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『人生の短さについて』

 読書の秋到来。古代ローマの哲学者“セネカ”の有名なやつを読んだ。

 この『人生の短さについて』は、西暦50年頃に書かれたもので、その内容は食料貯蔵庫の管理の職についている親戚に対して書かれた手紙だ。すなわち、論文や小説にエッセイのように世間に向けて出版されたものではなく、極めてプライベートな文章だ。現代で言うLINEのスクショ晒しみたいなものかな笑

 本作でセネカは、親戚に対して今の職を辞めて間暇な生活を送るように勧めている。

 食糧の管理はとんでもない激務だった。そりゃあExcelみたいな表計算ソフトもPOSシステムもない西暦50年代だ、普通に分配して記録をつけるだけでもとんでもない重労働。しかも食料とは命に直結する重大な取扱物だ。たとえ公平に分けたとしても食い詰めている住民から不満が上がるような、それはそれは非常に神経を擦り減らす仕事だ。

 セネカはその誇らしくも多忙な仕事を辞めろと言っている。それは恐れ多くも大雑把にまとめてしまうと"自分の時間を過ごしなさい"ということだ。次の文はテストに出るからマーカーを引いてね。

人生は使い方次第で長くなる。なのに、人はそれを浪費して短くしてしまう
『人生の短さについて』:セネカ(訳:中澤務)

 これは手紙の主題のようなものだ。セネカが親戚に伝えたい芯はこれなのだが、例え話や自分の心情などを交えて70ページにも及ぶ大作となっている。こんな手紙を貰えるほど他者に想われてみたいものだね。

 世の中の大多数の人は、我々が生きる時間はあまりに短い、あっという間に過ぎ去ってしまうと嘆く。現代に生きる我々もそうだ。というか自分がそうだ。めっちゃ嘆いているよ、もう30かよ、どんどん時間が過ぎちゃうなぁ😭と。そもそもそういう内容だと思ってこの本を取ったのだが、セネカの考え方はある意味現代的でストイック。

 だが、われわれが手にしている時間は、決して短くはない。むしろ、われわれが、 たくさんの時間を浪費しているのだ。

 じっさい、ひとの生は十分に長い。そして、偉大な仕事をなしとげるに足る時間が、 惜しみなく与えられているのである。ただし、それは、人生全体が有効に活用されるならの話だ。人生が贅沢三昧や怠惰の中に消え去り、どんな有用なことのためにも費やされなければどうなるか。ついに一生が終わり、死なねばならぬときになって、われわれは気づくことになるのだ――人生は過ぎ去ってしまうものなのに、そんなことも知らぬまに、人生が終わってしまったと。

 つまり、そういうことなのだよ。われわれは、短い人生を授かったのではない。われわれが、人生を短くしているのだ。われわれは、人生に不足などしていない。われわれが、人生を浪費しているのだ。

 ばく大な王家の財産も、それを手にした持ち主が無能なら、あっというまに消え去ってしまう。だが、どれほどささやかな財産でも、有能な管理人の手に委ねられれば、上手に運用されて増えていく。これと同じように、われわれの生涯も、それをうまく管理できる人にとっては、大きく広がっていくものなのである。 

 どうして、われわれは、自然に対して不平をもらすのだろう。自然は恵み深いではないか。人生は、使い方を知れば、長いのだから。
『人生の短さについて』:セネカ(訳:中澤務)

 かなり序盤の文章だが、現代に生きる我々にもめちゃくちゃブッ刺さるんじゃないかな?少なくとも私には効いた。ここからセネカは、人生を短くしていってしまうタイプの人たちについて掘り下げる。それもすごいんよ。

 多くの人たちは、他人の幸運につけ込んだり、自分の不運を嘆いたりすることで頭がいっぱいだ。また、大多数の人たちは、確固とした目的を持っていない。彼らは不安定で、一貫性がなく、移り気だ。だから、彼らは気まぐれに、次から次に新しい計画に手をつけるのだ。自分の進むべき道について、なんの考えも持ちあわせない人たちもいる。彼らは、ぼんやりとあくびをしているうちに、運命の不意打ちをくらう。

 まったくもって、最も偉大な詩人の述べる神のお告げめいた言葉が、真実であることに疑いの余地はない。いわく、「われらが生きているのは、人生のごくわずかの部分なり」と。なるほど、残りの部分はすべて、生きているとはいえず、たんに時が過ぎているだけだ。
『人生の短さについて』:セネカ(訳:中澤務)

 とりあえずTwitterとヤフコメが見れないように私のスマホをセネカにぶっ壊してほしい。といいつつ、どうしてもゴシップ的なものに興味を持っちゃうし、自分の不幸をネットに垂れ流してしまう。まさしく自分の人生を生きていない。

 そしてセネカは、人々が時間の価値をあまりに安く見積もっていることに疑問を抱く。引用ばっかりになっちゃうけどここも紹介したいの!!

