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あなたが困った時に「ルポルタージュ」が役に立つ(第2回)

第1章
ルポの「悪いお手本」から「事実」の大切さを学ぶ


「ルポの根幹」は
事実の確認作業

 
 当連載記事の目的は、読んでいただいた皆さんが「ルポの視点」を身につけ、本書で紹介した「ルポの技」の数々を、まずは真似することから試してみて、皆さんが遭遇した問題を解決する際の〝武器〟にしてほしい――ということに尽きます。

「困ったらルポライターを呼べばいい」
 ではなく、ルポの手法を使って自力で解決する力を身につけてほしいのです。「ルポの視点」の活用先や応用先は、学校生活の場であったり、ビジネスの場面であったり、ご近所付き合いの場面であったりと、さまざま想定できます。

 まずは、私たちが日々ニュースや情報を仕入れる情報源であるマスメディア(マスコミ)で実際に起きた誤報事件や、記事の捏造事件を素材にして、ルポルタージュの大前提である「事実」の確認作業を疎かにすると、何の役にも立たない番組や記事になってしまう上に、最悪の場合、視聴者や読者にまで迷惑をかけてしまう――という問題を考えてみたいと思います。
 

五輪反対デモは〝いかがわしいもの〟
として報じたNHK


 
 2021年12月26日にNHKのBS1で放送された映像ルポルタージュであるドキュメンタリー番組「河瀬直美が見つめた東京五輪」で、事実でない字幕(テロップ。キャプション)が付けられていた問題。同番組を制作したNHK大阪拠点放送局は、
「字幕の一部に、不確かな内容がありました」
 と不備を全面的に認め、関係者と視聴者に謝罪しました。

 問題となったのは、2度目の東京五輪の公式記録映画の総監督である河瀬直美氏(映画監督)から撮影のサポートを依頼された島田角栄氏(映画監督)が、匿名の男性をインタビューしている場面につけられていた、
「五輪反対デモに参加しているという男性」
「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」
 という字幕です。

 これを素直に読む限り、男性はどこかからお金をもらって五輪反対デモに動員されている、という意味にしか受け取れません。しかし、事実はそうではありませんでした。この男性が五輪反対デモに参加し、お金をもらったという裏付けが取れなかったからです。つまり事実ではなく、誤報でした。

 言うまでもなく、おカネをもらって五輪反対デモに参加したとしても、法律違反ではありませんし、罰せられるいわれもありません。労働組合等の組織が動員をかけ、一部の参加者に対して交通費等の名目でおカネが渡されることなど、いくらでも例があります。

 さらに言えば、どこかの組織からおカネをもらって五輪反対デモに参加した人がいたと報じることも、事実である限り、ドキュメンタリー番組としてとりたてて問題視されることはないでしょう。ただし、東京五輪の招致キャンペーンや、開催を歓迎&宣伝する大キャンペーンには、数百億から数千億円規模の大金が注ぎ込まれていたことと比べれば、五輪反対デモへの〝動員費〟など取るに足らないものです。少なくとも、税金からの支出ではありません。

 では、同番組で〝五輪反対デモ動員費〟を報じることで、NHKは何を伝えたかったのでしょうか。そして、それを伝えるに当たって何を誤ったのか。
 NHKの釈明などから判明している事実関係をもとに、「ルポの視点」で検証してみることにしましょう。
 

男性へのインタビューの発端は
「内部告発」なのか否か


 
 訓練され、平均的なスキルとキャリアを持ち合わせたジャーナリストであれば、〝五輪反対デモ動員費〟の話を耳にし、つけた字幕のように報じるなら、少なくとも、そのデモに動員をかけている組織は何という名前の団体であり、その〝動員費〟が具体的に1回いくらなのかくらいは、条件反射的に確認します。たとえその情報を番組内や記事中では明かさないとしても、です。そこが「インターネットで流布する噂話」と「報道」の差でもあります。

 そもそもこの男性が、誰によってカメラの前まで連れて来られたのかも、明かされていません。東京五輪の公式記録映画やNHKの番組制作には、コーディネーターやデータマンが介在し、そうしたスタッフが男性を連れてきたのでしょうか。それとも、東京五輪の公式記録映画のスタッフかNHKに対し、この男性自身からタレコミがあったのでしょうか。

 こうした〝内部告発ネタ〟でよくあるのは、デモに参加していた当事者とデモの現場で知り合い、その後、日を改めてその当事者から告発情報を得る――というパターンです。そうであれば、〝動員費〟の話自体が口から出任せでない限り、男性に何らかの問題意識があってこその告発だと考えられます。
 

会見で嘘を小出しに?


 
 では、実際はどうだったのでしょうか。NHKの説明や新聞各紙の報道をもとに整理すると、概ね次のような話になります。
 
・問題の字幕が流れたシーンの後、同番組内で男性は
「デモは全部上の人がやるから、書いたやつを言ったあとに言うだけだから」
「それは予定表をもらっているから、それを見て行くだけ」
 と話していた。直前の字幕と合わせれば、五輪反対デモについての証言としか受け取りようのない番組構成だった。
 
・男性は撮影当時、
「過去に複数のデモに参加したことがあり、金銭を受け取ったことがある」
「今後、五輪反対デモにも参加しようと考えている」
 と話していた。つまり、五輪反対デモに参加して金銭を受け取っていたことを〝内部告発〟するものではなかった。
 
