なかったことにしている過去はありますか?
「遺作のつもりで作りました♪ よかったら聴いてね!」
寒波で動かなくなった電車の中、内容とテンションが真逆のラインが届いた。相手は父の妹、叔母だ。昔、叔母とその夫の叔父は、かなり有名なミュージシャンだったらしい。「有名といっても、ドラマの主題歌をミリオンセラーで一発当てたくらいだけどね」と、本人からではなく、十八の頃から通っている散髪屋のおじさんづてに聴いた。その一発屋のバンドが二十年ぶりに再結成し、新曲を作ったので聴いてねという連絡だった。
なぜ再結成したのだろう、とまず思った。叔父と叔母は離婚しているし、文面には肺がんでライブができない旨も綴られていた。虎視眈々と二発目を狙っているわけではなく、本当に遺作のつもり、思い出づくりに近い感覚で作ったのだろうか。それにしても不可解だと思った。僕は東京で、叔母が有名なミュージシャンだった過去を、なかったことにして生きている姿を見たことがあるからだ。
離婚した叔母は、娘を育てていくために東京で弁当屋を営んでいた。その弁当屋に、気の迷いで一度だけ訪れたことがある。場所は叔母のSNSを通して知っていた。新宿駅から歩いて十五分、路地に入って入ってしたところに、お世辞にも綺麗とはいえない弁当屋があった。ガラス越しにレジに立つ叔母を見つける。気を抜けば、昔からありましたよね? と尋ねたくなるボロボロの外見だが、たしかに叔母が数年前に開店した、新しい弁当屋だ。
叔母とほとんど話をしたことはなかった。叔母よりも、離婚した野球好きの叔父によく懐いていた。よく叔父と叔母の家で、叔母が作ってくれた唐揚げを食べながら、録画の野球を見た記憶がある。叔父は録画していた数日前のプロ野球を、まるでライブでやっているかのように観戦するプロだった。そんな叔父と叔母が有名なバンドをしていたことを知ったのは、二十歳を超えてからだ。しかも散髪屋のおじさん伝いに知ったことだった。
親戚ほど距離感の分からない関係性はない。なんて挨拶をしようか、そもそもなぜここに訪れたのか自分でも分からないまま、吸い込まれるように入店してしまう。叔母は接客中で、僕には気付いていないようだった。並べられた中からトンカツ弁当を手に取り、レジ前の列に並ぶ。この時点で気付かれるのが一番ややこしいので、スマホ片手に俯き、待っていた。ひとり、またひとりと順調なリズムで列から退場していき、空いたスペースを前に詰める。
あと一人、の段階で、急にリズムは途切れる。僕の前にいる客が、二、三分粘っていた。弁当屋で何をそんなに?と聞き耳を立てる。どうやら叔母がやっていたバンドのファンらしい。どこで聞きつけたのか、叔母がここで弁当屋を営んでいるのを知り「もう一度やってください!」と何度もレジ前で懇願していた。
叔母は、終始知らないふりを決め込んでいた。「人違いですよ」と、穏やかな顔で一蹴し、自分が作ったであろう弁当を綺麗にレジ袋へ詰め込む。憤ったのか、前の客は弁当を受け取らず、走って店を出て行ってしまった。そこで初めて、叔母と目が合った。叔母はばつが悪そうに笑いながら「いらっしゃい」と迎えてくれた。
僕は思わず「なんで知らんふりしてたん?」と聞いてしまう。叔母は僕が手渡したトンカツ弁当を包みながら「なかったことにしたい過去もあるからねえ」と、俯きながら言うだけだった。その理由は僕には分からないし、きっとこれからも知ることはない。ただそのとき、初めて叔母ではなく、一人の人間として話せた気がした。「若いから二個くらい食べれるやろ」と、叔母は前の客が置いてった弁当も一緒に詰めてくれた。前の人が選んだ唐揚げ弁当は、懐かしい味がした。
そんな叔母がバンドを再結成したと言うのだから、信じられなくて当然だ。どんな心境の変化があったのだろう。叔母のフェイスブックには「希望ある二十歳の娘に、なかったことにしたあの頃ではなく、真剣に取り組んだあの頃を話してやりたいと思ったんです」と綴られていた。
それは供養というより、そもそもの墓を作ることに近いように思う。墓は死者のためではなく、生きている人のためにある。これから二十歳になる娘のために、叔母は今までなかったことにしていた過去を、叶わなかったけれど真剣に取り組んだ過去として、刻むことを決めたのかもしれない。
叔母の遺作(暫定)を聴きながら、電車が動くのを待っている。正直、僕の音楽の趣味からは外れていた。それでも「いいな」と思えたのは、身内だからではないと思う。前向きで、明るいメロディがイアホンから直接頭に流れ込んでくる。電車はまだ前に進まない。車窓から線路の向こう側に弁当屋が見える。今度この駅で降りたら、その弁当屋で唐揚げ弁当を食べようと、降りる頃には忘れていそうな誓いを静かに立てた。
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