見出し画像

ナマケモノに学ぶ生存戦略'e


LeanFIREはナマケモノそのもの

 FIREは経済的に独立して早期退職するFinancial Independence Retire Earlyの頭字語である。

 その中でも、Fat、Lean、Side、Baristaと細分化されているが、特にLeanFIREは引き締まった家計と、比較的少額な金融資産で経済的に独立することを意味しており、お求めやすさからLeanを目標にするのが多い印象だ。

 トリニティスタディとして有名な4%ルールを前提にすると、およそ2割の税金を無視しても年間支出の25倍、月間支出の300倍が最低でも必要とされている。

 だから、毎月10万円の支出なら、3,000万円の資産。毎月20万円の支出なら、6,000万円の資産と言った具合に、生活コストが増加すればするほど庶民からしたら天文学的な数字になってしまう。

 一般にイメージする、一切働かずともプライベートジェットで移動し、世界各地の別荘で豪遊できるようなFatFIREを目指すのであれば、年間の資産所得がざっと5,000万円程度は必要な世界になってくるだろう。

 そう考えると、ざっくり数十億円規模の資産は欲しいところで、会社員の生涯賃金が2億円前後とされているのだから、起業なり何なりでリスクを取って一山当てないとまず無理な水準で、現実的ではない。

 そう考えると、3,000万円の資産で打出の小槌のごとく月あたり10万円のインカムが得られて、生活のための労働から解放されるLeanFIREが現実的と考えるのも頷ける。

 大量生産大量消費社会に生きてきた人ほど、そんな生活の何が楽しいと思われるだろうが、物質的に豊かな現代社会で、過当競争に疲れた若者は、”寝そべり族”として、まるでナマケモノのような生き方を選んでいるのも事実で、橘玲氏は”幸福の「資本」論”でも、ナマケモノに関する記載がある。

“ナマケモノは徹底的に動かないことで動体視力に優れた肉食獣であるジャガーから身を隠す高度な戦略を採用しており、他の草食動物が見向きもしない毒のある木の葉を食べることで餌を探すコストを下げ、エネルギー消費を限界まで少なくしていきます。”

幸福の「資本」論|橘玲

 これをLeanFIREに置き換えるなら、「徹底的に働かないことで、やりがい搾取に優れたブラック企業や、高所得者を狙い撃ちする国税から身を隠す高度な戦略を採用しており、他の人が見向きもしない、働き口に困る地域に居住することで生存に必要なコストを下げ、金銭消費を限界まで少なくしていきます。」と言ったところだろうか。

働いたら負け

 これだけではニートと何ら変わらない。因みにニートは35歳未満の定義があるため、35歳を過ぎると生態は変わらずともニートとは呼べず、無職となってしまう。

 何者にも束縛されたくないと言う小さなプライドさえ捨てられれば、生活保護を受給してしまえば、一生働かなくてもお金が湧いてくるため、ひろゆき氏は生活保護を推している。生活保護受給者が増加の一途を辿り、なし崩し的にベーシックインカムを実現させるのが目論みだろう。

 しかし、初めから生活保護では、生活必需品以外の出費が許されないことから、経済的に独立している自由の身とは言い難いのと、個人的に中途半端に蓄財している状態では、資産の取り崩しが先になる。

 そのため、どうせなら経済的に独立してみて、このままでは資産が枯渇すると確信した時に、残りの財産を派手に消費してから、行政の恩恵に預かれば良いと考えている。

 既にブラック労働で20代ながら身体を壊しており、資産が枯渇した50代で無職歴20年以上なら、職業訓練程度で真っ当な社会復帰が出来るとは個人的にも、行政も思わないだろう。

 日本に生まれた以上、弱者のセーフティーネットが充実し過ぎているあまり、餓死することはない。

 だからこそ社畜として会社からは利益を、行政機関からは税金や社会保険料を搾取され続けるだけのラットレースに死ぬ直前まで参加し続ける位であれば、リスクを取って自分の思うままに挑戦する人生の方が幸せの総量が多いのではないだろうか。

 主体的な人生を歩んだ結果、不幸な結末を迎えることになっても諦めがつく。周囲の良識あるまともな大人に言われるがまま、良い大学に進学し、有名企業に就職し、いつまで続くか分からない正規雇用と、不当に安く使われるだけの成果に見合わない賃金で、70近くまで死んだ魚の目をして働き続ける人生で、もし不幸が起きたら自分で選んでいない分、惨めな気持ちとなり、後悔しないだろうか。

