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悪魔の月曜日。

為替が激しく動いた後は電車が止まる。

 FOMCを境に為替が乱高下している。ほんの数週間前まで140円台に届きそうで届かない展開を繰り広げていたと思ったら、2週間そこらで132円台まで上昇した。一昔前は1円動くだけで大騒ぎとされていたドル円だが、これまでの常識が通用しない、不安定な局面となっている。

 先月まで、日本円は円安とインフレのダブルパンチでゴミ通貨になると焦り、保有資産の大半をドル転したり、日銀が指値オペをし続ける限り円安が続くと信じて疑わず、フルレバロングに走った人は、今頃、急激な円高によって泡を吹いていることだろう。

 尤も、泡を吹くだけなら良いが、顔面蒼白な土日を過ごして、月曜日の朝に通勤電車に飛び込む衝動に駆られるのだけは、鉄道員という立場上、やめて頂きたいものである。

 世の中は不平等だが、個々人が与えられたカードを組み合わせて行きていくしかないのが現実である。もう何年か経てばメタバース空間という逃避先がゴーグル内に出来上がるのかも知れないが、現代のIT技術ではまだ難しい。

 だからこそ、一発逆転を狙って有り金をすべて突っ込んで、レバレッジを掛けるような博打をしたくなるのだろう。しかし、残念なことに、一夜にして大金持ちになった人の多くは、一夜にして財産を失う運命にある。

 それは、その人がお金を上手く扱える器以上のお金を手にしたから、器に収まらないお金を失うのである。お金の器は短期間で大きくなるような性質のものではなく、長期間に渡って徐々に大きくなるものである。

 時間を掛けて財を成した成功者ほど、並大抵のことではお金を失わないのは、時間を掛けてお金持ちになる過程で致命傷にならない失敗を繰り返し、その都度学んでお金の器を大きくしてきたからに他ならない。

未来に夢見ず、今を生きる。

 今が苦しいのは痛いほど分かる。形だけの合理化、IT化で業務量は増大しているのに人員は減らされ、今の若手が日本社会で働くのは過酷過ぎる。おまけにシルバー民主主義で、僅かな賃金からむしり取られた税金や社会保険料は、死に金を貯めて大して困っていない老害共の年金や医療費に費やされる。自分たちが支えられる側になる頃に同じ待遇にはならないのに。

 だからこそ、未来に経済的な自由を得る、山頂の景色を夢見て、一目散に登りたくなる。しかし、それでは途中の景色がどんなに素晴らしくても、それを味わう余裕がないし、頂きの景色が絶景とは限らない。

 私は20代にして電車を運転するという、男の子なら誰もが一度は夢見る景色を味わう幸運に恵まれたが、夢を叶えた先に待っていたのは、見たい景色はこれじゃなかったという虚しさだった。

 これは、お金持ちについても同様であることが、本田健さんの著書に記されている。

”「お金さえあれば、もっと幸せになれるはずだ」という考え方は、実際にお金持ちになってみると、真実ではないことに気付きます。
お金がないうちは、不幸だと感じていても、いつかは幸せになれるという幻想があるぶん、まだ幸せなのかもしれません。山の頂上に行ってしまったお金持ちは、上の世界が天国でないことを知り、愕然とします。たしかに見晴らしはいいですが、ただそれだけしかありません。人によっては、命がけで登ったのに、裏切られたという感情をもつことになります。
幻想が崩れ去ったぶんだけ、人生やお金に対して苦々しさを感じるのです。社会的な名誉や財産が、自分をいい気分にさせてくれるに違いないという幻想が、音を立てて砕け散ってしまったからです。
成功を目指し、お金を得る過程で、犠牲にしたものも多くあります。若い頃、遊びたい時期に一生懸命勉強したり、仕事をしたり、結婚をあきらめたりして、成功をつかんでいるからです。「自分は成功しているんだから、もっと幸せに感じていいはず」という焦りも自分を苦しめることにしかなりません。”

お金と人生の真実|本田健

 不確かな将来に備え、今を犠牲にしていないだろうか。私は鉄道業界に入ったからには、乗務員を経験せず辞めたら後悔すると思い、同級生が大学で遊んでいる時期を犠牲にして運転士まで昇ったが、理想とは程遠い現実に落胆し、おまけに職業柄の不摂生で身体を壊して後悔した。いくら悔やんでも身体は元には戻らない。

 人生に行き急ぐあまり、大きすぎるリスクを背負い、結果として死に急いでいないだろうか。今、仕事が辛いのなら、不確かな将来を夢見て我慢するのではなく、その辛さを取り除くことに全力を尽くすべきだ。未来のことを考えるのはそれからでも遅くない。多少ペースダウンしたところで、長い人生で見たら誤差の範囲だろう。

急がず焦らず複利で増やす。

 世界最古の株式会社とされる東インド会社が画期的だったのは、出資者が出資した以上の責任を負うことのない有限責任だったからであり、その仕組が現在まで脈々と受け継がれている。

 しかし、信用取引でレバレッジを掛けてしまうと、使い方によっては種銭を全額失うだけでなく、借金が残る可能性があり、折角の有限責任を台無しにする仕組みだと私は考えていて、有り金の9割以上を株式で運用していても、リスクヘッジの観点から現物にしか手を出さない方針を貫いている。

 現物取引が包丁だとしたら、信用取引は日本刀のようなもので、どちらも扱いを誤ると怪我をする点は同じだが、日本刀の方が扱いが難しくが効果は抜群。しかし、ワンミスが命取りになると言った具合だ。

 悩みの9割はお金で解決できるかも知れないが、お金でさえあれば幸せになれる訳ではない。レバレッジを掛けてまで、経済的独立を急ぐ必要があるのか。多大なリスクが悪い方向に表面化した際に受け入れられるだけの覚悟があるのか。今一度よく考えた上で、便利なツールを利用するか判断する機会となれば幸いである。私は現物の複利でゆっくり増やそうと思う。



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