・このシーンの撮影時、男性をインタビューしていた映画監督の島田角栄氏は、字幕問題発覚後に、
「『五輪のデモに参加した』という趣旨の発言は無かったにもかかわらず、オンエアされたテロップを見てたいへん驚いた」
 とコメント。さらに島田氏は1月20日、NHKに対し、
「昨日(1月19日)NHKの定例会見があり、BS1スペシャル『河瀬直美が見つめた東京五輪』における不適切字幕問題に関する質疑応答において、『プロデューサーから真偽の確認をするよう指示を受けたディレクターが、男性がデモに参加する予定があると話した事を島田に確認し、それを報告した』という主旨の説明がされました。
 しかし、以前より申し上げている様に、これは島田が取材した事実と異なります。かつ、放送前に担当ディレクターからの事前確認はありませんでした。また、会見で発せられた内容について、NHKから事前に島田に事実確認がされることもありませんでした」(丸カッコ内は筆者の補足)
 と抗議。「大変憤慨しております」として訂正を求めた。
 
 映画監督の島田氏も触れている1月19日の「NHKの定例会見」でNHKは、問題となった「字幕」は試写の段階ですでに入れられており、試写を見た番組プロデューサーは担当ディレクターに対し、字幕の表記が事実で間違いないか確認するよう指示していた、と説明しました。しかしディレクターは、男性本人ではなく、島田氏に確認したことでプロデューサーに「確認した」と報告した――というのが、NHK会見の内容です。でも島田氏は、放送前にNHKディレクターからの事前確認などなかった――というのでした。

 もし島田氏に対し、放送前に字幕の表記が問題ないか確認していれば、事実誤認の字幕がそのままオンエアされることを未然に防げた可能性は相当高かったでしょう。むしろ、ディレクターが確認作業を怠ることに何の恐れも抱かずにいたのであれば、放送前に試写をする意味がなくなります。果たしてこのディレクター氏は、報道やドキュメンタリーに関わる者として適任なのでしょうか。

 NHKは情報を小出しにするだけでなく、嘘も小出しにしているかのようです。NHKは「島田監督には何ら責任はなく、責任はすべてNHKにあります」とする一方で、実際は責任の一端を島田氏にかぶせ、島田氏のさらなる怒りを買っていました。
 

NHKディレクターはなぜ
「そう思い込んでしまった」のか


 
 NHKの説明では、島田氏は河瀬氏からの依頼で、五輪反対を訴える市民らを取材していたのだそうです。各紙報道によれば、同番組には島田氏が、河瀬氏に取材テープを見せるシーンがあるそうです。しかしそのテープには、問題の男性を取材していたシーンは含まれていなかったとされます。

 なぜ島田氏はNHKディレクターの判断とは正反対に、男性へのインタビューシーンをカットしたのでしょうか。迂闊に乗れない、もしくは「五輪に反対している人」として相応しくないと判断したから――ではないのでしょうか。

 どれだけ興味深い話であろうと、事実の裏付けが取れなければ、そのシーンは丸ごと割愛するのが、ドキュメンタリー番組制作の常であり、事実上の〝掟〟だからです。

〝こういう話だったら、もっと面白くなる(あるいはもっとインパクトが増す)のに〟
 という〝悪魔の囁き〟は、私たちドキュメンタリーの世界で仕事をする者にとって、日常茶飯事のように脳裏に浮かぶことです。しかし、その〝囁き〟に負け、ありもしない文言を創作し、字幕にしてしまった時点で、その番組は「ドキュメンタリー」ではなくなります。そして、番組で紹介した人たちや、ケースによっては番組を制作した者自身まで、容赦なく傷つけるのです。最悪の場合、問題の番組を制作したNHKのディレクターは、報道やドキュメンタリーの世界から追放されることでしょう。

 男性が、島田氏には言わなかったことを、NHKのディレクターだけに証言したという可能性も考えてみました。しかしそうであれば、「東京五輪の公式記録映画制作に密着する番組」の中で扱うべき話ではなくなります。別仕立ての番組やニュースの中で、じっくり検証すればいいのです。

 NHKは問題発覚当初、
「制作担当者の思い違いや取材不足が原因」
「制作担当者が、男性が五輪反対デモに参加したと思い込み、事実関係の確認が不十分なまま字幕をつけた」
 と説明していました。しかし「思い違い」や「思い込み」では、なぜそうした字幕をつけるに至ったのかという動機や原因の説明にはなりません。NHKには「なぜそう思い込んでしまい、確認作業さえも怠ったのか」を説明する必要と責任があります。

 NHKのディレクター氏は字幕の創作を、番組上の「演出」と考え、この程度の演出は許容範囲であり、男性は匿名にするし、どうせバレることはないと高を括っていたのではないか――と、私は邪推するのですが、正直なところ、この邪推が当たっていなければいいな、とも思っています。
 

「基本」が徹底されず、
不祥事を繰り返すNHK


 
 NHKでは2014年、「クローズアップ現代」(当時)で起きた「過剰演出」事件を受け、すべてのニュースや番組を対象にした「匿名チェックシート」制度を導入します。同シートには「なぜ匿名にするのか」「内容の真実性をどう確認したか」などのチェック項目があり、匿名インタビューを使用する可否を含め検討するとした再発防止策を講じていました。
https://www.nhk.or.jp/pr/keiei/cyousaiinkai/index.html

 しかし今回の番組では、このチェックシートがなぜか使われていませんでした。毎日新聞の報道によると、番組担当者が「この番組はチェックシートの対象外だと思い込んでいた」というのです。
https://mainichi.jp/articles/20220112/k00/00m/040/224000c

 またしても「思い込み」です。まさかNHKは、五輪に反対することや五輪反対デモが悪いことであり、いかがわしいものだと「思い込んで」いたというのでしょうか。

 NHKは2015年5月、「『クローズアップ現代』報道に関する調査報告を受けた再発防止策について」と題した文書を公表し、事件を「風化させずに継承することが大切だ」として、
「受信料に支えられている公共放送には高い放送倫理が求められていることを再確認し、放送法や番組基準、放送ガイドラインに掲げられている、事実に基づいて正確に放送するという基本を徹底していく」
 と、高らかに宣言していました。
https://www.nhk.or.jp/pr/keiei/cyousaiinkai/pdf/150529_boushi.pdf

