【処世術】「みなまで言うな」文化が妨げる言語化能力
まえがき
「みなまで言うな」という言葉は、感覚や認識の共有を前提にするという日本独特の文化を色濃く反映している。
多様な価値観を持つ他者に対して伝わる努力がなされず、結果として言語化能力の発達が妨げられている。
ここにあるのはそれぞれの解釈だけだ。
共感を前提とするこの姿勢は、グローバル化と多様化が進む現代において重大な問題となりつつある。
二種類の言語
現代社会では、言語は単なるコミュニケーションツールにとどまらない。
特にChatGPTのようなAIとの対話では、自然言語がまるでプログラミング言語のような精密さを求められる場面が増えている。
例えば、Excelの関数を作成する際も同様である。
感覚的に理解している内容を一般化し、式に落とし込むには抽象的な概念を言語化する能力が不可欠だが、日本人はこの部分で苦手意識が強い。
共通認識の罠
日本は島国であり、移民の受け入れが少ない。
この歴史的なり地政学的なりの背景により大衆間で共通認識を築きやすいメリットが生まれたが、その反面、異なる価値観の者に事実を正しく伝えるための「言語化能力」が育たなかった。
ツーカーで当たり前という、ある種の同調圧力と異人排除が働いたのだ。
この欠陥が、過剰な多様化が進む現代社会で一層明らかになっている。
意味論としての言語化
言語化能力を語る際、重要なのは単なる文学的な文章力ではない。
比喩や皮肉といった読み手の解釈に委ねる表現は、文化的であると同時に、誤解を招く可能性が高く、情報伝達としての言語化では悪手といえる。
求められているのは、100人に伝えて100人が同じ解釈をする「意味論」としての言語化能力だ。
例えば、テレビ番組で有名な「絶対に押すなよ!」というフレーズを考えてみる。
これを「押せ」という意味で使うのは語用論に基づく解釈だが、「押すな」という文字通りの意味で解釈するのは意味論に基づく。
この違いが、情報伝達の精度を大きく左右することを理解しなければならない。
プログラミングにおいて、語用論はありえないのだ。
プログラミングやExcelが関係ないと思っている人も関係なくはない。
生成AIの台頭は全ての人間の生活に影響が出るのは絶対だし、先に伝えたとおり、chatGPTなどの生成精度はそれを使う人間の意味論としての言語化能力に依存するからだ。
chatGPTへの悪口は特大ブーメランなのだ。
まとめ
現代社会では、感覚や共感に頼るのではなく、異なる価値観を持つ人々に対して自分の意図を正確に伝える意味論での言語化スキルが不可欠だ。
「みなまで言うな」ではなく、「みなまで言える」ことこそが、これからの時代を生き抜くための必要なスキルであることは明白だろう。
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