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生きるって、満員電車に乗ることみたいなもの。


人生は椅子取りゲーム。

 表題は2010年5月1日の毎日新聞に掲載されていた、アンパンマンの生みの親である、やなせたかしさんのインタビュー記事の一文である。69歳と年金生活者になってから、アンパンマンが漫画家としての初めての代表作となった、超がつくほどの遅咲きであることから発した言葉である。

 「すごい満員電車でもずっと降りずにいれば、ある時、席は空くんです。僕なんて終点近くでやっと座った。」

 どれほど人生やキャリアが辛くても、諦めて途中下車しなければ、周囲がドロップアウトして、椅子取りゲームの席が空く時が来ると。だから天職を探し求めながら生き続けるべきで、絶望するのは良くないと。

 その一方で某マーチには「愛と勇気だけがともだちさ」とあるように、人間は根本的には孤独であり、それを誤魔化しながら生きていることを暗喩しており、とても幼児教育向け作品の主題歌とは思えないが、子供の頃から歌っていれば、だんだん意味がわかるようになるのが狙いらしい。

 私はこの術中にまんまと嵌り、幼少期はこの作品には興味を示さなかったが、鉄道員としてAED講習を受講した際に、心肺蘇生のリズムを取るのに、このマーチの歌詞をまじまじと咀嚼したことで、何のために生まれて、何をして生きるのか、人生の方向性について深く考えるようになった。

 「好きだけでは務まらないが、好きじゃなきゃ務まらない。」やりがい搾取なブラック職種で、しばしば耳にした言葉であるが、言い得て妙だとも感じた。

 好きを全面的に押し出してしまうと、自分の世界が構築されていることから、自己満足に走る傾向にあり、妥協できないことが仇となる。かと言って、完全に仕事と割り切って、ドライな距離感を保ち続けると、根性論が蔓延る矛盾だらけの業界故に、どこかでやってられないと我慢の限界を迎える。この塩梅が難しい。

 私は後者側で、長らくの我慢に耐えきれなくなった瞬間に、体が悲鳴を上げて病に倒れ、入院、手術に至り、座っていた乗務員室の椅子から離脱した次第である。

満員電車の行き先、あってる?

 そうして今、レールの上の人生を外れて、全てをフルリセットすべく地方移住を果たして、通信制大学には引き続き在籍しながら、人生の道標を探している最中である。

 一度社会の枠組みから外れてみてつくづく感じたのは、満員電車にしがみ付く忍耐力も、レールの上の人生を送るサラリーマンには、確かに大切かも知れないが、それ以上に乗車している電車の行き先が、自分が望む方向であるかが重要ではないだろうか。

 私のように満員電車で目の前の椅子が空くのを待っているうちに、急病人で強制下車となっては元も子もないだけでなく、せっかく椅子に座れても、逆方向の電車だったら、どこかで気付いた際に、下車して引き返さなければならないのだから、目も当てられない。

 日本人は今、苦労すれば、いつかは報われると苦労信仰に囚われて、不確実な将来のために確実な今を犠牲にする。しかし、未来は現在の積み重ねで形成されるのだから、今を犠牲にしたら、将来もその延長線上で、いつまでも目の前の今を犠牲にし続けるだろう。

 人間の感情は面白いもので、現状が未来永劫続くものと捉えてしまう。バブルで羽振りが良いと、それがいつまでも続くと錯覚して、高金利で借金をしてでも不動産を買ってしまうし、ロスジェネ以降の、生まれてこの方不景気で育つと、日本経済は死ぬまで不景気だと思い込んで、将来に漠然と不案を感じてしまう。

 現在を苦労に捧げたら、未来永劫苦労し続ける人生を想像してしまうし、その思考は現実化する可能性が高い。そんな意義があるかも定かではない苦労をしても、報われるとは限らない。だからこそ、人生の方向性に適合した列車に乗らなければならない。

世の中は均衡によって成り立っている。

 さて、話題をやなせたかしさんの代表作に移して、パンとばい菌の攻防戦について抽象的に記そうと思う。物語の構成上、パンが善であり、ばい菌が悪である対立構造となっているが、善であるパンも酵母菌によって仕上げられている矛盾を抱えている。

 あくまで、人類社会でばい菌とされているものが、人畜にとって有害なだけであり、人間だって多種多様な菌と共存している。全てを殺菌してしまえば、人間も抵抗力を持てず、何かの拍子に死に至るだろう。

 世の中、善と悪に二分出来るほど単純には出来ていない。むしろ相反する互いが均衡することによって、ちょうど良い塩梅に世の中が成り立っていて、それが健全な地球、生物、人類社会のあるべき姿であることを、やなせたかしさんは作品で表現しているように思える。全然子供向けのテーマではない。

 我々が善だと思っていることにも、陰が潜んでいるし、悪だと思っていることにも光の側面がある。

 コンピュータの基礎理論を解いたアラン・チューリングさんは、第二次大戦でドイツ軍が使用していた暗号通信機エニグマの内容を解読するために、コンピュータの原型とも言えるチューリングマシンを生み出し、ドイツ軍の動きをバレないように傍受したことで、世界大戦の早期終息に貢献した。

 一方で、当時重罪とされていた同性愛者で、終戦後に警察に逮捕され、保護観察の身としてホルモン治療が行われ、41歳で自決してしまった。LGBTQと多様性を認める現代であれば、つつがなく数学者としての能力を発揮して、今とは異なるアルゴリズムが生み出されたかも知れないと思うと、人類社会にとっては大きな損失だろう。

 「必要悪」の言葉にもあるように、全ての悪を滅ぼして、善に偏ってしまった成れの果てが、ナチスでありソ連であり、共同体そのものが崩壊するのは歴史が証明している。

 我々が生きる日本社会は、同調圧力が強く、社会の枠組みから外れた異端児ほど嫉妬心から敵視され、何かの拍子に袋叩きに遭って潰される傾向にある。

 しかし、働かないアリという名の余力が、有事の際にコロニーを維持する役割を果たすように、社会の枠組みに嵌まらない人種だからこそ、ピッタリとハマる瞬間が訪れる日が、終点近くで来るかも知れないと信じて、自堕落な日常を謳歌している。


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