 それから早7年。この時の志は「風化」してしまったようです。そして、公共放送に求められている「事実に基づいて正確に放送するという基本」が徹底されずに、不祥事は繰り返されました。

 試写や「匿名チェックシート」制度が意味をなさず、誤報の歯止めや不祥事の再発防止に役立たないとなれば、もはやそれはNHKの番組制作現場における「質の低下」に他なりません。これがコトの真相だとすると、「公共放送」を自任するNHKにとって最も深刻かつ致命的な事態だと思います。
 
(初出:『ビジネスジャーナル』2022年1月25日掲載「NHK『BS1スペシャル』はなぜ『東京五輪反対デモに参加するとおカネがもらえる』と報じたのか」に加筆)
 
【追記】
 2022年2月10日、NHKは「BS1スペシャル報道に関する調査報告書」と「懲戒処分について」とする文書をウェブサイトで公表した。URLはこちら。
https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/
 

ルポルタージュの定義
~中日新聞「新貧乏物語」記事捏造事件~


 
 続いて新聞記事です。

 中日新聞が2016年5月17日朝刊から6回にわたって掲載した連載企画「新貧乏物語 第4部・子どもたちのSOS」は、
「苦しい家計や親の病気、虐待などに子どもの教育が脅かされている。未来への明かりを消さないため、社会に何ができるのか。子どもたちが叫ぶSOSに耳を澄ませる」
 との意図から書かれたルポでした。文章はうまく、いわば「エンターテイメント」としても十分成立しており、読者からは、記事で取り上げられた子どもたちに渡してほしいと、現金や商品券、教材、おもちゃ、食品などの支援が同新聞社まで寄せられたのだといいます。

 そのルポ「子どもたちのSOS」の第1話と第3話で、いわゆる「やらせ」と「捏造」があったとして、同年10月30日の中日新聞と東京新聞に検証記事が掲載されました。第1話では掲載写真のやらせが、第3話では貧乏であることを強調するため、事実の捏造が行なわれた――というのです。

 中日新聞社のホームページで掲載されていた当該記事と写真は、すでに削除されているため、URLをここに挙げることはできません。その代わりとして、姉妹紙『東京新聞』2016年10月12日付朝刊に掲載された「おわび」記事と、『中日新聞』2016年10月30日付朝刊掲載の検証記事から、事件の概要を伝える部分を引用します。
 

2つの検証記事


 
【『東京新聞』2016年10月12日付朝刊に掲載された「おわび」記事より】
 今年六月に掲載した連載「新貧乏物語 子どもたちのSOS」(全六回)のうち一つの記事に、事実ではない誤った記述がありました。外部からの指摘を受けて社内で調査した結果、取材班の記者の一人が事実と異なる取材メモを作成し、それを基に原稿を書いたことが原因だと分かりました。
 誤りがあった記事は、六月二十一日朝刊6面の連載三回目「父親急病 突然の転落」。病気の父親を持つ中学三年生の少女(一四)の話。八月末に関係者から指摘があり、少女のご家族や記者本人の聞き取りなど社内調査を進めた結果、教材費や部活の合宿代も払えない、などとした三カ所の記述が事実でないことを確認しました。記者は「原稿を良くするために想像して書いてしまった」と話しています。
 
【『中日新聞』2016年10月30日付朝刊掲載の検証記事より】
◆取材班と取材経緯 
 連載「新貧乏物語」は年初からスタートし、今年九月までに第6部まで掲載。奨学金の返済に苦しむ若者や年金を受け取れない高齢者らの苦境を取り上げた。記事全文と写真を削除した第4部「子どもたちのSOS」の二本を除き、連載記事は三十五本に上る。
 取材班は名古屋本社社会部のベテラン記者をキャップに各部ごとに四~五人の記者で構成。社会部員のほか、地方の若手記者一~二人をメンバーに入れている。
 第4部は貧困家庭を支援するNPOや現役の教職員などへの取材を通じ、生活苦から子どもの学校教育に不安を抱える家族を探して話を聞いた。記事全文と写真を削除した連載記事二本は、いずれも地方から取材班に加わった男性記者(29)が取材と執筆を担当した。
 
◆チェックの機会生かせず
写真の自作自演
 【概要】
 五月十七日付の名古屋本社版朝刊の連載一回目「10歳 パンを売り歩く」は、母親がパンの移動販売で生計を立てる家庭の話。写真は、仕事を手伝う少年の後ろ姿だったが、実際の販売現場ではない場所での撮影を、取材班の男性記者(29)がカメラマンに指示していた。少年が「『パンを買ってください』とお願いしながら、知らない人が住むマンションを訪ね歩く」のキャプション(説明)付きで掲載された。
 撮影当日、少年がパンを訪問販売する場面の撮影は無理だと判明。少年に関係者宅の前に立ってもらい、記者自らが中から玄関ドアを開けたシーンをカメラマンに撮らせた。
 男性記者は「写真提出の締め切りが迫り、まずいなと思いながらやってしまった」と理由を話した。
 こうした撮影の経緯は、十七日付朝刊の印刷開始後、取材班全員で深夜の会食中に話題となった。初めて事実を知ったキャップは「やらせだ」として男性記者を叱責(しっせき)するとともに、後日に掲載される東京、北陸、東海の三本社向けには、写真やキャプションを差し替える措置を取った。
 【なぜ素通りしたのか】
 取材班に専任のカメラマンはいなかった。取材記者が撮影日を設定し、当日に仕事の予定がないカメラマンがその都度、駆り出されることが多く、記者との意思疎通を欠く面があった。
 今回の写真を担当したカメラマンは、ドアのノブに手を掛けているのが男性記者だと知っていたが、「イメージ写真のつもりで撮っていた」と説明。撮影の場面をセッティングした記者に疑問を投げかけることはなかった。場面を変えて何種類かのカットを撮影し、取材班あてに送信した後はノータッチだった。
 掲載する写真の選択やキャプション作成は、男性記者ら取材班メンバーだけで進められた。撮影の状況を知っているカメラマンが参加しなかったことで、チェックする機会が失われた。
 また、取材班メンバーの一人は紙面掲載前に、男性記者から「写真に自分の手が写っている」と聞かされていたが「補助的なところを手伝ったのだろう。キャップも当然知っているはず」と問題視せず、キャップに報告しなかった。
 
