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決められたレールなど、なくて良い。

両極端の経験から、ちょうど良い塩梅を探る。

 サムネイルの写真は長野電鉄屋代線が廃止となった1年後に、廃線跡の記録として、須坂駅近くの廃踏切道から何気なく撮ったものである。まさかこれを撮った数年後に、自分が鉄道員としてレールの上の人生を歩み、10年後の今、そこから外れオフロードを歩もうとしているなど想像もしなかった。

 高卒、鉄道員、正規雇用。これまでの私表す、社会通念上の「肩書き」とやらである。工業学科出身者の中ではいわゆる「勝ち組」と持て囃される部類なのだろう。

 コロナ禍で完全に斜陽産業であることが浮き彫りになったとはいえ、首都圏の電鉄会社が潰れる未来は、想像もつかないだけでなく、労使間のしがらみから経営が傾いて人員整理で解雇される可能性も低い。やるとしても新卒採用を抑制し、定年退職による自然減が関の山だろう。

 賃金も夜勤ありきで寿命を削っていることを鑑みれば薄給だが、20代ながら国税庁の統計ベースだと、年収は日本人の中の中央値以上、平均値未満と、食う分には困らないだけの額だとは思う。

 運転士は国家資格である動力車操縦者が必要とはいえ、実態としては単純作業であり、労働集約型産業に従事する単純労働者の額面で比較すれば、多少は貰っている部類なのかも知れない。とはいえ、同じ乗客の命を預かる航空パイロットと比較すると、雲泥の差ではあるが。

 違いがあるとするなら、上空で放射線を浴びて更に寿命を削っているか否かの差であって、それによって賃金に何百万円も違いが出るのなら、私も進んで銀河鉄道を運転するだろうが、現実世界であの手のレールに勢いよく突っ込んだところで、重力に負けて始末書を書かされるオチが待っている。

 そんな、大人しく上手いことやり過ごしてさえいれば、社会の枠組みから外れることなく、安定したレールの上の人生を歩めたにも関わらず、私はそれを自らの意思で放棄して、来月からは真逆のオフロードを試行する。

 何事も両極端を経験することで、ちょうど良い塩梅が浮き彫りになるのが持論で、キャリアに関しても例外ではない。

押し並べて均一化すると、つまらなくなる。

 日本人にありがちだが、村社会故の同調圧力や、横並び意識から一人勝ちが許されず、出る杭は打たれるため、協調性の高い人ほど空気を読み、集団規範に沿った生き方をしがちである。

 空気は読むものではなく、吸うものである。空気を読んでばかりいて、吸おうとしないから息が詰まり、行き詰まるのである。そうした閉塞感と引き換えに安定した生活を得ている事実を忘れてはならない。

 それを望んで受け入れている人はそれで良いが、価値観は人それぞれ違うのだから、何となく生きづらさを感じている人にそれを強要し、強制させるのは違う。

 決められたレールなどなくて良い。これが高校を出て何か違うと感じながら、社畜として燃え尽きて、大病まで患った私が出した、現時点での答えである。

 残業したくない人はゼロで良いし、若さとお金欲しさ故に、体力が有り余っていくらでも残業したい人なら、月月火水木金金で75時間超+休日出勤。月の休みは片手で数えられるだけでも、本人が希望しているなら良いじゃないか。

 私は両方を経験した上で、前者に落ち着いたが、現場でヨシとされているのは後者とギャップがあり肩身は狭かった。

 それらを押し並べて、残業は月に45時間、年6回を限度に75時間と均一化するのは、後者のやる気を削ぐ可能性が高い。何事も極端なものを規制して保護するのは、確かに安全かも知れないが動物園の檻の中で飼われている動物のように、リスクを排除した分だけ、つまらない生き方になる可能性が高い。

自分で選ばず失敗した後悔は想像を絶する。

 その点、オフロードはサバンナに近い。弱肉強食の世界で、弱者は淘汰される以上、将来がどうなるか分からないだけでなく、生きている以上、否応にも自活する術を身につけなければならない。

 しかし、レールの上の人生では決して得られない、誰にも依存することなく、独力で生計を立てる術を、早期に身につけてしまえば、生殺与奪権を他者に牛耳られるような生き方をせずに済む。

 仮にオフロードで前に進めなくなった時には、憲法の生存権で生活保護を取れば餓死することはないし、自分の意思で挑戦した結果、失敗したのであれば諦めもつくだろう。

 失敗した時に安定した人生を歩んでいれば…と後悔する価値観の人であれば、大人しくレールの上で企業に依存して定年までやり過ごした方が良いが、おそらく少数派だろう。

 幸か不幸か、私は高校を出た直後に進学せずとも、世間が良しとするような、知名度があり、世間体も良く、正規雇用と典型的なレールの上の人生に、右も左も分からない状態で身を置き、言語化できない違和感を抱えながらも、恵まれている部類だからと、妥協して歩み続けた。

 そしてコロナ禍で思うようなガス抜きが出来ず、ストレスはピークに達していたのだろう。

 身体は徐々に蝕まれ、慢性的に具合が悪くなり始めてからものの数ヶ月、10代最後の2年間と、20代の半分以上を全否定するかのような発作に襲われ、その場で倒れて入院、手術。20代の貴重な120ヶ月の1ヶ月が、カレンダーをめくるだけで終わった。

 フランスベッドの上で、自分の意思100%で選んでいない、つまらないレールの上の人生によって、死亡確率40%〜70%の大病を患った事実に激しく後悔したと同時に、死を意識したことで、人生は有限であり、最期に後悔しない生き方は何か?と、20代ならまず辿り着かないであろう境地に達した。

 他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。命が繋がった者として、将来世代が同じ苦しみを味わうことのないよう、決められたレールなど、なくて良いと発信することで、私と同じ嫌な思いをする人が、一人でも少なくなれば幸いである。


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