【私の学び直し】昔の歴史と今の歴史
何度か記述していますように、私は顧問先との関係の件で、年間に何度か学習塾でのお手伝いをしています。
そうすると、当然学生に対しての授業を行うことが多くなるのですが、その際に、私が学生の頃に勉強したものが、今では無くなっているor修正されている事柄があるということに気づきます。
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例えば、皆さんも知っている方が多いと思いますが、良いくに作ろう(1192)鎌倉幕府が、良いハコ作ろう(1185)鎌倉幕府となったように、特に社会(歴史)で多いです。
また、私は日本の歴史が好きなので、個人的に歴史的重要な出来事について調べたりもしています。
徳川5代将軍・徳川綱吉の生類憐みの令は、教科書に記載されていますので、ご存じの方は多いと思います。
簡単に徳川綱吉の生類憐みの令について(一般的な)説明をしますと、徳川綱吉は犬公方と呼ばれたり、蚊を殺しただけで重罰になってしまうなど、天下の悪法と言われています。
私も学生のときには上記のように理解したのですが、調べ直してみるとまた違った一面が見えてきました。
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徳川綱吉の治世時は、天災が多く発生したこともあり、捨て子や病人や老人(いわゆる姥捨て山)などが存在していました。
さらに、その捨てられた人で味をしめた野犬が多く発生し、子供や女性など弱い人々が外出するのが怖い世の中だったそうです。
ですので、まずは捨て子を発生させないような厳しい決まりを作り、さらに野犬を捕まえ一か所に集めることで人が襲われないようにする、つまり、生類憐みの令は、社会全体を考え、生き物全体を大事にしようとする狙いでした。
しかし、生類憐みの令は、年を重ねるごとに少しずつ内容が追加&修正・訂正されていきます。
必要の無い生き物まで保護したり(魚釣りも禁止されていたとか…)
決まりを破った者を密告した者に賞金を与えたり…
少しずつ中身が変容し、初めの狙いから大きく乖離してしまいました。
これは、現代にも通じる話(教訓)なのではないでしょうか。
徳川綱吉は、武断政治(武威・力をもって治める)から文治政治(倫理を広め、法律で治める)への転換を推進するなど、徳川幕府の末永い繁栄につながった礎を作ったとも言えるので、もう少し評価されても良い将軍だったのではないでしょうか。
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もちろん、上記の徳川綱吉・生類憐みの令について私の信じている解釈は、諸説あるうちの一つであり、本当にどうしようもない将軍・悪法だった可能性もあります。
最近でも、ある発掘調査で「邪馬台国の本拠地を示す手掛かりが!?」といったことが話題となりましたし、資料や発掘品から様々なことが分かり、修正される歴史という分野は、とても面白いですよね!
(という話しを学生にしたのですが、「暗記がめんどくさくなる・暗記したものが役に立たなくなる」などという反論&ブーイングがあったことは伏せておきます…)
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