◆「記事の不採用怖かった」
原稿の捏造
 【概要】
 五月十九日付朝刊の連載三回目「病父 絵の具800円重く」の見出しが付けられた記事には、事実でない内容があった。家族から指摘を受けて確認したのは三カ所。
 一つは、病気の父親を持つ中学三年の少女の家庭では、冷蔵庫に学校教材費の未払い請求書が張られているとして「絵の具 800円」「彫刻刀 800円」と架空の品目や金額を書いた。
 二つ目は、「中二の終わりごろから両親に『塾に行きたい』と繰り返すようになった」の記述で、実際には母親の方から「塾に行かなくていいの」と尋ね、少女が断っていた。
 三つ目の「バスケ部の合宿代一万円が払えず、みんなと同じ旅館に泊まるのをあきらめて、近くにある親類の家から練習に参加したこともある」は、実際には合宿代は支払われており、親類宅での宿泊は合宿入りの前夜だった。
 男性記者は三カ所の捏造(ねつぞう)について「貧しくて大変な状態だというエピソードが足りないと思い、想像して話をつくった」と説明した。
 その背景の一つに、取材班の上司から原稿執筆について「描写は具体的に」「ディテール(細部)が大事」との方針を示されていたことを挙げた。
 エピソード不足は、肝心の少女に直接取材していないことも要因だった。
 記者は「悪いことをしている」と感じつつ、「自分が取材している五件の家庭が、連載で一本も採用されなかったらと思うと怖くなった。その怖さが、悪いことを思いとどまる気持ちを上回った」とも話した。実際には五件のうち三件が採用された。
 【なぜ見抜けなかったのか】
 写真の問題が判明した五月十七日、キャップらは男性記者が書いた原稿も再チェックする必要があると考え、当初は二回目で使う予定だった「病父 絵の具800円重く」の一日繰り延べを決めた。
 キャップは取材班を前に「連載には『頑張ってください』というファクスなどが多数寄せられている。そんな読者を裏切ることをしてはならない」とあらためて注意を喚起。男性記者に原稿の事実関係を一つ一つ確認し、記者は「問題はない」と答えた。
 名古屋本社の寺本政司社会部長は「男性記者が地方からの応援者で、普段の仕事ぶりや性格をよく知らないことに加え、本人から『ない』と言われれば信用するしかなかった」と話す。
 しかし、写真の自作自演という例のない問題が明らかになった直後だけに、別の記者に再取材させるといった一歩踏み込んだ対応を取れなかったのか。
 
◆家族の抗議、上司に伝わらず
おわび掲載の遅れ
 名古屋本社版に掲載された連載一回目の写真・キャプションと、三回目の捏造があった記事の削除は、十月十二日付朝刊の「おわび」までなされなかった。
 写真の問題発覚直後にキャップから関係者に謝罪するよう指示された男性記者は、関係者に会う約束をとる電話で「いい記事をありがとう。写真は問題にしていない」旨を先方から伝えられたと報告した。実際には電話をかけていなかった。「約束したプライバシーが守られていない」と家族や支援者から抗議を受けた際も取材班に伝えず、対応が遅れる一因となった。
 キャップは六月、読者からの支援品を持って少年の母親と面会し、謝罪。八月下旬には、連載三回目の少女の家族に支援品を送ろうとしたところ、「うその記事に対して贈られた物は受け取れない。説明した内容が貧困を強調するエピソードに改ざんされている」と抗議を受け、初めて原稿の捏造が分かった。
 十月までに四回、うち一回は男性記者を同行して少女宅を訪問し、謝罪。事実でない記述を聞き取って確認し、「おわび」という形で紙面化する方針などを伝えた。この間、先方の仕事の都合や、より正確を期してほしいという意向で掲載時期が延びていった。
 写真の問題発覚後から男性記者が精神的に不安定になり、詳しく事実関係を聞くことができない事情もあった。
         *
 記事の引用は以上です。
 この検証記事や当該記事をもとに、ルポルタージュとしてどんな問題があったのかを整理してみます。
 

【問題点】
1、ルポの「主人公」を1度も取材していない


 検証記事によれば、問題の記者は、記事の主人公である中学3年生の女子を取材しないまま、家族から聞いた話だけで記事を書いたことになります。ルポルタージュである限り、ここが最大の問題点となります。

 連載記事「子どもたちのSOS」は、「子どもたちが叫ぶSOSに耳を澄ませる」として開始されていました。これでは「耳を澄ませる」ことにならないでしょう。
 そもそも、記者はなぜ中学3年生の女子を直接取材しなかったのでしょうか。検証記事でも、肝心のその理由に触れられていません。
 

2、取材不足


 記者は社内での取り調べに対して「貧しくて大変な状態だというエピソードが足りないと思い、想像して話をつくった」と説明したのだそうです。検証記事は「エピソード不足は、肝心の少女に直接取材していないことも要因だった」としました。

 「エピソードが足りないと思った」のなら、捏造することを考える前に、なぜもっと取材しなかったのでしょうか。なぜ少女に直接会えるまで取材しなかったのでしょう。
 取材相手は、貧困家庭を支援するNPOなどから紹介されたと思われます。子ども本人から話が聞けなかったのなら、なぜNPOなどから「子ども本人からも話が聞ける別の家族」を紹介してもらわなかったのでしょうか。
 

