牝牛と画家とポスターと
昨日ご紹介したサヴィニャックのチョコの絵が、何度も何度もボツになり、ポスターとして採用されなかったことは書きましたが、実は、この雑誌の表紙にもなっている、モンサヴォン社の牛乳石鹸のポスターも、最初はポスターとして採用されず、お蔵入りになっていました。
それは、サヴィニャックがまだ、ある広告会社で働いていた頃の話になりますが、彼はある理由でその会社をクビになり、ただでさえ少なかった収入もゼロになり、途方に暮れるわけですが、それを救ってくれたのが、彼が一緒にアトリエを借りていたポスター画家の友人でした。その友人は打開策として、サヴィニャックにある提案をします。「商売が上手くいかないなら、展覧会をやるしかないな。僕たちに出来ることを、連中に見せてやろうじゃないか」と。それを聞いたサヴィニャックは、あんまり乗り気じゃなかったのですが、他に状況を打開する手もなかったので、二人で一緒に展覧会をすることにしました。
その展覧会には、ポスターのための原画を、それぞれ十二枚ほど準備しました。そしていよいよ、展覧会の幕が開くのですが、そこに来たのが、彼をクビにした雇い主の実業家でした。その実業家は、モンサヴォン社の経営者でもあったので、この牝牛の絵の前に立つと、こう言いました。「ああ、サヴィニャック君!君は私のために、こんな素晴らしいポスターを描いてくれたんだね」と。すると、サヴィニャックが言いました。「このポスターは以前、あなたが買い上げたポスターですよ」と。それもそのはず、このポスターは、モンサヴォン社でお蔵入りになっていたモノを、サヴィニャックがこの展覧会のために、わざわざ借りて来たポスターだったのです。それを知った経営者は、今更ながらに言いました。「こいつは凄いぞ、すぐに印刷させよう!」と。やがて、パリの街中に、このポスターはたくさん貼られ、パリの人々を、たちまち虜にしたのです。
この出来事がきっかけで、サヴィニャックは、ポスター画家として、ようやくデビューを果たします。その時、彼は四十一歳。遅咲きの花が、パリの街に咲いたのでした。その一部始終を、最初から最後まで見ていた牝牛は、いろんな思いを胸に秘め、過ごしていたのではないでしょうか。もちろん、この絵を描いたサヴィニャックご自身も、長い下積み生活の末に掴んだ日々を、嬉しい悲鳴をあげながら、噛みしめていたことでしょう。
人知れず埋(うづ)もれてゐたポスターの牝牛と画家は花の都(フランス*パリ)で 星川孝
と言うわけで、昨日に続いて本日も、僕が大好きなサヴィニャックに関する知られざるエピソードを、お話させていただきました。どんな状況でも、決して錆びずに諦めなかったサヴィニャックは、僕にとって、やっぱり偉大な人生の先輩であり、ポスター画家に他なりません。そんなサヴィニャックのコレクションや、妻と一緒に行った東京の展覧会のお話も、機会があればいずれまた^_^