲に学んだ。将来、トレーナーとしてスポーツ現場で働きたいと思っていたし、PTという資格を取る目的は、スポーツ選手のリハビリを沢山経験することだったわけだから、そのあたりの知識に不足があってはいけない。基本をおろそかにして現場に立っていた僕は、基本を体系的に学んでいくことができる環境が嬉しくてたまらなかったし、昼間仕事を終えて夜の学校へ通うのは、楽しいことでしかなかった。もちろん、授業中の眠気とは決死の覚悟で戦う必要があったのも事実だったけど(そしてよく負けていた)。当時は学校の勉強に加えてよく理学療法系のジャーナルを読んでいた。「PTジャーナル」とか「理学療法」とか片っ端から読んで治療手技だったりとか考え方だったりとか疾患についての知識をため込んで頭でっかちになっていた。知識ばっかり蓄えて、いい気になっていたかもしれない。

3年生のときだったと思う。そんな僕に頭から冷水をかけたやつがいた。自分が進もうとしている分野を志す同じ学生で、Tってやつがひとつ下の学年にいるだろ?って周囲の人に前々から言われていた。おんなじ学校にいるらしい。どうやら、同じようにアメリカンフットボールをやっていた過去があって、骨・関節系のリハビリをやっていくつもりの後輩がいるというのだ。。ぜひ会ってみたい、と思っていたし、いろんな話ができたらいいな、と思っていた。それなりに自分も勉強しているつもりだったし、現場のことも少しは知ってるから、良いお話ができる?と思っていたし、なんなら、ちょっと教えてやってもいいぞ、くらいの感じでいた。

ある日、授業時間の合間の移動時間に歩いていると、ラウンジで英語の論文を読んでるスマートなイケメン(鼻につく)がいた。最初の印象は、「げっ!何こいつ!!」だった。自分も今まで論文みたいなの読んでたけど、英語の論文なんて、自分には読めないものと思っていたし、そんなところから情報を得る方法を知らなかった。

思い切って話しかけた。。

「いっつも英語の論文読んでるの??」

「(??なんでそんなこと聞くんすか??あたりまえでしょ)えぇ、まぁ」

うぅぅーー、かっこええーーー!!俺もそんなふうになりたいーー!!が最初の感想だった。その時点で大きく遅れをとっていたわけなんだけど、とにかくこのTはすごかった。僕らの学校は成績がすべて「優」だと次の年の学費が半額になる。彼は1年生のときにそのAll 優をとっていた。で、「すげーな。。」って言うと、「あれは狙えば取れるんですけど、かなりしんどいんですよね・・。コスパが悪いんでもうやめました。」って言う。うぅぅぅーーー、、またまたかっこいいやんけーーー!!どこまでかっこいいねん。そんなわけで、僕もそれから当たり前に英語の論文を読めるようにならないといけない、と思って英語の勉強をしたし、自分が進む方向以外の勉強はあまり力を入れていなかったんだけど(だからテストもギリギリだったりした)、学校の勉強でつまずくようじゃ、彼のようにはなれない、と思い、どの教科の勉強もしっかり成績を残せるような取り組みに変えていった。早い話、いくつも年下の、学年も下の一人の青年に、憧れてしまったわけだな。その当時は、負けたくない、って気持ちもあったと思うけど、僕なんかが太刀打ちできるわけないくらい賢い彼は、僕の努力の方向を変えてくれた。自分の中の常識を上限にしたところから、広くて高い世界の壁を知る大切さ。そして、どんな勉強も疎かにせず、全てを自分の肥やしにしていく大切さ。この2つの大事なことを彼が気づかせてくれたんだと思う。

そこから聖路加国際病院の実習でお世話になった僕は、Evidence Based Physical Therapyの実践を教えていただくことになる。このときも、スーパーバイザーにしれーーっとした顔でいきなり英語の論文を渡された。「これなんか参考になるんじゃない?」とかなんとか言われて。でも、当時の僕はそれを受け入れて、もっとください!っていう状態になっていたから、とても良い勉強ができた。その後に行く実習では頭でっかちで柔軟性の足りない僕は人並みに苦労したけど、なんとか乗り切ってPTになることができた。