3、記者がついた「2種類のウソ」


 記者は「約束したプライバシーが守られていない」と家族や支援者から抗議を受けたことを、取材班の同僚たちに報告していませんでした。さらには、写真の「やらせ」問題が発覚した直後に取材班のキャップから、関係者に謝罪するよう指示された記者は、取材相手から「いい記事をありがとう。写真は問題にしていない」と電話で言われたと、ウソの報告をしていました。記者は、実際には関係者に電話をしていませんでした。

 こうしたウソは、いずれ必ずバレることになるウソの類いです。にもかかわらず、なぜ記者はウソをついたのでしょうか。このウソが、中日新聞社として問題の発生を把握する機会を遅らせ、さらには問題への対処を決定的に遅らせてしまいました。

 記事でウソを書いたことと、仕事仲間である社内の同僚にウソをついたことは、同根なのでしょうか。すなわち、この記者の資質や素養に関わる話なのか、それとも社の側の問題なのか。
 そして、この記者にとって記事の捏造は、これが初めてのことなのでしょうか。
 

4、「捏造」は当の記者をも傷つける


 検証記事は「写真の問題発覚後から男性記者が精神的に不安定になり、詳しく事実関係を聞くことができない事情もあった」としています。
 記者が精神的に不安定になったのは、ウソを隠していたからに他なりません。記事の捏造がバレたら社からどんな処分を受けるのだろうと、不安に苛(さいな)まれていたことが容易に想像できます。取材相手から抗議が来ても握り潰していたという事実からも、取材相手が被った迷惑を考え、取材相手を守ろうとしたことで精神的に追い詰められたとは考えにくいでしょう。記者にとっての優先順位は、自身の保身が第一で、取材相手は二の次だったことになります。

 記者は、登場人物を匿名にする記事であれば多少のウソも許されるし、誤魔化せると考えていたのではないでしょうか。でなければ、捏造という手段はそもそも取りませんし、思いつく手段でもありません。
 それに、検証記事にある「精神的に不安定」とは、具体的にどういうことなのでしょうか。検証記事では、引用した以外の箇所に「記者の心のケア」という記述もありました。捏造記事問題の原因を解明し、再発防止策を検討する上でも不可欠な情報ですが、検証記事にこれ以上のディティールを書き込むことは「個人情報」として憚られることなのでしょうか。

 問題の捏造記事や検証記事も含め、私たち報道に携わる記者は「書いてあること」でしか勝負できません。書かれていない「行間」から察してほしいとの弁解は、記事で傷つけられた取材相手や読者には通用しません。書いて説明できないことならば、検証記事でも中途半端に触れるべきではなかったのではないでしょうか。

 検証記事によれば、問題の記者は「一連の連載を新聞協会賞に応募することや、出版予定だと聞くうちに『大変なところへ来た』と思うようになった」のだといいます。「大変なところへ来た」の「ところ」とは、いったい何のことなのか。自分が配属された「子どもたちのSOS」取材班が「大変なところ」なのか。それとも、ウソを書いた記事が新聞協会賞に応募されてしまったり、本になってしまうかもしれないことが「大変なところ」=「今さらウソをついていたと申し開きできない事態に発展してしまった」ということなのか。
 

5、そして「読者」も傷つける


 多くの連載の中に、たった2本のウソ記事が紛れ込んだことで、「新貧困物語」のすべてが信用をなくしてしまうことになりました。
 「この記者一人だけに問題があった」としなければ、他の記者が書いた記事まで疑われることになります。ただ、編集局内には、記事の捏造や、記者の説明にウソがあることを見抜く仕組みが用意されていませんでした。そのため、他の記事にウソが紛れていたとしても、やっぱりチェックできないだろう――と、多くの読者は疑うことになります。

 問題を起こした記者には厳しい言い方になりますが、「誰もが疑わないウソを書けるスキル」はあるようです。実際、一般人よりははるかに貧困問題に詳しい団体である「反貧困ネットワーク」が、「貧困ジャーナリズム賞」を授与してしまうほど、作文としてはよくできていました。ただし、新聞記者には不要な才能です。

 ウソを書かれた少女宛てにも、読者から支援が寄せられたのだといいます。記事にあった「絵の具」や「彫刻刀」は架空の話だったわけですが、万が一、読者から送られた品物に「絵の具」や「彫刻刀」か、それに類する物があったとすれば、悲劇的でさえあります。読者が良かれと思ってした支援が、少女やその家族の役に立たないどころか、捏造されたことに対する怒りの火に油を注ぐものでしかなくなるからです。

 検証記事によれば、少女やその家族は「うその記事に対して贈られた物は受け取れない」と怒ったのだそうですが、贈られたのが「物」だったというところが大変気になるところです。結局、この贈り物はその後、中日新聞社でどういう扱いを受けたのでしょう。捨てられてしまったのか、それとも贈り主である読者に返還されたのか。

 いずれにせよ、支援を買って出た読者もまた、記事と記者に騙され、裏切られた〝被害者〟になってしまいそうです。
 こうした読者からの支援がなければ、記事が捏造だったことは今なお明らかになっていなかった可能性が高いと思われます。実際のところ、読者からのリアクションが記事の捏造を暴く端緒となっていたからです。
         *
 ルポの書き手や作り手が、この事件から学べるところは多いでしょう。この事件自体がルポの対象ともなりえます。
 繰り返しになりますが、今回の事件から浮かび上がってきた「ルポを書くにあたっての注意点」を、以下に挙げます。
 
①ルポに書く事実は、取材現場にしかない。「エピソードが足りない」時、想像で書いたり捏造に走ったりしたところで、何も解決しない。「エピソードが足り」るまで、さらに取材を重ねればいい。
 
