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若い世代に過酷な社会。

絶望はいつか終わり、伏線となる。

 鉄道員という職業柄、同業他社含め人身事故を始めとする輸送障害の情報は、振替輸送の受託で必要なことから、世間一般の方々よりもアンテナの感度が高い。最近の傾向として、若年層、特に学生の飛び込みが心なしか増えているように感じる。

 日本は医療技術もさることながら、衛生面でも安全な国で長寿化しているため、常識的な範囲で生活していて死を覚悟するような出来事に遭遇することはごく稀で、人によっては一度も経験しないまま一生を終える可能性すらある。

 一見すると良いように捉えられるが、先行きが暗くて絶望感しかないような、今の若年層からすれば、常識的な範囲で生活していては、もし仮に死にたくなっても、運悪く死ねない世の中とも捉えられる。だからこそ、自らの意志で死を選ぶのだろう。

 社会性がなく、どこのコミュニティにも順応できずに成人してしまった、社会不適合者の私が、自身よりも若い方に伝えられることがあるとすれば、大人になるとコミュニティが変わることだ。

 学生時代に所属するコミュニティは選べない。もちろん、社会に出ても選べないことに変わりはない。そもそも学校も入社同期も、偶然同じ地域や組織で、同じ時期に入った以上でも以下でもなく、偶然巡り合わせただけの他人を、無条件で贔屓にする必要などどこにもない。人数が多くなればなるほど、ウマの合わない人が絶対に出てくるからである。

 とはいえ社会人なら「逃げる」のコマンドが自己責任で選択できる分、閉塞感に苛まれることが少ないが、義務教育の小中学生で逃げの「転校」を選択するにも、保護者を説得して手続きして貰う必要がある分、心理的ハードルは高く絶望しがちである。

 人生の体感速度は、生まれてから20歳までの20年間と、20歳から80歳までの60年間が、大体同じであることが、ジャネーの法則で説明されている。

 だからこそ、若い時に不遇な環境に置かれると、それがあたかも永続するかのように感じられるかもしれないが、悪い環境もいつかは終わりが来る。私の経験上、人生で環境変化がなかった期間は、小学校の6年間が最長で、その後の中学、高校、社会人と歩んできたが、進学、入社、人事異動、転職、病気…と、4年以内に本人が望まないものも含め、何かしらの変化が訪れている。

 私見では、日本に四季があるように、人生も四季の如く循環すると考えている。今が辛いなら冬の季節で、冷たい土に幾つかの種を植えておくと、春を迎えた時にどれかが芽吹いたりする。調子が良くなると夏で、熱く燃え過ぎると燃え尽きる可能性があるので、少しばかりクールダウンして、気が付けば過ごしやすい秋が到来。だが、折角の秋も何かの拍子で冬となる。

 こんな風に考えれば、暗黒時代も後に人生という名の物語を盛り上げるための伏線に思えるかも知れない。

良い会社を求めた先には…

 とはいえ、バブル崩壊後の日本社会は、確実に若者に冷酷となっているのは、ロスジェネや氷河期世代と言われている団塊ジュニア付近の年代の中央値を、上の世代と見比べれば明らかだろう。

 年功序列、終身雇用という、バブル期までの正規雇用の特権に守られた存在で、労働生産性に見合わない賃金を貰い続けてる働かないおじさんをクビに出来ないしわ寄せから、企業は採用に慎重となった。

 その結果、高卒では殆どの有名企業に入れない高学歴社会と化し、良い企業に就くためには奨学金という名の借金を背負ってでも大学に行くのが定石となった。

 しかし、これも良い大学でなければ、大卒にも関わらず非正規雇用でしか採用されない可能性も多分に含まれており、そうなると低賃金かつ不安定な雇用環境で社会を支えているにも関わらず、奨学金の返済が重くのし掛かり、大した貯蓄も出来ず、身動きが取れずにブラック企業に搾取され続け、いつか心身が限界を迎え、潰れてしまったり、最悪の場合、発作的に身を投げてしまうことも珍しくない世の中になりつつある。

 タチが悪いのは、正規雇用であっても労働集約型の場合、働かないおじさんのお陰で膨れ上がった業務量のしわ寄せをモロに喰らうと、時給換算時に非正規雇用に負けず劣らずの薄給激務となり、こちらも無理を重ねて限界を超えると潰れたり、発作的な自決に走ってしまいかねないのは、昨今の過労死や過労自殺の報道を見ても明らかだし、会社の言う通りに働いた結果、心身が壊れても会社は責任を取ってくれない。

 良い成績、良い大学、良い会社の道筋で熾烈な競争に晒される割に、勝っても負けても高確率で報われない現状を踏まえると、就労先を選ぶ際に重要視している項目を間違えている可能性が浮上する。

 常識や固定観念に囚われて知名度、世間体、正規雇用、給料で選ぶと、経営者や身内親族にとって都合の良い会社かも知れないが、自分にとって良い会社とは限らない。

 むしろ、前述のような結末を迎えかねないのなら、いっそのことある種の開き直りで、人生の主導権を自分で握れるような生き方を選んだほうが、社会的に厳しい目を向けられ、経済的なゆとりはないかも知れないが、心のゆとりが確保できる分だけ幸せかも知れない。

 最初から良い会社に行く必要性が見出せなければ、良い大学を目指す必要もないどころか、借金してまで大卒に拘る必要すらないから、成績が悪くても問題ないかも知れない。

 私は高卒ながら知名度、世間体が良く、正規雇用の鉄道会社に潜り込み、どちらかと言えば勝ち組側に位置していた筈だったが、20代にして変則勤務による不摂生が積もり積もって大病を患い、誰よりも健康に気遣って生活したにも関わらず、真っ先に病気になるのなら、もっと好き勝手生きておけば良かったと後悔した。

 幸い、人生をやり直すだけの資産と時間は残っている。健康が些か心許ないが、来春から個人投資家として、人生の主導権が自分にある、心のゆとりが確保できる生き方を模索する所存である。


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