 自分の金銭を他人に分け与えようとする者など、どこを探しても見あたらない。なのに、だれもかれもが、なんとたくさんの人たちに、自分の人生を分け与えてしまうことか。ひとは、自分の財産を管理するときには倹約家だ。ところが、時間を使うときになると、とたんに浪費家に変貌してしまう――けちであることをほめてもらえるのは、唯一このときだけだというのに。
『人生の短さについて』:セネカ(訳:中澤務)

 もうね、マジでこれだよね。私も簡単に他人の時間を奪ってしまうし(待たせたり、しょーもないことに誘ったりね)、平気で自分の時間を他人に明け渡せてしまう。確かに100円取り返せないだけでも凄まじく葛藤があるのに、時間を浪費してもそこまで後悔しない。というか100円取り返せないことで悩む時間そのものが浪費だ。

 こんなにも大事な時間なのに、ついつい無駄にしてしまう理由も端的に表されている。ここもマーカーだな。

 いったい、どうしてこんなことになってしまうのだろう。それは、あなたたちが、まるで永遠に生きられるかのように生きているからだ。あなたたちが、自分のもろさにいつまでも気づかないからだ。あなたたちが、どれだけたくさんの時間が過ぎてしまったかを、気にもとめないからだ。あなたたちが、まるで豊かにあふれる泉から湧いてくるかのように、時間を無駄使いしているからだ。たぶん、そんなことをしているうちに、あなたたちの最後の日となる、まさにその日がやってくるのだろう――まあその日だって、[自分のためでなく] 別のだれかや、別の用事のために使われている わけだがね。
『人生の短さについて』:セネカ(訳:中澤務)

 最後の追い討ちはやりすぎな気もするが、まあ痛快なこと。本当に2000年前に親戚に書いただけの手紙なのか?未来の我々に宛てて出した手紙としか思えんぞ。

 本当に未来の我々を意識しているかのような言葉が文中に数多く見える。例えば次に挙げる一節は恐ろしくシャープ。

 このような人たちが、どんな時間の過ごし方をしているか、余すところなく観察してみるといい。みたまえ。彼らが、どれだけ長い間、銭勘定をしているか。どれだけ長い間、悪だくみをしているか。どれだけ長い間、心配ごとをしているか。どれだけ長い間、ご機嫌とりをしているか。どれだけ長い間、ご機嫌とりをされているか。どれだけ長い間、裁判で訴えたり、訴えられたりしているか。どれだけ長い間、宴会をしているかーーいまや、宴会に出ることが仕事になってしまっているではないか。こうしたことが、よいことなのか悪いことなのかは問わないとしても、彼らが息をする余裕もないほどだということは、あなたにもお分かりであろう。

 ようするに、だれもが認めるとおり、多忙な人間は、なにごとも十分になしとげることができない。弁論においてもそうだし、学芸においてもそうだ。じっさい、[忙しさで]心が散漫になると、なにごとも深く受け入れることができなくなる。そして、 すべてのものを、むりやり押し込まれたかのように、吐き出してしまうのである。
『人生の短さについて』:セネカ(訳:中澤務)

 俺らの仕事って、古代ローマで上げられる[悪い例]から1歩も進歩してねえのかよ😭 特に宴会の部分は大いに刺さる。この時代からあのズルズルと長引く構造が変わってないことがわかる。やめてくれよ。辞めさせてくれよ。

 この辞める、生活を変えるという決断に関しても、さっさとやれ!時間は有限だぞ!!とセネカは訴えている(もともと退職を勧める手紙なんだしね)ここを紹介してとりあえず終わりにしてみる。

 先延ばしは、人生の最大の損失なのだ。先延ばしは、次から次に、日々を奪い去っていく。それは、未来を担保にして、今このときを奪い取るのだ。生きるうえでの最大の障害は期待である。期待は明日にすがりつき、今日を滅ぼすからだ。あなたは、運命の手の中にあるものを計画し、自分の手の中にあるものを取り逃がしてしまう。

 あなたは、どこを見ているのか。あなたは、どこを目指しているのか。これからやってくることは、みな不確かではないか。今すぐ生きなさい。

 みよ、最も偉大な詩人が叫んでいる。彼は、まるで神の言葉を吹き込まれたかのように、救いの詩をうたっている。


 哀れな死すべき人間にとって、人生最良の日は、まっさきに逃げていく。

 詩人はこう言っているのだ。「なぜ、あなたはぐずぐずしているのか。なぜ、あなたは手をこまねいているのか。つかまえなければ、逃げていってしまうぞ」と。いや、たとえつかまえたとしても、それでも逃げていくことだろう。だからこそ、時間の速さに対しては、それを使う速さで対抗し、すばやく汲み取らなければならないのだ――つねに流れているとは限らない奔流の水を汲み取るときのように。
『人生の短さについて』:セネカ(訳:中澤務)

 文中で引用されているのは、ウェルギリウスの『農耕詩』の一節だという(注より)。

 完全なる私事だが自分も決断しなきゃいけない時が来ていると考えている。というか考えている時点でその時その瞬間だし、これを書いてる時点で“人生最良の日”はスルスルと逃げていってる。

 だけどもこっちにも事情があるんだい!!古代ローマにはなかったしがらみがあるんだよ!!もうちょい待っててよ!!(こうして今夜も先伸ばされるのでした)

 つづく

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