②検証記事には「貧困家庭を支援するNPOや現役の教職員などへの取材を通じ、生活苦から子どもの学校教育に不安を抱える家族を探して話を聞いた」とある。今回の事件では、ルポの主人公である中学3年生の女子生徒に話が聞けなかったことが、捏造の発端となっていた。もし当事者から話が聞けないのなら、「貧困家庭を支援するNPOや現役の教職員」などに相談し、話をしてくれる別の家族を紹介してもらうほかない。
 
③記事内容の捏造は、それを書いた本人を苦しめるだけでなく、取材相手や協力者、所属している会社、さらには読者にまで迷惑をかけることは、今回の事件からも明らかだ。改めて言うまでもなく、事実を綴るルポにおいて「創作」や「捏造」は禁じ手である。
 
(初出:ルポルタージュ研究所ホームページ『今月のルポ研究』2016年11月7日掲載に加筆)
 

第2章
「ルポの視点」で
「原因」と「本質」に迫る
 

 

「テレビ局の内実」をテレビ番組がルポした
「オワコン」テレビ再生のための処方箋
「さよならテレビ」(東海テレビ CX系列)

  
 ここまで、誤報事件や捏造事件を検証してきましたが、次に、テレビ局、それも報道番組制作の現場をテレビ番組自身がルポし、現在のテレビ報道が抱える問題点を炙り出した秀作ルポを紹介したいと思います。2018年に放送された東海テレビ(フジテレビ系)の「さよならテレビ」のことです。

 同番組は東海テレビ開局60周年記念番組として制作され、2018年9月2日(日)16時から17時半までの90分間、放送されました。その記念番組のキャッチコピーは、
「お化粧したメディアリテラシーはもういらない。報道の現場にカメラを入れ、『テレビの今』を取材する」
 というもの。視聴すると、キャッチコピーどおりの番組でした。

 以下、同番組のホームページに掲げられた番組宣伝の内容を引用します。
         *
 長年、メディアの頂点に君臨してきたテレビ。
 しかし、今はかつての勢いはない。インターネットの進展など多メディア時代に突入し、経済的なバックボーンである広告収入は伸び悩んでいる。
 さらに、プライバシーと個人主義が最大化して、取材環境が大きく変化し、現場の手間は増える一方だ。
 「第4の権力」と呼ばれた時代から、いつしか「マスゴミ」などと非難の対象となり、あたかも、テレビは、嫌われ者の一角に引き摺り下ろされてしまったようだ。
 果たして、テレビは本当に叩かれるべき存在なのだろうか。
 「偏向報道」「印象操作」は、行われているのか。
 現場は何に悩み、何に奮闘し、日々どんな決断を迫られているのか。
 テレビの存在意義、そして役割とは一体何なのか。
 そして、テレビがこれから生き残っていくためには何が必要なのか。
 お化粧したメディアリテラシーはもういらない。
 報道の現場にカメラを入れ、「テレビの今」を取材する。
(東海テレビホームページより)
http://tokai-tv.com/sayonara/
         *
 ルポ――現場報告――がその本領を発揮するのは、解決策がわからない時です。解決策を探し出したい、あるいは編み出したいという明確な意図があってはじめて、ルポは最大限の威力と効果を発揮します。

 では、なぜ東海テレビは自らの報道番組制作現場をルポし、放送するに至ったのでしょうか。テレビは今、制作現場にいる人々の自浄努力だけでは、もはやどうにもならないところにまで来てしまっているとの自覚と問題意識が、同番組の制作者らにあったから――としか考えられません。

 袋小路に迷い込んだ感のあるテレビが今、抱えている問題を、まずは「自画像」として自局の同僚たちに見せ、それにとどまらず、他局の番組制作者や視聴者にも見てもらい、皆で問題意識を共有し、番組への意見や感想を求めつつ、ともに出口(=解決策)を導き出していこうと考える――。

 そうでないのなら、わざわざ放送する必要はないのです。大手新聞社が、たまに社内報で自社の問題点を〝記事〟として書いたりすることがありますが、それと同様に、社内向けの〝検証番組〟にとどめておけばよかったのです。見方を変えれば、今のテレビ報道の現場はそこまで深刻なのだ、ということなのでしょう。

 ルポ「さよならテレビ」は、今の報道番組制作現場のダメなところを、これでもか、これでもか、というくらいに映し出していきます。テレビが今後どうすればいいのかという答えは、すべてこのルポ番組の中にあると言っても過言ではないでしょう。映し出された「ダメなところ」を改めればいいのです。あとは、観た人たちがどうするか次第で、テレビの未来は変わります。

 「さよならテレビ」は、〝テレビは今のままではいけない〟〝変われ〟と言い続けます。見てもわからない人は置いてきぼりになろうと構わないという潔さが心地よいほどです。そこが、単に自虐的に自社の内幕を描いたり、内部告発的に自社を揶揄しようとしたりする番組とは一線を画しているところです。

 番組に登場するシーンを事細かに紹介している記事は他にもあるので、最後にそのURLを紹介することでお許しいただきたいのですが、特に私の印象に残ったシーンを2つだけ紹介します。
 
【シーン♯1】
 局の社員ではない外部スタッフのベテラン記者(49歳)が、ニュース番組で「共謀罪」法案の特集を担当することになった。彼は、NHKが同法案を「テロ等準備罪」と呼ぶ一方、民放他局の中には「共謀罪」と呼んでいる局があることについて、「さよならテレビ」のカメラに向かってこう語っていた。

