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金の斧、銀の斧の話から得られること

金の斧、銀の斧という話がある。有名な話だが、概要をかいつまんでいうと、以下のような感じだ。

・ある日、木こりが森の中で木を切っていた時に、誤って泉に自分の斧を落としてしまう
・泉の中から神様が現れて「あなた落としたのは、この斧ですか?」と、金の斧を手にして尋ねる
・木こりは「違います」という
・今度は銀の斧を差し出して再び「あなた落としたのは、この斧ですか?」と、木こりに尋ねる
・木こりは「違います、私が落としたのは普通の(鉄製の)斧です」という
・木こりの正直な受け答えに感心した神様は、金の斧、銀の斧、普通の(木こりがもともと持っていた)斧をすべて木こりに渡す
・3本の斧を手にした木こりは、仲間の木こりたちに上記の一部始終を話す
・その話を聞いた仲間の木こりの一人は、自らも泉に赴き、斧を(わざと)落とす
・例によって泉から現れた神様は金の斧を手にして「あなたが落としたのは、この斧ですか?」と、尋ねる。
・木こりは「そうです」と答える
・神様は「嘘つきには斧は渡さない」といって、泉に戻ってしまう
・正直に答えなかった(仲間の)木こりは自分の斧を失っただけで終わる

この話の教訓としては、正直でないといけませんよ、かえって損をしますよ、ということである。どうして嘘をつくといけないのかというのは、オオカミ少年の話もそうだが、結局は自分が損をすることになるというオチである。

しかし、この話を聞いていて、不思議に思うことがある。仲間の木こりはどうして正直に言わなかったか?という点である。もっというと、3本の斧を手にした木こりが仲間の木こりたちに話を聞かせた時に、自分が正直に答えたから3本の斧を手に入れることができたと伝えていたにも関わらず、どうして同じようにしなかったのか?という点だ。

実は、3本の斧を手にした木こりが結果だけを述べて、経緯を端折っていたから、仲間の木こりは知らなかったという考え方もできなくはない。ただ、自分のことを正直に話すような人間が、途中のプロセスをすっ飛ばし、結果だけを説明するだろうか?という疑問が残る。なので、説明はきちんとなされたものと仮定するほうが自然である。

それでは、話を聞いていたにも関わらず、(正当な)手順を踏めなかったということになるが、そうなってくると考えられるのは、
① そもそも、話をちゃんと聞いていなかったから再現できなかった
② 話は聞いていたが、せっかちであるため手順をすっ飛ばした
③ すごく性格の悪い人間で、相手を騙してやろうと思った

③は論ずるに値しないとして、①も②もあり得そうである。結果だけを追い求めて途中を理解しないというのは、木こりに限らず結構色々な人がやりがちなミスである。たとえば成功者の真似をするとして、表面に見える結果だけをなぞり、肝心の手順や段取り、背景にある考え方を考慮しない。それでは結果が付いてこなそうである。たとえば、ダイエットをしたいとして、ある食品が良い!とあれば、その食品にだけ飛びつく。そうやって手を変え品を変え色々なものを試してみるが結局長続きせず挫折する。ダイエットの本質は、消費カロリーを増やし、摂取カロリーを減らすことである。これが達成できればあとは手段の問題である。押さえるべきところを押さえていないと、やっている感だけで終わってしまう。

金の斧、銀の斧の話の本質は、結果だけを見ないで途中経過もちゃんと理解しましょうねということなのではないかと思う。そうであれば、極論、仲間の話を聞いた木こりが正直者でなくても、3本の斧を手に入れられたのではないだろうか?正直者云々の件は、子ども向けの教訓用に付けられた結論のような気がする。だいぶ穿った見方だとは思うが、結構重要なことをこの話は教えてくれているのではないだろうか。

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