後日談になるけど、PTになって2年目に入ったとき、僕は、Tがトレーナーを務めるチームに派遣されることになった。そこでみた彼の実力は、僕の想像を超えていた。そんなTと、知識や技術で真っ向から勝負しても全くかなわない。そのように打ちのめされたのも良い経験で、そこから、自分にとって生きていく道は一つじゃない。自分の強みは何か、ってことと、その強みを磨いて誰にも負けないレベルまで高めていくことが必要だ、って肌で感じた。つまり、完敗を経験して、PTとして生きていくために必要なことを学ぶことになった。それもこれもTというすげぇ友達がいたからわかったことだったんだ。感謝してるぜ Tくん。

このように、Tの存在は、自分の世界(間口)を広げて高い目標に向けて勉強していく大切さと、どのような課題も疎かにすべきではないというマインドセットを作るきっかけを与えてくれた。

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(PTになってからも色んなことを彼に教えてもらった。。家族ぐるみの付き合いをさせてもらっている)

底なしにいいひとたち

社会人を経験してから学校に入り直しているから、僕には年下の「御学友」ができた。「人のためになる仕事」を志す人達だから、まぁみんな良い人なんだろうな、って想像できるよね。実際、クラスのみんなが良い人だった。なんていうか、社会的な倫理規範がしっかりしていて、やんちゃそうな顔してるくせにタバコをしっかり携帯灰皿にいれちゃうような、みんなそんな人達だった。僕は、ろくでもない人間だった。今でもまっとうな人間だとは思っていないけど、とにかく、当時野心というか、向上することだけを目標にしていた僕は、クラスから浮きまくっていた。

夜間部って、仕事しながら勉強に来る人が、たんたんと勉強して帰るようなところだから、みんな「友達を作りに来てるわけじゃないんですけど感」がある。けど、僕には今でも連絡を取り合う大切な仲間ができた。一年生のときから、なんだか一緒にいた。彼らは、とにかく「良い人」だった。嘘をついたり、ごまかしたり、人を欺いたりは決してしないし、人として間違ったことを、(あまり)しない。

彼らは、掛け値なしに優しかったし、思いやりがあった。僕が一番年上だから気を使ってくれているのもあったかもしれないけど、ダメなことはダメだって言ってくれた。そんな彼らから、人間として未熟な僕は多くのことを学んだと思う(その当時もいい大人だったのに。。)。

PTという職種の人間が持っているべき素養、そういうものが僕には足りなかった。その素養が何なのか、未だに追求しているところかもしれないけど、一言で言うならこういうことなのかもしれない。

目の前の人が困っていたら、自分にできることを精一杯やる。

彼らと一緒にいてそんな気持ちを少しだけ育ててもらった時間だった。

学校には、「プロフェッショナルだ!」と思える先生、すごい知識と経験を持った先生がたくさんいた。自分がやりたいと思った仕事のその入り口に立ったとき、その道のプロから沢山のことを教えてもらえたことは、その後の僕のPT人生を支えた。

けど、学校で学んだことは、知識だけじゃなくて、PTという仕事をしていくうえで、自分はどうあるべきか、という心構えが一番大きかったと思う。彼らから、いろんな課題をもらえて少しだけ成長できた。

社医学

(当時一緒に学んだ仲間たちはPTになっても良い仕事をし続けていて、とても尊敬できる友達だ)

勉強は続いている

養成校時代の話で、「何を学んだのか」ということを書きたかったけど、結局、勉強なんていくらでもできた。時間さえあれば朝から晩までレポートを書いたり論文を読んだりしていた。そんなことはいくらでもできたけど、養成校時代に学んだことはもっともっと大きなことで、PTとして臨床の現場に出るなら、そして、自分がスポーツ選手を支えていこうと思うなら、人としてどうあるべきなのかということをもっと考えろ、という時間になったんだと思う。

選手のために何をすべきか。

自分にできることを精一杯やる。

たったそれだけのことを養成校時代に考えさせられて、未だに学び続けている。御学友に感謝だ。


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