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地頭が良い子ほど、詰め込み教育が嫌い。


少子化対策で大学無償化のそれじゃない感。

 第3子の数え方が姑息で、巷でセコいと話題になっている大学無償化だが、セコいかセコくないか以前の問題で、そもそも都市部に住む人ほど、非大卒では食えないと思い込んでいる社会構造の方が問題ではないかと思う。

 日本の大学進学率は50%を超えているが、都市と地方で温度差が激しく、首都圏だけ切り取れば、大学進学率は70%くらいになるらしく、文字通り、大学に行くのが当たり前な社会化している。

 とはいえ、日本の大学進学率が50%超に対して、都市部で7割近いと言うことは、地方が平均を押し下げていることを意味し、一極化で人口の絶対数が都市部に偏っていることを鑑みても、地方の大学進学率は多くても40%台と少数派だろう。

 そして高卒鉄道員の出自としては、記さない選択肢などない事実として、エッセンシャルワーカーに共通する、我々の日常生活を維持する上で必ず必要な、社会インフラもとい日本社会を直接的に支えているマジョリティは非大卒に他ならない。

 しかしご存知の通り、エッセンシャルワーカー全般、雇用は不安定。賃金も安い傾向にあり、労働環境は3K(きつい、汚い、危険)もしくは、時代は4K(+給料が安い)とも言われる体たらくで、大卒エリートほどこれらをリスクと捉えて、ホワイトカラーの職に就く。

 私も鉄道員として、24時間拘束のきついシフト勤務で、最悪の場合、人命を奪う可能性もある危険かつ重責な職務で、物騒な世の中故に、凶器(狂気)を持った、あたおかな輩の相手をしたら、旅客の命を守る大義名分で、自分の命を危険に晒す可能性もあり、時に汚物の処理も行う。

 それでいて社会からは、手取り13万円なのは自己責任です。身体を壊して満足に稼げなくなっても、大学に行かず肉体労働を選んだのだから自業自得です。みたいな風潮で軽くあしらわれてしまうと、「やってらんねぇ」となるわけで、バスの運転手不足は氷山の一角に過ぎない。

 非大卒では、まともに食っていけないこの社会が異常であり、大学無償化よりも、一般的に高度な知識や技能を要求されない、一次産業やエッセンシャルワーカーのような、日本社会を直接支えていて、誰もやる人が居なくなったら困るような職種に就く人たちの待遇改善に公金を投じるべきではないだろうか。

 そうした方が、学がなくても食える社会で、過剰なまでに教育投資しなければ将来まともに生きていけない強迫観念が和らぎ、安心感から結婚や多子化つながりそうだと思う。

頭が悪いばっかりに、ついうっかり勉強してしまった子が、偏差値の高い大学に行く。

 小見出しは上記動画で川上量生氏が言っていたことだが、高卒で社会に出て、これまで社会から散々虐げられてきた私のルサンチマンを加味した色眼鏡で見れば、過激ではあるが、案外、的を得ている発言のように思う。

 私はよく、地頭が良いと他人から言われる。それも難関私大を出たような人たちまで口を揃えて言ってくるものだから、表面上は謙虚に受け取る演出をしながらも、内心では皮肉だと思う程度には捻くれている。

 小見出しにも通じる部分だが、恐らく偏差値の高い大学を出たような人ほど、大人から「これはこういうもの」だと教えられたら、素直に受け取ってしまい、自分の頭で考えて疑う習慣がないが故に、ついうっかり勉強してしまい、良い大学を出てしまうのかもしれない。

 私のように仮に地頭が良くても、詰め込み教育を拒否して高卒で社会に出た側の人間からすれば、なぜこの科目を学ばなければならないのか。なぜ大学を出る必要があるのか。学習内容の理論が正しいとする根拠は何かと、学習指導要領の範囲を学ぶ意義や、納得感が得られないものを学ぶ気にはならない。要するに教育者から見れば、面倒な子どもである。

地頭の悪い子たちが、詰め込み教育で底上げされ、エリートとして日本社会を担う構造。

 しかし、捻くれているこのタイプは裏を返すと、自分の中で学ぶ意義や必要性を感じたものに関しては、自発的に学ぶことができる。

 現に通信制大学で学び直しをしているのも、元来薄給すぎて、自然と賢いお金の扱い方や、資産形成に興味が湧き、独学で株式投資を行う過程で、金融経済や会計、税務の基礎知識が圧倒的に不足していることを痛感したため、体系的に学んで学歴ロンダリングも狙える大学で学ぶ意思決定をした。

 工業高校の出自にも関わらず、日商簿記やFP2級を取得する程度の知識を身につけ、株式投資が上手くなって、効率的に資産を増やしたい一心で、金融経済、会計、税務に留まらず、統計学や心理学、哲学といった、例え株とは直接関係せずとも、自身で必要だと感じた分野に関しては幅広く履修して、実利に結びつけている。

 国語、数学、英語、理科、社会という指標で測る学校成績では、偏差値50をかろうじて超えられる程度。賃金労働者としては、身体を壊すような無理な働き方をしても、年収400万円が関の山だった私である。

 それでも投資成績(保有資産)では、20代の上位1%に食い込む水準と、スペックを考えればベルカーブの外れ値に居る。株屋が一寸先は闇の世界であることは重々承知しているが、ここで記したいのは、良い大学を出て、良い会社に入ることだけをKPIにすることは歪であり、生きていく上で、何が重要かといった本質を見失いかねない。

 無論、重要な要素は人それぞれ異なるにも関わらず、それを義務教育で教えたり、導くことができていない大多数の教職員や、画一的な教育システムに限界を感じ取り、行動力のある子ほど、積極的な不登校を選択しているのが現状だろう。

 そんな中で、N/S高等学校の存在は異彩を放っており、それが選ばれるのは自明の理だろう。特に私が中学生の頃はニコ動全盛期だったことから、もし当時にN高があったら、今とは違う未来を想像してしまう。

 実際、数学で累乗や平方根を学ぶ意味が分からなかったが、これらは統計学で必須だと先に言って欲しかったし、大学進学する気ゼロで、ビブンセキブンいい気分を習わず卒業したが、経済学で当たり前のように微分するとか出てきて焦った。

 N高の投資部なんかで、気になった銘柄が投資的確かを、定量的に分析するために統計学の知識があると便利で、そのためには累乗や平方根、微分や積分を学ぶ必要があると言われてから学んだ方が、教諭の言われるがまま、ついうっかり勉強してしまうよりも、よっぽど実になると思う。

 しかし、現実的には後者がエリートとして持て囃され、日本社会を担う構造になっていることを考えると、「どうにかインチキできんのか」と画策してしまう今日この頃である。


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