「共謀罪という言葉を使わないメディアは、批判する気が全くないという。権力の監視よりも、権力を支えるほうを選んでいるっていうことですよね。恥ずかしいけど」

 だからベテラン記者氏は、特集のナレーション原稿に「共謀罪」と書いた。するとデスクから「テロ等準備罪」と直されてしまう。ベテラン記者氏は「さよならテレビ」のカメラに原稿を見せながら、
「ここを直していただいたんですけど」
 と、恥ずかしそうに呟く。

 そして放送後の番組反省会。報道局長(入社32年目)が報道局のスタッフに対し、
「共謀罪ね、国会で強行採決という形で成立してしまいましたが、我々メディアにとっても大変影響の大きい法律だと思います」
 と、白々しく語るのである。その話を、ベテラン記者氏は憮然とした表情で聞いている。身内と語る際には「共謀罪」と言い、放送では「テロ等準備罪」とわざわざ言い換える。そんなダブルスタンダードの現実を、「さよならテレビ」のカメラは記録していた。
 
【シーン♯2】
 「働き方改革」のため、残業時間を減らさないと労働基準監督署から目をつけられ、ペナルティを科せられるのはテレビ局も一緒だ。そこで、人材不足を補うべく制作会社から派遣されてきたのが、職歴2年という24歳の新人ディレクター氏。街頭インタビューもうまくできない。いわゆる「食レポ」も下手くそ。さらにはミスも連発し、デスクから叱られる日々。それでも笑みを浮かべながら苦闘している。だが、1年で派遣切りされることに。

 「さよならテレビ」には、視聴率が振るわず、1年で降板させられる男性キャスター(入社16年目)も、メインキャストの一人として登場する。そのキャスターが、猫の殺処分の現状を伝えるニュースの中で、

「弱いものを守る世の中であって欲しいですね」

 とコメントするのだが、そのオンエアをサブマスター室で見つめていたのが、クビが決まったばかりの新人ディレクター氏。いつも笑みを浮かべていた彼は、その時ばかりは素の表情だった。
         *
 「よくこれを放送できたものだ」などと評論している記事をネット上で見かけるのですが、そんな問題ではありません。悠長に構えていられる状況にはないことを自覚しているからこそ、東海テレビは「さよならテレビ」を制作し、放送したのでしょう。

 ちなみに、番組プロデューサーの阿武野勝彦氏(入社36年目)が「文春オンライン」のインタビューに語っていたところによると、「さよならテレビ」の「さよなら」とは、これまでのテレビに「さよなら」をすることなのだそうです。

 ところで、東海テレビは優れたドキュメンタリー番組を映画化していることでも知られています。前出の「文春オンライン」インタビュー記事によれば、これまでに10本のドキュメンタリー番組が映画化され、中には25万人もの観客を動員した映画(題名『人生フルーツ』)まであるのだそうです。興行としても大成功を収めているのです。

 となれば、「さよならテレビ」が映画館で上映されるようになることを期待するしかありません。それまでの間は、次に紹介する記事でその概要をつかんでほしいと思います。
 
・「業界騒然! 東海地方限定番組「さよならテレビ」は何がすごいのか?」
https://bunshun.jp/articles/-/9624
 
・賛否両論 東海テレビ「さよならテレビ」プロデューサーが語った「さよならの本当の意味」
https://bunshun.jp/articles/-/9917
 
・「さよならテレビ」東海テレビのドキュメンタリーが描く”矛盾”
https://www.huffingtonpost.jp/2018/10/10/goodbye-tv_a_23557398/
 
(初出:ルポルタージュ研究所ホームページ『今月のルポ研究』2019年4月15日掲載に加筆。入社年は記事掲載当時のもの)
 
【追記】
 その後、「さよならテレビ」は映画化され、2019年12月の東京「ポレポレ東中野」での上映を皮切りに、全国各地の劇場等で上映されている。映画『さよならテレビ』公式サイトはこちら。
https://sayonara-tv.jp/
 

世間の誤解を「ルポ」で解く
――マンション販売会社「ヒューザー」耐震偽装事件――


 

 「耐震偽装」事件を
覚えていますか

 
 2005年11月に発覚した「耐震偽装マンション・ホテル」事件――。いったいどんな事件だったのか、そしてその結末がどんなものだったのか、知っていますか。

 私は2010年秋、『週刊プレイボーイ』編集部からの依頼を受け、その翌年の11年春にこの事件のルポ記事を書くまで、事件のことをよく知らない上に、興味もありませんでした。それでも、個性的な〝疑惑の主人公〟たちがテレビや新聞、雑誌、果ては国会の場にまで登場し、責任の擦(なす)り合いを繰り広げていたことは、鮮明に覚えていました。

 同事件が発覚した当時、報道で語られていた「耐震偽装事件のシナリオ」は、大筋で次のようなものでした。
 
 マンション販売会社(=マンションデベロッパー「ヒューザー」の小嶋進社長)と建設会社、そして一級建築士らが結託し、建設コストを下げるため、地震の耐震強度データを改竄(かいざん)していた。そうやって建てた格安マンションを売りまくり、私腹を肥やしていたばかりか、その事実を隠蔽しようと政治家まで動かしていた――。
 
〝疑惑の主人公〟たちは、高級住宅地のマンションや豪邸に住んでおり、高級外車や自家用飛行機を持っていました。週刊誌からは、
〝これが私腹を肥やしていた物的証拠〟
 と報じられ、警察の捜査にしても「耐震偽装事件のシナリオ」に沿って進められました。「小嶋氏と関係あり」として名前の挙がった国会議員たちもまた、マスコミの餌食となります。

 当時の新聞記事にはこう書かれています。

「『どんな手を使ってもがけを上る』。偽装発覚直後の警視庁幹部の宣言通り、捜査本部は法令を駆使し、容疑事実をあぶり出した」(『共同通信』06年4月26日配信記事)

「『目標は詐欺容疑での立件。それができなければ、世論の支持は得られない』」(『読売新聞』06年4月27日付朝刊)