 実際、自分に正直に生きなかったり、働き過ぎたことは最期の後悔につながるのは、多くの人を看取った介護人が証言しているのだから間違いない。

働くから欲が出る

 社会に出ると金太郎飴の如く、労働の対価として得る賃金が我慢料だと考えている人で溢れかえっている。

 そうして頑張った自分にご褒美と、コンビニなんかで休日なら大して欲しいと思わないようなスイーツや酒、つまみを適当に手を伸ばしては散財を繰り返し、給料日前にはなぜかお金がないと嘆き、給料日にはATMの行列に並ぶ愚行を繰り返す。

 労働で疲れ切ったことにより判断力が低下し、合理的な判断ができなくなると目先の誘惑に負け、数日後には何に使ったかも覚えていないようなものに惜しげもなくお金を使ってしまう。

 大袈裟に聞こえるかも知れないが、コンビニ大手3社の平均レシート単価は2021年に692円を記録している。1日1回週5日コンビニに通うだけでおよそ3,500円の出費。これを52週間繰り返せば年間で18.2万円。月換算でも1.5万円を超える。典型的なチリツモであり馬鹿にできない。

 コンビニは基本的に収納代行、チケットや宅配の受け取り、コピー機の利用でしか使わない身として、この数字は衝撃的である。

 スーパーで安い食材を中心に単身者が自炊する場合、1.5万円もあれば1日2食でそれなりのボリュームと栄養価のものが食べられる数字だからだ。

 「欲」と言う字は谷が欠けると書く。人生が山あり谷ありなのは誰もが分かっているはずなのに、良識あるまともな大人になると、谷を恐れるようになり、安定を求めた結果、人生における谷が欠けて山を登り続けてしまう状態こそが「欲」そのものではないだろうか。

 会社員は毎月決まった日に決まった額の報酬が受け取れるし、年功序列の日系企業であれば、月日が経過することで多少なりとも増額していく。働いてさえいれば、谷底に落ちることはなくなるが、安定した低空飛行の代償として、何か大事なものを失ってはいないだろうか。

[増補]晴耕雨読

 8月の終わり、台風10号の影響を受けて自治体から避難指示が発令された。とはいえ、地方で車を持たず、隠居生活するようになって以降、日頃から食材の買い出し等の外出予定がなければ、雨の日は基本的に籠城生活のソレで、普段と何も変わらないため、災害リスクにビビり散らかしながら引き篭もっていた。

 流石に甚大な被害をもたらした九州地方では、天下の西鉄バスを含めた公共交通機関は終日運休。学校を含む公共施設も臨時休業。ごみの収集や郵便局、物流といったインフラも、従事者の安全を考慮してお休みします的なムードだったが、事前に「伊勢湾台風級」と騒がれなければ、命懸けのいつも通りを迫られた可能性が否めない。

 人類史上、狩猟採集民族の時代が長く、雨の日は洞窟内から一歩も出ずに過ごしていたとされているのが定説だ。

 天候という名の自然の摂理に逆らうようになったのは、文明社会が発達してからであり、自然界の脅威を克服したユートピア(都市)を創ったと、我々が勝手に思い込んでいる期間の方がどう考えても短い。

 つまり、ちょっとした悪天候くらいでは休みにならず、時として命懸けの賃金労働をするのが当たり前であり、仕方のないことだと思い込まされている、ブラックなこの社会は人類史を振り返れば”不自然”ではないだろうか。

 現在では悠々自適な生活を表す言葉として「晴耕雨読」が用いられるが、晴れた日は畑を耕す…つまり自分の食い扶持を確保する活動を行い、雨の日は家にこもって読書をするスタイルの方が、自然な生活と考えるが、いかがだろうか。

 無論、人生の時間や労働力を切り売りする形で食い扶持を確保する、賃金労働者であり続けるうちは、それができたら苦労しないと思うことだろう。

 しかし、知足、無欲でナマケモノに準じた形で生存に必要なコストを下げることで、比較的形成するのに現実的な総額の投資収益や、フードデリバリーやクラウドソーシングを利用した個人事業主。隙間時間で単発のバイトを探せるアプリを駆使する形で、庶民がどこかの組織と雇用契約を交わすことなく生活する難易度は確実に下がっている時代のように感じる。

 私の出自が、たとえ命懸けでも「いつも通り」を要求されてきた、エッセンシャルワーカーだったからこそ、余計に思う節があるのは確かだが、気分が乗らない日は、自己の責任で休める裁量がある生き方は、シフトワークとは段違いで満足度が高い。

 そんな組織人では叶わないような生活が実現できるなら、代償として知足、無欲が受け入れられる潜在的な若年層はそれなりに居るように思う。

 失われた30年で生まれてからずっと不況で、経済大国で大量消費をしていたバブリーな時代を知らないからこそ、経済力よりも、ナマケモノライクな生き方で心の平穏や豊かさを重視できる強さがあり、中国で寝そべり族が流行するのも頷ける。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?