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新札発行の経済効果1.6兆円と謳うものの...


何を以て「経済効果」と呼ぶのか?

 〇〇の経済効果XXXX(億や兆)円というワードを、事あるごとに目にするが、そんな私は中学時代、夏休みの自由研究で「経済効果」に関して取りまとめた記憶がある。

 端的に記せば、ある出来事によってもたらされる、一定期間の経済的な影響であり、マイナスに作用する場合は「経済損失」と表記される。

 では、今回の新札発行は「経済効果」と呼べるのだろうか?個人的な見解としては否で、確かに紙幣の読み取り装置や、計数機を扱うメーカーの売り上げは一時的に増える。

 しかし、鉄道の駅や、自動販売機、銀行、遊技機、飲食店等々、機器の更新を迫られる事業者は数多くあるが、それらを負担する事業者側は、別に新札になったからといって、売り上げが増える類の効果は見込めない。

 結局のところ、売り上げの総量は新紙幣によって変わらない以上、どこかの事業者が潤うと、どこかの事業者は冷や飯食いとなる、ゼロサムゲームの域を出ず、経済効果とも、経済損失とも言えないのが正直なところだろう。

 実は新紙幣には新機能があって、政治の裏金のような、マネロンの流れが補足できるようになっていて税収増が期待できます。みたいな話があるなら別だが、そうでもない限り、別に旧札でも特段問題ないものを、わざわざコストをかけて新札に対応しなければならない。

 その費用は最終的に消費者に転嫁されるわけで、新紙幣発行で一部の業者が潤い、そのコストを国民の懐から広く薄く徴収するだけなら、何を以て「経済効果」と呼ぶのかは、結構、恣意的なものであると評価せざるを得ない。

将来的なタンス預金炙り出しに期待

 世代がバレるが、私の幼少期の紙幣の顔ぶれは、福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石だった。調べてみたら、諭吉さんはD券とE券で紙幣のデザイン変更こそあったものの、実に40年もの間、一万円札の顔として親しまれていたことになる。

 これが何を意味するか。これまでの福沢諭吉(E券)、樋口一葉、野口英世の顔ぶれで、旧札である福沢諭吉(D券)を使っても、そこまで怪しいとは思わない。しかし、聖徳太子(C券)で高額決済となると、受け取る側は訳あり感と怪しさを感じることだろう。

 要するに顔の違う旧札は、時代の変化とともにコレクター的な価値は出るかも知れないが、通貨としての実用性は悪くなる一方で、徐々に決済では使いづらくなるわけだ。私が駅員だった頃、自動券売機でD券とE券は対応していたが、C券は弾かれていた。

 おそらく万札の渋沢栄一がパンピーに広く浸透するまで5年、10年スパンの話になると思うが、その頃というのは団塊世代が寿命を迎え始める頃合いであり、仮にタンス預金が発覚して、相続税を有耶無耶にしようとしても、出所不明の旧札は既に使いづらくなっており、相続を受けるであろう、団塊ジュニア世代は正直に申告して、納税する他ないシナリオも想定できる。

 新紙幣に切り替わることで、副産物的にタンス預金が吐き出される可能性があるわけで、個人的には目先の経済効果よりも、高齢者の死に金が炙り出される側面の方が大きいのではないかと考えている。

 現に全世代の金融資産保有割合で、60歳以上が6割超にあたる1,200兆円を保有しており、このうちの5割が現預金と仮定しても、600兆円規模の現金が眠っているわけで、タンス預金が何割あるかは分からないものの、仮に1割だとしても、60兆円くらいの現ナマが、タンス預金として眠っている可能性がある。

 現に紙幣の流通総額は年々増加傾向で、120兆円を超えていることを鑑みても、このフェルミ推定は強ち間違っていないと思われ、今後10年以上かけてタンス預金が炙り出されることに期待したい。

現金を貯めるよりも、生き金にする考えが重要

 そもそも、円預金をしたところで雀の涙程度の利息しか貰えないことから、タンス預金でも大差ないと思われがちだが、昨今の円安や物価高により、日本円の価値は相対的に下落基調となっており、通貨の機能のひとつである「価値の貯蔵」が日に日に怪しくなっているのも事実で、現預金のまま溜め込んでいるのは得策とは言い難い。

 先のタンス預金の例にしても、札束の規模でタンスや畳の裏に死蔵するよりも、その時々の判断で、将来的に価値が上がりそうな何かと交換した方が、よっぽど生き金となると考える。

 別に株に投資した方が良いと勧める意図はなく、質素倹約に努め、淡々と貯蓄に励んだ結果、死に際にお金持ちとなったところで、病院のベッドの上で出来ることなど、延命治療で寿命を数日延ばせる程度なもので、そのために現役時代にやりたいことを我慢していたら、単なる節約人生に他ならず、虚しくならないだろうか。

 というのも、私は高卒からのシフトワーカーによる不摂生が仇となり、20代半ばで死亡確率40〜70%の大病を患い、入院と手術で若年層の平均入院日数を、大きく上回る入院生活を経験した。

 それにより、日本で生まれ育った若者の多くが、まず想定しないであろう、人はいつか死ぬという当たり前の現実をまざまざと実感して、これまでの節約人生を後悔した。

 だからこそ、労働者として身体を壊して、人生の第一章が終わった今となっては、療養中の第二章として、持病と向き合いながら、昔やりたかったが、当時は出来なかったことや、今できることを目一杯楽しむよう心がけている。

 運用資金として、かつての私が溜め込んだお金から生まれた利益を、再投資せず経験に充てているのは、そうしなければ、命の危険に晒されるまで薄給激務に耐え凌いだ結果、潰れた過去の私が報われないからだ。

 持論ではあるが、20代〜30代で1,000万円の種銭と、資産運用のノウハウが身に付けられるレベルで、お金の扱いが上手な方であれば、あとはロクに入金しなくとも、複利効果が働いて富が富を生むため、気持ちとしては積極的に使うフェーズに入るべきだと考える。

 バランスの問題ではあるが、資本主義という倍々ゲームが楽しくて、のめり込みたくなる気持ちは理解できる。しかし、若くて元気な時に出来る、かけがえのない経験を、お金があったのにやらず、代わりに晩年に使いきれないであろう増殖した数字を眺めても、決してその時の穴埋めはできない。

 お金など人類が生み出した道具に過ぎないのだから、その道具をいかに生きた使い方をするか常に考えながら、価値を感じたり、将来的に価値が増殖するであろう何かと、絶えず交換し続けるのが、お金持ちへの近道だと思う。


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