 警察の幹部たちは真相の解明より、とにかく捕まえ立件することを狙っていました。警察や報道陣が考えていた事件の本丸は、ヒューザー・小嶋社長であることは明白でした。そして、マスコミの期待に応えるべく、警察は〝疑惑の主人公〟たちを次々と逮捕していきます。

 逮捕劇のクライマックスは、06年5月17日の小嶋社長逮捕でした。彼にかけられた容疑はもちろん「詐欺」です。しかし、事件はこれにて一件落着――とはなりませんでした。
         *
 なぜなら、この「耐震偽装」事件で裁かれたのは、一級建築士の男性のみだったからです。

「奴らは皆、グルになって耐震偽装を働いたに決まっている」

 と、私たちが報道を通じて信じ込まされてきた事件は、実を言うと一級建築士の単独犯行だったのです。この事実は06年9月、一級建築士の初公判の場で明らかになっています。つまり、警察や検察が、マスコミや世間に吹聴していた「耐震偽装事件のシナリオ」は、真っ赤なウソでした。
 
 一級建築士の男性は、建築士としての能力がないのにカネを稼ぐため、耐震偽装を繰り返し、耐震偽装がバレてからはウソをつき、仕事をもらっていた建設会社に罪をなすりつけようとした――。
 
 これが、大山鳴動した「耐震偽装事件」の真相です。
 となると、あれほど大騒ぎしていた一連の「耐震偽装事件」報道は、いったい何だったのでしょうか? マスコミがさんざん喧伝していた「耐震偽装事件のシナリオ」は、不十分な取材による思い込みに過ぎず、つまりは大誤報でした。

 〝疑惑の主人公〟たちの名誉や人権はどうなるのでしょう。彼らはマスコミ報道により、取り返しがつかないほどの社会的制裁を受けていました。一級建築士の男性との共謀を疑われた関係者の中には、「社会的制裁」を苦にして自殺した人もいます。その人の遺書には、次のように書かれていました。

「これだけは言っておきます。A(原文では実名)の計算書偽造はまったく知りませんでした。これはヒューザーの設計三社、木村建設も同じだと思います。こんなことを知っていて、隠すばかがどこにいますか。報道により世の中がAの仲間と思っていることに耐えられなくなりました。日々、Aの不正に対する処理におわれ、対応が追いつかず、後手、後手にまわり、他の設計三社にも迷惑をかけそうです。先のことを考えるともう無理です」(太ゴチックは明石による)

 捜査が終了した頃の06年7月2日付『朝日新聞』朝刊はこの遺書に触れ、
「この遺書が実は事件の全体像を示していた」
 と報じました。ならばなぜ同紙は、このダイイング・メッセージ(死の間際の言葉)を自分で検証せず、〝大本営発表〟を垂れ流し続けたのでしょうか。

 罪の意識からなのか、同新聞は私が太ゴチックで強調した「報道により」という部分を割愛して遺書を掲載しました。これでは、無実の人を報道が殺した――と、自ら認めているのと同じです。

 なぜ、このような一大誤報事件が21世紀の日本で起きてしまったのでしょうか。私は『週刊プレイボーイ』誌で4回にわたり、事件の真相を探るルポを書きました。
(週刊プレイボーイ「追及!耐震偽装事件の真実」11年3月28日号~。この連載記事はルポルタージュ研究所ホームページ「公開記事」欄で読むことができます。
https://rupoken.com/pdf.html
         *
 私がこの事件のルポを書くに至るきっかけについても、少し触れておきます。『週刊プレイボーイ』編集部からの依頼を受けた際、担当編集者から読むように勧められたのが、『国家の偽装――これでも小嶋進は有罪か』(有川靖夫著、講談社)でした。この本の著者・有川さんは小嶋氏の友人で、事件発覚当時は大田区議会議員だった方です。まず、有川さんにお会いして話を聞き、事件で逮捕された関係者たちは皆、裁判で控訴せず、泣き寝入りをしていた中、警察・検察と報道から着せられた汚名を雪(そそ)ぐべく、小嶋氏ひとりだけが最高裁に上告していることを知ります。

 小嶋氏の弁護団に相談し、事件の報道に疑問を持っているという趣旨を説明した後、弁護団とともに小嶋氏と面談しました。この頃、小嶋氏は報道機関の取材を一切断っていたのですが、取材の趣旨に了解していただき、小嶋氏へのインタビュー取材が始まったのでした。
 

お笑いタレント(ビートたけし)とジャーナリスト(池上彰)のどちらに「取材力」があるのか


 
 その連載ルポから8年。遅ればせながら、こうした事件の真相に再び着目したのが、2019年2月13日の『日経ビジネス』記事「敗者の50年史 姉歯事件で倒産したヒューザー元社長の望む『死にざま』」
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00014/020700003/?n_cid=nbpnb_mled_epu17
 でした。記事では、小嶋氏の著書『偽装:「耐震偽装事件」ともうひとつの「国家権力による偽装」』(金曜日刊)も紹介されました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4865720146/

 同記事は大変な反響を呼び、これをきっかけとして「耐震偽装」事件を取り上げたテレビ番組も2本あります。

 ひとつは、テレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」(2019年3月17日放送)。

 もうひとつは、テレビ東京「池上彰の改元ライブ カウントダウンは生放送&平成令和バスツアー」(2019年4月30日放送)です。

 私は、ヒューザー元社長の小嶋氏から頼まれて、『日経ビジネス』の取材をはじめ、2本のテレビ番組の収録や取材にも立ち会いました。小嶋氏は、遺書を残して自殺した事件関係者と同様に、凄まじいばかりの報道被害を受け、いまだ名誉回復を果たせないでいました。それだけに、再びいい加減な報道をされてはたまらない――という小嶋氏からの要請を受け、取材に同席したのでした。
 

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